改正ドローン規制法で沖縄は規制だらけになる恐れ
米軍基地の7割が集中し、さらに辺野古新基地建設……真実への険しい道のり。
松元剛 琉球新報社執行役員・編集局長
1998年7月23日、沖縄本島にあるキャンプ・ハンセン内で米軍ヘリが大破した、という情報が琉球新報の記者に入ってきました。在沖米海兵隊は、地元自治体に「事故扱いはしていない」と伝えていたことに疑念を抱きましたが、キャンプの中には入れません。しかし、翌日ヘリで見つけた機体の画像が、「事故」だと確信させました。琉球新報の松元剛執行役員・編集局長によるシリーズ「基地の島・OKINAWAの今と未来への展望」。第2部の2回目では、今、改正ドローン規制法によって「不都合な事実を覆い隠す動きが加速している」と指摘しています。(論座編集部)
米海兵隊は「事故扱いはしていない」と地元自治体に伝えていた

深い樹林に墜落し、大破した海兵隊のUH1ヘリの写真を6段で扱った琉球新報夕刊の1面。在沖海兵隊は当初、墜落ではないと言い張った=1998年7月24日付琉球新報夕刊1面
1998年7月23日夕刻、沖縄本島北部の米海兵隊キャンプ・ハンセン内で米軍ヘリが大破した、との情報が入った。琉球新報政経部の基地問題担当だった私と、社会部で基地問題を担当していた同期入社の松永勝利記者(現読者事業局特任局長)らと取材に当たった。
米軍基地内外の幾重もの情報源をたどり、夜になって米海兵隊普天間基地所属のUH1指揮連絡ヘリ(4人乗り)が深い樹林に突っ込み、乗員にけが人が出ていることが分かった。在沖海兵隊は現場を抱える宜野座村に連絡したものの、「事故扱いはしていない」とわざわざ伝えていた。奇妙な対応に「逆に機体のダメージは大きいのではないか」との疑念を抱いた。松永記者らと現場近くのゲートまでたどり着いたのは午後10時半ごろ。暗闇に目が慣れると、鉄製のゲートを束ねる鎖が緩み、大人一人がすり抜けられるようになっていた。
松永記者は「近くに墜落現場があるのに、行かないわけにはいかない」と頑強に主張した。2カ月ほど前から、私と松永記者は米軍基地の環境汚染問題のキャンペーン報道を企画し、在沖4軍の環境保全担当者へのインタビューを重ねて、その都度、紙面化した。基地内で用いられていた廃変圧器から、有害なポリ塩化ビフェニール(PCB)を回収して保管しているという新事実も報じた。しかし、編集局内から「米軍の宣伝ばかりしているじゃないか」という批判もあった。それを受け流しつつ、私たちは、琉球新報による環境問題の取材に警戒感を示していた米軍との信頼関係を築きながら、特ダネになる基地内汚染とその浄化作業現場の取材許可を狙っていた。
海兵隊報道部から「基地内の汚染浄化現場の取材を認める。場所は追って連絡する」という知らせを受けてから数日後に、キャンプ・ハンセン内でのヘリ事故が起きた。私は直感的に、無理な基地内突入取材をすれば、特ダネになる基地内汚染の取材許可が取り消されるかもしれないと思い、リスクがある取材に反対した。暗いゲート前で激しく言い合ったが、「どうしても行く」という松永記者の説得をあきらめた。
若手カメラマンと松永記者が体を基地内にくぐらせようとした瞬間、ライフルを携行した憲兵2人が乗るジープがかなりの速度でゲートに到着した。間一髪で、記者2人が刑事特別法違反(基地内侵入)の現行犯で身柄拘束されることを免れた。憲兵隊が、ゲートの監視カメラで我々をとらえていたのだろう。
翌24日付朝刊1面に5段見だしで「米軍ヘリ着陸失敗、大破 住宅地から1.5キロ 乗員2人けが」と報じた。琉球新報の独自ダネだった。
上空から撮れなければ事故は隠されていた
朝早く、日本テレビの那覇支局長に連絡し、「現場を撮りにいきましょう」とお願いした。琉球新報にはよほどの大事故発生の確証がない限り、頻繁にチャーターヘリを飛ばせる財力はなかった。ヘリ会社と年間契約を結び、かなりの頻度でヘリを出していた日テレに、〝コバンザメ作戦〟を要望したのだった。支局長は快く、基地上空まで飛ばしてくれたが、墜落現場がなかなか見つからない。那覇空港に戻るわずか数分前、両社のカメラマンが深い森に突っ込んで横倒しになり、無残にひしゃげた機体を撮った。回転翼が吹っ飛んでいた。
その日朝、在沖海兵隊報道部は事故発生を確認する他のメディアに対し、「琉球新報はミスリード。機体の損傷は軽微だ。事故(アクシデント)ではなく、インシデント(出来事)だ」と伝えていた。現場が墜落の事実を隠したか、海兵隊組織として県民の反発を抑えたいという判断があったのだろう。「これでも墜落じゃないのか」。松永が在沖海兵隊報道部に出向き、夕刊1面に6段抜きで大きく掲載した写真を差し出すと、凝視した報道部長は二の句が継げなかった。航空専門家に取材すると、「これを墜落と言わずに、何を墜落と言うのか」というコメントを得た。それでも、海兵隊報道部は「インシデント」の発表を変えようとはしなかった。
もし、キャンプ・ハンセンの上空までヘリが入り、事故機を真上から撮影できなければ、「墜落」の事実は伏せられていた可能性がある。「墜落」と断定して報じ続ける琉球新報と海兵隊の関係は険悪になった。日を置かずに、基地汚染現場の取材許可は取り消された。それだけでなく、この後、海兵隊、空軍、陸軍、海軍の各報道部が会議を開き、琉球新報の基地内の環境汚染問題に関する取材は受けないということまで申し合わせていた。報道部に近い米軍筋がこの情報をもたらしてくれた。