「政治的期待」を集める単騎出陣。全力疾走すれば人材・支持は集まってくる
2019年08月07日
今から6年前の2013年、参議院東京選挙区への立候補を決めた山本太郎氏に会って話をしたことがある。東日本大震災からまだ2年。世間では、「原発をどうするか」をめぐって、激しい議論が続いていた。
そうした議論のなかで、彼はひときわ明確に「脱原発」を主張していた。そして、その運動の延長線上の行動として、参院選に立候補したのだ。
それ以前にも、山本氏とは何度かテレビで一緒になった。議論はおおざっぱだが、とにかく明るくたくましく、好印象を抱いていた。会って話をしても、その印象は変わらなかったのを覚えている。
だから、参院選に当選したときは大いに喜んだが、2013年10月の園遊会で天皇陛下に直訴状を渡そうとしたとっぴな行動を機に熱が冷め、彼の行動に対する関心も薄れていた。
なので、今回の参院選でも、正直言って当初は山本氏の行動にそれほど関心があったわけではない。「れいわ新選組」という奇妙な政党名にも、消費税廃止などの荒っぽい政策にも、少なからず抵抗があった。とりわけ、6年前には鮮明だった「脱原発」の主張の優先順位が下がっていることも気になった。
すでにこの連載で書いたが、選挙戦のまっただ中で、たまたま山本氏の街頭演説に出くわして、再び彼への関心が高まった。それは、彼自身というより、彼に期待する人たちがどんな人たちかが、よく分かったからだ。新宿に集まった大聴衆に二度もまれるうちに、ほとんどの人がごく普通の常識のある人たちだと理解したのだ。
しかし、参院選後、山本氏は大胆にも「次の衆院選に100人擁立する」とか「政権を獲る」とか言い出した。一見、突拍子もなく見えるが、現在の政治状況を正確に把握して確かな展望に立てば、まったくあり得ないことではない。野党第一党の立憲民主党が単独で政権を獲ることは至難の業だが、それよりも「山本太郎政権」のほうが可能性があるかもしれない。
30年にわたる平成史を振り返ると、突破力のある指導者が“単騎出陣”することで、短期間に、しかも大規模に「政治的期待」を集めたことが二度あった。
一度目は93年の細川護熙氏であり、二度目は2017年の小池百合子さんだ。細川氏は一人で日本新党を立ち上げ、1年で首相まで駆け上がった。小池さんも一人で自民党に反旗を翻して東京都知事になり、小池ブームをつくって自民党を慌てさせた。
私は、山本太郎氏が彼らの後を継いで、第三の人として「政治的期待」を集める可能性がないとは言えないと考えている。なぜか?
理由は、細川ブーム、小池ブームの場合と異なり、与党、野党の政治基盤がともに弱体化しているからだ。山本氏の思想や戦略、あるいは彼の周りに集まる同志の質によっては、「政権獲得」を語っても、笑い話とは片付けられないであろう。
そのうえで、山本氏がするべきことが幾つかある。
まず、憲法観や歴史認識を明確にすべきだ。その内容によっては、去る人もいるし、来る人もいる。だが、そうした大事なことをあいまいにしておいて、両者から支持を得ようとしても、いつか必ず行き詰まる。それは、あの爆発的だった小池ブームが驚くほど短期間でしぼんでしまったことでも分かる。
そして、その基本的な考え方、思想を共有する学識のある人を2、3人でもいいから、脇におくことだ。その大事な初期段階で、意見の違う人と基本的なことで妥協するなら、指導者としての突破力や威信が急速に先細る恐れがある。
あるいは、山本氏が実質的な中心になって、
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