世界最大の難民居住区で見たアフリカの難民事情
野球人、アフリカをゆく(9)南スーダン難民21万人が暮らすウガンダ難民居住区で
友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

職業訓練プログラムの一環で、NGOから派遣されているウガンダ人インストラクターによって、縫製の授業が行われていた。
<これまでのあらすじ>
野球を心から愛する筆者は、これまでのアフリカ赴任地ガーナ、タンザニアで、仕事の傍ら野球を教え普及してきた。しかし、危険地南スーダンへの赴任を命ぜられ、さすがに今回は野球を封印する覚悟で乗り込んだ。ところが、あきらめきれない野球への思いが、次々と奇跡的な出会いを生み出し、ついに野球教室をやるようになる。そんなある日、隣国ウガンダに出張した際に、南スーダン人がウガンダで野球をやっているとの情報を耳にした。
【連載】 野球人、アフリカをゆく
首都カンパラからひたすら北へ
「うわー!道がどこまでもアスファルトだよ、アスファルト!」
「車って、こんなに静かにまっすぐ、速く動くものだったんですね!」
「ランドクルーザーって、こんなに車内が広かったんだなあ」
南スーダンの隣国、ウガンダ。首都カンパラを出たトヨタランドクルーザーは、ウガンダの北部を目指して出発した。
この妙な会話は、車内におけるれっきとした日本人同士の会話である。
「平田さん、手すりをつかんで乗ってなくていいのは、楽でいいねぇ」と私。
「気持ちよくてこのまま寝ちゃいそうです」と横に座る平田民子。
農業のプロジェクト会議に出席するため、南スーダンからカンパラに業務出張に来ていた私と、JICA南スーダン事務所の農業セクター担当、平田はジュバ市内のデコボコ道を、車内が狭い防弾車で移動することが日課となっていたので、あまりに違うウガンダの道路事情に思わず感嘆の声を上げていた。
土曜日なので、平日なら渋滞がひどい首都の市街地をスムーズに抜け出し、ひたすら北に向かって走った。
目指すは世界最大の難民居住区

JICA事務所で農業のプロジェクトなどを担当する平田民子。写真は、ジュバ市内でごみ拾いイベントに参加した時に、事務所のスタッフと共に撮影したもの。
我々が目指す場所は、ウガンダの首都カンパラから北へ約560キロ離れたビディビディという町だ。そこには、世界最大の難民居住区がある。
移動するには、もちろん新幹線や高速道路があるわけでもなく、ひたすらに一般道を走る。途中、約500キロほど離れた地方都市アルアという町まで舗装された道路を8時間かけて移動し、ここで一泊する。翌日は未舗装の道路をさらに2時間ほど走り、ビディビディを目指すことになる。
同行している平田は、高校、大学と海外で学び、日本の民間企業で勤務した後、青年海外協力隊員としてアフリカ南部のマラウイ共和国に2年間活動した経験の持ち主。同国の首都リロングエから南に80キロ、モザンビークとの国境沿いにある貧しい地方のコミュニティに入り込み、女性たちの生計向上を図る活動に従事した。現地の言語を習得し、村人たちからの信頼を勝ち得て、村民の生活向上に貢献。任期を終えて村を去る時、ヤギを丸ごと一匹贈られたという。
「で、そのヤギの価値ってどのくらいなの?」
なにせ移動時間が長いので、車内ではよもやま話が盛り上がる。
「そうですね、現地の地方公務員の平均月収の半分近くかもしれません」
「というと、日本のサラリーマン家庭で言えば、20万円近くに匹敵するということかな?」
「そうですね。結婚式のようなお祝いの一大イベントにヤギは出てくるんです」
「で、平田さんはそのヤギをもらってどうしたの?」
「持って帰るわけにも行かず、村の皆さんと一緒にその場で焼いて食べました」
にこにこ笑いながら、さりげなくすごいことをいう平田。
小柄で、いつもほんわかした笑顔が印象的で、癒し系のお嬢さんのような雰囲気の彼女だが、アフリカ歴はさらに深い。マラウイから帰国後は、イギリスで開発人類学を学んだ後、タンザニアの日本大使館に専門調査員として3年間勤務している。なかなかのアフリカ猛者なのだ。
「そうかあ。どうせ餞別(せんべつ)をもらうなら、現金20万円の方がいいね」と夢もロマンもない私。
「でも、その金額は現地の価値ですから、日本で現金化したら、4000円くらいですよ」と、さらに現実的な話で返す平田。
それでも、ヤギよりは現金の方がいいな、などと思いつつ、話題は次第に目的地の難民キャンプの話になる。