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世界最大の難民居住区で見たアフリカの難民事情

野球人、アフリカをゆく(9)南スーダン難民21万人が暮らすウガンダ難民居住区で

友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

気になるウガンダの難民政策

 「僕は難民キャンプを訪問するのは初めてなんだけど、平田さんは?」
 「タンザニア大使館に勤務していた時、仕事でキゴマ難民キャンプを訪問したことがあります」

 キゴマは、タンザニアの西部、隣国ブルンジ、コンゴ民主共和国両国との国境沿いの町だ。

 「ブルンジやコンゴ民主共和国の難民がいるところだよね。どんな感じだったの?」
 「当時、タンザニアには30万人以上の難民がいました。隣国ブルンジでクーデターが発生して大量の難民が押し寄せてきて、難民キャンプが増設されたんです」

拡大タンザニアのキゴマ難民キャンプには、隣国ブルンジやコンゴ民主共和国から難民がきており、テント住まいになっている。
 ブルンジとタンザニアは陸続きだ。国境での人道的支援により、彼らは難民キャンプに誘導される。

 「しかし、そんなにいきなり難民がきたら、大混乱だよね」
 「新しく来た難民はテント生活を余儀なくされてました。キャンプは自由に出入りできず、定められた範囲で暮らさなければならないので、閉鎖的な感じがしたんですよね。食料が配布されると混乱してました」

 当時、その様子を現場で直接見た平田の顔が曇る。

 「現場では、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)やWFP(世界食糧計画)などの国際機関が対応するんでしょ?」
 「そうなんですけど、当然タンザニア政府も土地を提供したり、要員を配置しているんです。でも、難民はタンザニアの社会からは隔離されていたため、難民と地域住民の融和が課題でした」

 「タンザニア人は基本的に優しいのにねえ」と、かつて3年半のタンザニア生活を経験した私が言うと、平田は少し表情を硬くしながら、「そうだと思うんですけど、タンザニア政府の立場はあくまで難民は一時的に受け入れているものの、いずれは母国へ帰る人たち、なんですよね」といいながら、「でも」と続ける。

 「その時現場で、国際機関の方から、ウガンダの難民政策はすごく先進的だと聞きました」

 南スーダンは内陸部に位置するので、国境は6か国と接している。この時点で難民は265万人流出しているが、なかでも圧倒的に多いのが、南に位置するウガンダへの難民だ。その数113万人。難民の半数もの人がウガンダに流入するのは、その「先進的な政策」だからなのだろうか。

難民キャンプではなく、難民居住区

拡大ビディビディ難民居住区が近づくと見えてくる看板。「ウガンダにいる難民へのサポートありがとうございます」と書かれ、日本やJICA他、支援している国の国旗や機関、団体のロゴが記されている。
 翌日、朝8時にアルアを出発した車は、さらに北上し、ビディビディに向かう。カンパラからアルアまでの快適だった舗装道路は、途中から未舗装の道路になり、車も大幅にスピードダウン。時に雨も降り、デコボコ道の水たまりを避けながらの走行になるが、そこは悪路だらけのジュバライフで慣れたものだ。

 雨が上がると同時に、車窓からの視界が広がり、広大なサバンナが見えてきた。時折道端に「ウガンダにいる難民へのご支援ありがとうございます」と書かれた看板が見える。

 ほどなくして、車はビディビディ難民居住区の管理事務所の敷地に入っていった。柵に囲われた敷地に中に、立派で恒常的な新しい建物が一棟ある。その敷地内には、コンテナやテントが連なって設置されている。

 車を降りて、管理棟に入っていくと、「ロバートです。ようこそ、ビディビディ難民居住地へ」と、大柄なウガンダ人男性が我々を出迎え、握手を求めてきた。ウガンダの難民居住区は、首相府直轄の組織が管理を担っており、彼は現場管理責任者だという。

拡大まだできたばかりの管理棟。ここにウガンダ政府の役人が配置され、巨大なビディビディ難民居住区の運営を行っている。
 「この難民居住区はホストコミュニティ(地域の自治体)が受け入れることに同意して整備が始まりました。現在、21万人の南スーダン人難民が住む、世界最大級の難民居住区です」

 思わず私はかねてからの質問をぶつけた。

 「ここは難民キャンプ、ではなく、難民居住区、なのですね。その違いはなんですか」
 「では、実際にご覧になっていただきながら説明しましょう。大きな5つの街区に分かれていますので、そのうちの一つをご案内します」

 建物を出てたところで、もうひとつ、テントについても尋ねた。

 「敷地内にもテントがたくさんありますね。そこにも難民の方々が住んでいるのですか?」
 「あれは国連機関の関係者用の簡易住居です。難民はそこには住んでいません」

 あのテントはスタッフ用だったのか。軽い衝撃を受けた。


筆者

友成晋也

友成晋也(ともなり・しんや) 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

中学、高校、大学と野球一筋。慶應義塾大学卒業後、リクルートコスモス社勤務を経てJICA(独立行政法人国際協力機構)に転職。1996年からのJICAガーナ事務所在勤時代に、仕事の傍らガーナ野球代表チーム監督に就任し、オリンピックを目指す。帰国後、2003年にNPO法人アフリカ野球友の会を立ち上げ、以来17年にわたり野球を通じた国際交流、協力をアフリカ8カ国で展開。2014年には、タンザニアで二度目の代表監督に就任。2018年からJICA南スーダン事務所に勤務の傍ら、青少年野球チームを立ち上げ、指導を行っている。著書に『アフリカと白球』(文芸社)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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