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世界最大の難民居住区で見たアフリカの難民事情

野球人、アフリカをゆく(9)南スーダン難民21万人が暮らすウガンダ難民居住区で

友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

見えてきた「先進的な難民政策」

 先導するロバート氏の車についていきながら、改めて車窓からの眺めを見て驚いた。とにかく広い。ここからすべての街区を見渡すことができないほどの規模だ。

 まず案内されたのが、難民登録の事務所だった。しかし、一応金網フェンスはあるものの、ゲートはオープンになったままだ。

 「難民としてまずは登録していただきます。食料の配給などもありますので、人数の把握は必要です。しかし、彼らの行動は自由です」

 平田が訪れたタンザニアのキゴマ難民キャンプとは全く趣が異なるようだ。そして、登録事務所の近くの小屋には、たくさんの女性たちが集まり、インストラクターのような人が洋裁のレクチャーをしていた。

 「ここは職業訓練所です。国際NGOからウガンダ人講師が派遣されて南スーダンの方々を指導しているのです」

拡大ヘルスケアセンターで受診待ちの南スーダン難民の方々。居心地はいいけど、南スーダンに帰りたい、というおばあちゃん。
 続いて、訪れたのがヘルスケアセンターだった。無料で受診できるという。

 「このヘルスケアセンターは、この地域に住む難民以外のウガンダ人も無料で受診できるのです」

 えっ⁉ それはなんともお得だ。しかし、医療費無料というのは、かなり難民キャンプの運営に負担がかかるのではないか。

 その疑問は続いて連れていかれた学校でさらに深まった。建物こそ簡易な造りだが、そこには多くの生徒たちが学んでいた。

 「この学校にも地元のウガンダ人生徒が混じっています。学費は無料です」

 思わず、「難民居住区は難民のためのものなのに、地元の人が混じっているんですね」と質問すると、ロバート氏は待ってましたとばかり、「いい質問です」とにやりと笑った。

 「難民キャンプとは、難民のためのエリアです。しかし、ここビディビディの難民居住区は、ウガンダの地方自治体と連携して作られ、難民は地元の人たちと共生します。南スーダンの難民は自由に暮らし、働くことができるし、ウガンダの地域住民にも医療や教育など裨益(ひえき)する。これはウガンダの地方開発の政策でもあるのです」

 これが平田の言っていた、「先進的な難民政策」というやつか。

 しかし、こんなに恵まれた環境だったら、南スーダンの人たちは故郷に帰りたくなくなるのではないか。

自立支援の取り組みも

拡大ビディビディ難民居住区では、世帯ごとに住居が与えられている。住居の前には、自給用の農地もある。
 再びロバート氏は、ビディビディ難民居住区の中を案内してくれた。難民に無償で与えられる家と農地。テントではなく、壁と屋根に囲まれ、しっかりした「家」だ。貸与された農地で自給自足を目指すようになっている。

 「農業国である南スーダンの人口の75%は農業従事者ですから、たくさんの農民がウガンダで難民になっていると思うのですが、そうでない人もたくさんいると思います。そんな人にはどういう対応をしているんですか?」と農業担当らしい質問をする平田。

 「NGOなどの支援団体が、種子の配布や農業技術の指導をやっています」とロバート氏。

 まさに自立支援の取り組みだ。街区は整然と区分けされ、商店街のようなところも作られている。商売を始める人に対する資金支援もあるそうだ。

 最後に難民居住区が見渡せる高台に連れて行ってもらった。ここから見えるのは、あくまで難民居住区の一つの街区であり、この5倍の広さが難民居住区の全貌ということになる。

 壮大なスケールだ。

拡大高台からビディビディ難民居住区第2街区を一望。居住区は第5街区まであり、広大で視界に入りきらない。


筆者

友成晋也

友成晋也(ともなり・しんや) 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

中学、高校、大学と野球一筋。慶應義塾大学卒業後、リクルートコスモス社勤務を経てJICA(独立行政法人国際協力機構)に転職。1996年からのJICAガーナ事務所在勤時代に、仕事の傍らガーナ野球代表チーム監督に就任し、オリンピックを目指す。帰国後、2003年にNPO法人アフリカ野球友の会を立ち上げ、以来17年にわたり野球を通じた国際交流、協力をアフリカ8カ国で展開。2014年には、タンザニアで二度目の代表監督に就任。2018年からJICA南スーダン事務所に勤務の傍ら、青少年野球チームを立ち上げ、指導を行っている。著書に『アフリカと白球』(文芸社)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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