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メルケル首相の14年にみるドイツと欧州の関係

花田吉隆 元防衛大学校教授

メルケル首相は「待ちの政治家」

 もっとも、メルケル首相の場合、過去に縛られているというより、こういう低姿勢が自らの資質から出ている面が強い。すなわち、メルケル首相は、物理学者だからというわけでもないが、ひたすらビーカーの中の二つの異なった物質が互いにまじりあうのを待ち、やがて、物質がビーカーの底に沈殿し、新たな一つの物質として落ち着いていくのを見届けてから初めて動き出すようなところがある。「待ちの政治家」である。自らは、決して率先して動こうとしない。事態が落ち着くのを待ち、やがて皆のコンセンサスらしきものがまとまるのを見届けてから初めて決断する。唯一の例外が2015年の難民危機だったが、その結果は散々たるものだった。

 この、自ら「リーダーシップを取りに行こうとしない」というのはメルケル首相の資質から出たもので、必ずしも、ドイツの過去を沈思黙考し自らの行動基準を決めたというわけではない。しかし結果的には、それがドイツに求められる行動準則にぴたりと当てはまった。

 ドイツは一体いつまで「過去を反省」し、一歩下がった態度を取ることを求められるのだろう。もう戦後75年近くが経とうとしている。それはそうだ。しかし、人々がドイツを見る目が常に過去と二重写しになることは今もって否定しがたい。そうであるなら、ドイツとして、控えめに振る舞った方が何かと好都合であるにちがいない。残念だが、まだ当面、そうしていた方がよさそうだ。何と言っても、欧州大陸の中央に位置し、人口、国力共に他を圧倒する存在だ。そうでなくとも目立って仕方がない。

 この点、目立つかどうかは別として、我々日本人は、ドイツの立場を我が身に置き換え考えてみることが必要だろう。中国台頭との要素を抱えるアジアの中でどういう姿勢をとるのが日本にとり最もいいことなのか。

 そういうドイツを、メルケル首相は14年にわたり率いてきた。この14年は、冷戦終結という国際政治の新たな局面において、ドイツが再び勃興する時期にあたった。ムクムクと経済力が巨大化していくドイツを見て、欧州各国は複雑な思いだったに違いない。冷戦期は、東西対立の下、世界の全ての国は米ソいずれかの陣営に属し、ただひたすら対決の時代を生き抜いてきた。冷戦終結とともに、そういう時代が終わり冷戦のタガが外れた。東西対決という固定した観点からモノを見る必要がなくなり、各国は米ソという超大国の枠を離れ比較的自由な立場で動き回るようになる。そういう時にドイツが再統一され、しばらくの間、経済が低迷したもののやがてあの巨大ドイツが蘇ってくる。欧州諸国が複雑な思いでドイツを見ても不思議でない。

 こういう時にあたり、もし、メルケル首相が「強くなったドイツに見合った地位」を求めたとしたら、欧州諸国はどういう反応を示しただろう。少なくともなにがしかの警戒感が生まれたに違いない。

 しかし、メルケル首相は違った。人の先頭に立って範を垂れるということを嫌い、ひたすらコンセンサスが醸成されるのを待った。合意が成った頃合いを見計らい始めて重い腰を上げた。そういう姿勢を今に至るまで崩すことがなかった。

 なるほど、それは、見る者にもどかしさを与えずにはいられなかった。ポーランドのラドスラウ・シコルスキ元外相が2011年、「問題はドイツが強いことではない、ドイツが弱くリーダーシップを発揮しないことだ」と言ったのはそういうことだった(拙稿「欧州委員長に求められる2つのリーダーシップ」参照)。

 しかし、メルケル首相がその政治姿勢を変えることはなかった。ひたすら船頭に立つことを避け、事態の沈静化を待ってから断を下した。

 戦後74年が経過した。ドイツは「EUに埋め込まれ」、ドイツの「独り歩き」を懸念する向きはない。それは ・・・ログインして読む
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筆者

花田吉隆

花田吉隆(はなだ・よしたか) 元防衛大学校教授

1953年生まれ。東京大学法学部卒業。在南アフリカ大使館公使、在スイス大使館公使、在フランクフルト総領事、在東ティモール特命全権大使、防衛大学校グローバルセキュリティーセンター教授等を経て、現在、早稲田大学社会科学総合学術院非常勤講師。著書に『東ティモールの成功と国造りの課題』(創成社、2015年)、「スイスが問う明日の日本」(刀水書房、2018年)等。

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