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選挙を盛り下げる「公選法」はいつまで続く/上

94年前のルールが現代の有権者の政治家選びを縛っている

井戸まさえ ジャーナリスト、元衆議院議員

参院選投開票日前夜、新宿駅前での「れいわ新選組」候補者の「最後の訴え」には、大勢の人たちが集まった=2019年7月20日、東京・新宿

「ちょうちん」の数や大きさまで決めた時代遅れの公選法

 参議院選挙が終わり、政治は短い夏休みに入っている。

 改めてこの選挙を振り返ると「れいわ新選組」、「NHKから国民を守る会」といったこれまでなかった、もしくは国政で議席を得ることが想定されていなかった政治団体が国会に議員を送り出し得票率から公職選挙法上の政党となったこと、また重度障害者の初登庁等が話題になる一方で、全体としては盛り上がりに欠けた選挙だったといえよう。

 それは投票率にも表れている。48.80%。有権者の過半数が棄権するといった状況は地方議会や既に結果が見えているような首長選挙ではままあることだが、国政選挙では1995年の参議院選挙の44.52%以来である。この24年前の亥年の参議院選挙での低投票率の原因は「政治不信」だと言われている。93年に非自民政権が誕生するも短命に終わったこと、自民党が社会党の党首を総理に据えて政権を奪還したことに対する支援者の忌避感等が選挙に行く意欲を削いだとの見方だ。今回の参議院選挙はそれ以来の投票率過半数割れ。社会保障や税のあり方等国民生活に直結する争点が有権者には響いてこなかった。それはここ数度の国政選挙でも同様である。

 選挙が盛り上がらないのはなぜか。その理由の一つに時代に合わなくなった「公職選挙法」の存在がある。

 「公職選挙法」とは一言で言えば、選挙に関わるルールブックである。議員定数、選挙権・被選挙権の範囲、選挙区の区割から選挙の費用負担等まで、ありとあらゆることが記されている。

 今回の参議院選挙でも話題になった「特定枠」も2018年の公職選挙法一部改正で、それまで非拘束名簿であった参議院選挙の比例代表区を一部拘束名簿としたものである。同じ公職選挙法でも選挙制度となると時の政権の思惑等を反映し、迅速に改正されていく一方で、演説、ポスター掲示、ビラ等の具体的な活動については昭和どころか明治から変わっていないものも多々ある。

 そもそも現行の公職選挙法の核心部分は1925(大正14)年の普通選挙制度制定により確立されて今に受け継がれている。「戸別訪問の禁止」「文書図画等の制約」等もこの時のルールが今も使用されている。テレビの普及、インターネットの発達等通信手段の大変革が起こる前、94年も前のルール下で今の有権者が望む適当・適切な政治家を選ぶことができるのであろうか。

 候補者の立場から言えば、公職選挙法で禁止されている事項には必ず抜け道があり、違反に問われない方法を模索しながらあくまで「政治活動」と言う名目で選挙の事前活動を行なっているのが現実である。「こんな法律はおかしい」と思いながらも、それに従わなければ選挙は勝ちぬけないどころか、逮捕され、公民権停止となるかしれないのだ。

 ちなみに、新元号の発表とともに発売された「人生ゲーム+令和版」ではこれまでのルールが大幅改正された。「紙幣」や「職業カード」も付いておらず、決まったコースやゴールもない。「ゴールしたときに、より多くのお金を持っていたプレイヤーが勝ち」というルールを大きく変更し「ゲーム終了時に、より多くの〝フォロワー〟を獲得したプレイヤーが勝ち」。フォロワーは1億2600万人、つまりは日本の総人口まで広げることができ、「お金持ち」ではなく「インフルエンサー」が勝者となる。

 「お札がなくなる」という、近未来を先取りするルール改正が娯楽の中で行われている一方で、今や一般家庭では使われなくなって久しい「ちょうちん」の大きさや数の制限や、戦後直後の物資統制の社会情勢下で作られた飲食提供等、時代遅れも甚だしい公職選挙法の規定が、有権者の生活環境の変化や、特に情報の伝達方法も速度の変更に対応できないまま放置されてきていることが、選挙への関心を喚起しないのではないか。その視点から参議院選挙を見てみよう。

初めての普通選挙となる1928(昭和3)年の第16回衆議院議員選挙。司法省供託局の窓口に供託金の支払いと立候補の届け出をだす候補者

供託金は必要か 驚きの没収額

 選挙に出るには基本、供託金がいる。この供託金制度も前述のように1925(大正14)年の普通選挙法で、泡沫候補の防止策として創設されたものだ(ただ、すべての選挙で求められるわけではなく、町議会選挙等では供託金はない)。

 参議院選挙では選挙区は300万円、比例区は名簿搭載者1人につき600万円をかけた数となる。問題は没収の規定があり、参議院選挙区は有効投票総数をその選挙区の定数で割った8分の1、比例代表は各政党等の当選者数の2倍に600万円をかけた金額が、供託金全額の額を下回った場合は、その差額分が没収される。

 それを今回の参議院選挙に当てはめてみると、比例区では自民党は没収額0、立憲民主党は3600万円、公明党1800万円、維新2400万円、共産党1億800万円、国民民主党4800万円、れいわ3000万円、N国1200万円、幸福実現党1800万円等になる。N国や幸福実現党は選挙区でも候補者を多数擁立しているため、N国は小選挙区での供託金没収額を入れてトータルでは1億2600万円ほどになる見込みだ。

 ことほど左様に、政党は闇雲に候補者を立てられるわけではない。資金的な裏付け等がなかればできないし、与党・野党にかかわらず、ある程度の基礎票が見込める団体のバックアップのある候補者やタレント等知名度のある候補者を擁立するのには、財政上の計算もあってことなのだ。

 また、公職選挙法では得票率2%等の政党要件も示していて、今回れいわやN国は政党となり政党助成金を受け取れることとなったが、この計算式には候補者が得票した票数も入るため、短期的には没収金額が大きくても、将来的にはその分を政党助成金でカバーできる可能性もあるのだ。

 今回の供託金没収で目立ったのは立憲民主党と国民民主党である。3年前の民進党時代は没収額は0であった。分裂したことにより候補者擁立数や候補者そのものについての検討が十分になされなかったのかもしれない。また共産党は3年前より没収額を4割以上も減らしているが、比例代表の候補者を42人から26人に絞り込んだ戦略的転換の結果であろう。

 「供託金」制定の目的は泡沫候補の抑止であるというが、果たして参議院では選挙区300万円、比例区600万円というのが妥当かどうかは議論をせねばならないだろう。政見放送や選挙公報等、基本的には負担なく広報されるものもあることを考えれば「安い」と言うのは、どの選挙にも必ずといっていいほど立候補をしているある候補者である。「テレビでCM代を払うより供託金没収の方がずっとお得」なのだというが、国政選挙は売名する場ではなく、立法者を選ぶ行為であることに立ち返れば、より優秀な人材が集まるようにしなければならない。供託金を提供できる政党等に所属しなければ立候補できなかったり、個人の意思だけで立候補が叶わないハードルとなっているのであれば、その阻害要因は取り除かなければならないだろう。

 今回のれいわやN国の資金集め等の工夫はこれまでの政治の常識を覆したが、供託金を含む公職選挙法の抜本的見直しのきっかけにするべきではないか。

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