メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

徴用工判決をあらためて複眼的に捉える

金恵京 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

河野太郎外相(中央)と韓国の康京和(カン・ギョン・ファ)外相(手前右)。続いて開かれた東アジアサミット外相会議では目を合わせようとしなかった河野太郎外相(中央)と韓国の康京和(カンギョンファ)外相(右)。2人とも、目を合わせないままでいいはずがない

韓国は法治国家ではない?

「(韓国は)基本的には国と国の約束を守らない」【安倍首相:2019年7月7日に、フジテレビ放送の党首討論番組での発言】
「韓国が国内の判決を理由に国際法違反の状況を放置しておくことは国際的にも許されません。(中略。韓国側の提案を受けて)まったく受け入れられるものではない。国際法違反の状況を是正するものではないということは、以前に韓国側にお伝えしております。それを知らないふりをして改めて提案するのは極めて無礼でございます」【河野外相:7月19日に、南官杓(ナムグァンピョ)駐日韓国大使を外務省に呼んだ際の発言】

 現在、日本で生活していると、韓国に対して「国際法を守らない野蛮国家」であるような印象を持つことは自然ですらある。そして、この背景には2018年10月の元徴用工判決、2015年の日韓合意に基づく「和解・癒やし財団」の解散などの歴史問題における対立があることは疑いない。しかし、国際法は冒頭に挙げた発言のように単純なものではなく、各種の法理論および各国の憲法や国内法との関係によって規定される。

 個別の根拠については後述するが、「自らは完全に正しく、相手が全て間違っている」という姿勢をとると、相手の判断の背景を認識できず、非難の応酬となり対話の機会が削がれてしまう。相手を愚かな存在として議論を放棄してしまえば、感情の衝突が残るだけである。韓国で徴用工問題の判決を下したのは大法院であり、日本の最高裁判所に当たる。換言すれば、韓国の法学界や司法分野の生真面目さで知られる世界のエリート中のエリートが判決を下したのであって、「韓国には国民情緒法がある」という感情的な議論だけで説明するのには無理がある。

 今回の一連の論考は、「韓国がなぜ、その判断を下すに至ったのか」そして「現状では冷静な判断ができないのではないか」と思われる部分を念頭に、2018年秋の徴用工判決から2019年夏までの状況を捉え直すことを意図している。「韓国人だからそういう見方なのだろう」とか「韓国の肩を持つのか!?」と反応するのではなく、まず内容を読み、ほとんど語られない韓国の行動の背景を知り、対話へ向けた足掛かりの一つとなることを願っている。

徴用工判決の経緯と法的根拠

名:
韓国・釜山の日本総領事館近くに置かれた徴用工を象徴する像韓国・釜山の日本総領事館近くに置かれた徴用工を象徴する像

 昨年来、日韓関係に大きな影響を与えた徴用工とは、第二次世界大戦の最中、国家総動員体制の下で軍事産業や鉱業等に労働力として、当時植民地下にあった朝鮮半島から動員された人々を指しており、動員や業務の際に威嚇や暴力がしばしば伴われたことは広く知られている。その存在は従軍慰安婦の場合とは異なり、日韓の国交正常化交渉が始まった1950年代より既に懸案の一つで、1965年に日韓両国の間で締結された「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(以下、日韓請求権協定)において日本が韓国に経済協力を提示し、両国の請求権が「完全かつ最終的に解決された」との文言が組み込まれたことの要因になっている。

 基本的に日本政府は徴用工問題については日韓請求権協定において解決済みとの立場を取り、韓国政府や司法の現場でもそれを追認してきた。そこで、元徴用工らは、1956年の日ソ共同宣言において「それぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する」とされながら、個人の請求権は喪失していないとして、日本政府に対し個人として裁判を起こした元シベリア抑留者と同様に、個人として徴用先の企業に対して賠償を求める裁判を起こしたのである。

 ちなみに、1997年11月28日に日本政府は上掲の問題に対して「日ソ共同宣言の第六項の規定による請求権の放棄については、国家自身の請求権を除けば、いわゆる外交保護権の放棄であって、日本国民が個人として有する請求権を放棄したものではない」との答弁書を送付している(それ以前の主張については、山本晴太「「徴用工判決」で報じられない「不都合な真実」(「論座」)」に詳しい)。しかし、実際に元徴用工が起こした裁判では日本、韓国それぞれで敗訴が続いた。そうした中、2012年に韓国の大法院が原審判決を破棄し、高裁に事件を差し戻したことが契機となり、昨年の判決に至ったのである。

 確かに、条約の順守については国際法上の原則として「合意は拘束する」というものがある。その一方で、条約締結時の社会事情が変更した場合、それを根拠として条約の拘束力から免れる「事情変更の原則」も存在している。事情変更の原則を認めるか否かの論争は16世紀以来、国際法分野での主要議題の一つであった。合意を順守することは国際法体制を維持する上でも基本となるが、当該国に根本的な変化が生じた場合、条約の範囲も変化することは一定の理解がなされている。

 また、徴用工判決において、もう一つ重要な国際法上の原則としては憲法優位説が挙げられる。これは国際法(条約、協定など)と憲法の主張が対立した場合、どちらが優先されるかを示したものである。国の基本法である憲法の方が、国際法に優先するという論理は日韓両国をはじめ多くの国で採用されている。これは日本の憲法9条の位置付けと、国連憲章に根拠を持つ国連平和維持活動(PKO)の方針のどちらを日本が優先しているのかを考えれば分かりやすい。

韓国大法院の判断理由

元徴用工らの賠償請求訴訟判決が開かれる韓国最高裁徴用工に関する判決が日韓関係に大きな影響を与えた韓国最高裁(大法院)

 そうした国際法の特性を理解した上で、韓国司法の徴用工問題に対する姿勢を見ていく。先述のように、この問題の大きな分岐点は2012年の大法院判決であった。そこでは、日本の植民地支配の合法性の可否についての議論が示されている。徴用工らが日本で起こした裁判について大法院が疑問視したのは、「日本の朝鮮半島および韓国人に対する植民地支配が合法であるという規範的認識を前提」としている点である。

 ここで理解しなければならないのが、韓国における歴史学や法学における主張として、1905年に韓国の外交権を奪った第二次日韓協約は調印に際して日本の脅迫により強制されたものであり、手続き上の不備もあるため、同協約は違法かつ無効であり、その延長線上にある1910年の日韓併合条約も同様に無効との解釈が一般的だという点である。そうした状況下において、韓国の法学界を代表する存在である大法院の裁判官が、植民地支配を基盤とした国家総動員体制(日本の臣民である韓国人は合法的に徴用可能とされる)に基づく行為を合法的とする日本側の判決を認めない姿勢は、論理的には矛盾していない。

・・・ログインして読む
(残り:約3035文字/本文:約5826文字)