南スーダン野球初のキャプテン。その名はジオン
野球人、アフリカをゆく(10)グローブ、バット、ボールを貸して通い合った心
友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

紅白戦開始前に野球のルール説明する。英語で説明したあと、ジオン君が現地語のジュバアラビックに翻訳して説明した。
<これまでのあらすじ>
野球を心から愛する筆者は、これまでのアフリカ赴任地ガーナ、タンザニアで、仕事の傍ら野球を教え普及してきた。しかし、危険地南スーダンへの赴任を命ぜられ、さすがに今回は野球を封印する覚悟で乗り込んだ。ところが、あきらめきれない野球への思いが、次々と奇跡的な出会いを生み出し、ついに野球教室をやるようになる。ジュバ大学で大学生の野球チームをつくることを前提にグランド使用許可をもらったが、いざ始めてみると集まってくるのは子供たちばかりだった。
【連載】 野球人、アフリカをゆく
1カ月ぶりのグラウンド。あの子が来た
ジュバに着任して4カ月目に入った。9月から毎週日曜日にジュバ大学のグラウンドに足を運び、自然発生的に野球教室のような形がしばし続いたが、10月の中旬から、安全管理の研修のための海外出張や一時帰国、さらには隣国ウガンダへの出張などが重なり、グラウンドから約1か月近く遠ざかっていた。
11月に入って、久しぶりにジュバでの日曜日を迎え、まだ陽ざしが高い午後2時半に、宿舎から防弾車でジュバ大学に向かう。
「で、イマニさんは僕が不在の間、代わりにグラウンドに行って野球をしてくれてたわけじゃないんですよね?」
後部座席の隣に座る職場仲間であり、相棒のイマニこと今井史夫に問いかけると、「ええ」といたずらっぽい表情でにやりと笑いながら「やはり、友成監督がいないときに何かあってはいけないと」と、よくわからない答えを、ちょっとおどけながら返す。
「しかし、1か月近くも間があいてしまうと、彼ら、また来てくれますかね?」と、つい心配な気持ちを漏らす私。
すると、「しばらくあいちゃったし、どうせあの子たちは来ませんよ」とばさっと切り捨てながら、「でも、グラウンドに誰かはいるんじゃないですか。もともと、そんな始まりじゃないですか」と楽観的なイマニ。
そうだ。誰かいたらまた得意のゲリラキャッチボールから始めよう。気を持ち直したところで、ほどなくして、誰もいないグラウンドに着いた。
集合時刻の3時にはまだ早い。防弾車から積んできた野球道具一式を降ろし、グローブとボールを手にとって、「イマニさん、キャッチボールでもやりましょう」と声をかけ、まさにボールを投げ始めようとしたときだった。
「友成さん、向こうから誰かがきますよ。いつも来ているあの子ですよ」
振り返ってみると、グラウンドの真ん中を、赤いTシャツ姿のひょろりとした細身の青年が歩いてきていた。
「あ、いつも一番早くグラウンドに来る子ですね」