野球人、アフリカをゆく(10)グローブ、バット、ボールを貸して通い合った心
2019年08月24日
<これまでのあらすじ>
野球を心から愛する筆者は、これまでのアフリカ赴任地ガーナ、タンザニアで、仕事の傍ら野球を教え普及してきた。しかし、危険地南スーダンへの赴任を命ぜられ、さすがに今回は野球を封印する覚悟で乗り込んだ。ところが、あきらめきれない野球への思いが、次々と奇跡的な出会いを生み出し、ついに野球教室をやるようになる。ジュバ大学で大学生の野球チームをつくることを前提にグランド使用許可をもらったが、いざ始めてみると集まってくるのは子供たちばかりだった。
ジュバに着任して4カ月目に入った。9月から毎週日曜日にジュバ大学のグラウンドに足を運び、自然発生的に野球教室のような形がしばし続いたが、10月の中旬から、安全管理の研修のための海外出張や一時帰国、さらには隣国ウガンダへの出張などが重なり、グラウンドから約1か月近く遠ざかっていた。
11月に入って、久しぶりにジュバでの日曜日を迎え、まだ陽ざしが高い午後2時半に、宿舎から防弾車でジュバ大学に向かう。
「で、イマニさんは僕が不在の間、代わりにグラウンドに行って野球をしてくれてたわけじゃないんですよね?」
後部座席の隣に座る職場仲間であり、相棒のイマニこと今井史夫に問いかけると、「ええ」といたずらっぽい表情でにやりと笑いながら「やはり、友成監督がいないときに何かあってはいけないと」と、よくわからない答えを、ちょっとおどけながら返す。
「しかし、1か月近くも間があいてしまうと、彼ら、また来てくれますかね?」と、つい心配な気持ちを漏らす私。
すると、「しばらくあいちゃったし、どうせあの子たちは来ませんよ」とばさっと切り捨てながら、「でも、グラウンドに誰かはいるんじゃないですか。もともと、そんな始まりじゃないですか」と楽観的なイマニ。
そうだ。誰かいたらまた得意のゲリラキャッチボールから始めよう。気を持ち直したところで、ほどなくして、誰もいないグラウンドに着いた。
集合時刻の3時にはまだ早い。防弾車から積んできた野球道具一式を降ろし、グローブとボールを手にとって、「イマニさん、キャッチボールでもやりましょう」と声をかけ、まさにボールを投げ始めようとしたときだった。
「友成さん、向こうから誰かがきますよ。いつも来ているあの子ですよ」
振り返ってみると、グラウンドの真ん中を、赤いTシャツ姿のひょろりとした細身の青年が歩いてきていた。
「あ、いつも一番早くグラウンドに来る子ですね」
彼の名前はジオン。17歳。
9月から10月にかけて、日曜日の練習への参加者が週ごとに増えていったが、毎週初めて参加する子がいるために、なかなか顔と名前が覚えられないでいた。そんな中にあって、ジオンは、最初のキャッチボールで衝撃の速球を投げた長身のエドワード君に次いで、名前と顔が一致した子だ。
「ジオン、よく来たね。久しぶり!」と声をかけ、握手をしようと手を差し伸べると、はにかんでちょっと視線をそらしつつ、「Welcome back(おかえりさない)」と言いながら手を出してきた。
だが、ジオンは、いつもコーチの私の近くにきて、熱心に指導を受ける。一生懸命に話を聴き、何度も試してみようとする。
一言でいうと、「ひときわ熱心」。指導する側からすると、その反射熱を一番発しているのがジオンなのだ。
身長はすでに私より高く、175センチくらいだろうか。集まってくる子供たちが、10歳から17歳くらいまでの年齢層なので、年長者でもあり、練習中は現地語であるジュバアラビック(ジュバのアラビア語)でなにやら指示や指導をしているようにも見受けられる。
ジオンが現れて少し経つと、まるでそれが合図だったかのように、グラウンドの奥、ジュバ大学の塀を乗り越え、子供たちが少しずつ増えてきた。
「あれ~、ずいぶん集まってきましたねえ」と、予想が外れたのに、嬉しそうなイマニ。
「野球を待ちわびてくれてたんですかねえ」と、思わずほっとする私。時間が空いて、かえって彼らとの距離が近づいた気がした。
子供たちが十数人集まったところで、この日の練習開始。まずは久しぶりという事もあり、二列に並んでキャッチボールをすることから始めた。まずはボールを捕り、投げるを繰り返したあと、全員を集めて、改めてキャッチボールのやり方についておさらいをする。ボールの握り方、腕の使い方、足の上げ方、相手の胸を狙って投げること、捕り方。そんな場面でジオンは、聞き漏らすまいとばかり、いつも私の近くに来て聴いている。
続いて、みんなをホームベースの近くに集め、バットをもってバッティングの基本を初めて教えた。バットの握り方、立ち方、足の位置、振るときの頭の位置。基本中の基本のみだが、ジオンは食いいるように見つめている。
そのまま早速バッティング練習に入った。全員をいったん守りにつかせて、順番に一人ずつバッターボックスに立たせる。イマニがピッチャーを務め、教わった通りに、次々と打席でチャレンジしていく。
影がだいぶ長く見える時間になってきたところで、人数は20人くらいに増えていた。日暮れ時で、あまり時間がないが、やはり野球は試合をしてなんぼ。せっかく試合できる人数になったので、ゲームの楽しさを味わってもらおうと思い、もう一度子供たちを集めた。今日初めてきた子もちらほらとおり、野球の基本的なルールから説明しないといけない。
おなじみ野球ボードを取り出し、説明したものの、私の説明は英語。南スーダンの公用語は英語だが、子供たちは必ずしも英語が得意な子ばかりではない。特に小学生くらいになると、母語のジュバアラビックでないと通じない子もいる。
そこで、ジオンに隣に来るように指示し、私の英語でのルール説明を、改めてジュバアラビックで説明してもらった。聴いている子供たちには、やはり母語だと通じている様子が見て取れた。
しかし、実際に試合をやってみると、打って一塁に走るところまでは理解しているようだが、ベースを踏まなかったり、打球の行方に構わずひたすら一周しようとしたり、捕っても頓珍漢なところにボールを投げたりと、相変わらずしっちゃかめっちゃかだった。そんな試合の中で、ジオンは自発的に、低学年の子供たちに、自ら教わった構え方やバットの握り方を、改めて教えていた。
「グローブを貸してくれませんか?」
「えっ?」
「平日、もっと練習したいんです。グローブとボールと。バットを貸してください」
意表を突かれた突然の申し出だった。なんて嬉しい言葉だろう。すぐにいいぞ!と返したいところだ。
こちらの都合で、毎週日曜日にしか練習できない、南スーダン野球団。今日で4回目の練習だが、これまでは毎回、荷物をグラウンドに持ってきて貸し出し、終わったら宿舎に持ち帰ってきた。
道具を渡してあげたい。でも、一週間、ちゃんと貸した道具を保管できるのか。失くしたり、盗られたりしないのか。大事に扱わないのではないか。なにせ彼らの生活ぶりがわからない。どんなところにどんな人たちと住んでいるのか。周囲の環境はどうなのか。
危険度レベルの高いジュバで市内は歩行禁止。防弾車で移動しているような状況だ。彼らの居場所に行くこともままならない。
そして、グローブ、ボール、バットは、日本から携行してきた貴重なもの。
迷った。彼らを信じるにはまだ時期尚早ではないのか。しかし、この道具たちは、彼らが野球をやるためにもってきたものだ。
だが、ほかならぬジオンの申し出だ。彼のまっすぐな目を見て、信じることにした。
「イマニさん、少しは子供たちの名前と顔を覚えましたか?」と自分のことを棚に上げてちょっと挑発的に言うと、「あの赤シャツの子は積極的でいいですね」という。
「ジオン君のことですよね。彼はすごく一生懸命でいいですよね。リーダーシップもあるし。彼がキャプテンみたいな存在になってくれそうですよね」
そんな私の心を見抜くかのように、イマニが言う。
「ジオン君は、南スーダン野球のキーパーソンかもしれないですね」
「そうですよね。実は、今日、ジオンが道具を貸してほしいって言ってきたんですよ」
そうためらいがちに言う私のテンションに合わせることなく、イマニは「ほお、ジオンはやる気あるなあ」と楽観的だ。
「イマニさん、これは賭けなんです。次回、ちゃんともってきてくれるといいのですが」と思わず本音を漏らす私に、イマニは追い打ちをかけるように言う。
「アフリカですからねえ…」
私には苦い記憶がある。かれこれ20年以上も前の話だ。
ガーナに赴任し、仕事の傍ら、野球の指導を始めたばかりの頃だった。毎回練習に参加する熱心な選手のひとりが、ある日の練習後、相談がある、と言ってきた。
「ミスタートモナリ、練習に来るための交通費がなくて困っているんです。援助してもらえませんか?」
交通費は自己責任で自分で稼いでグラウンドに来るように、と選手のみんなに言っていた私は、改めてそれを伝えると、「稼ぐにも元手がないんです」という。
「僕は靴職人なんです。靴を作るためには、皮を買わなければなりません。それを買うためのお金を貸してくれませんか?」
いつも一生懸命に取り組む選手の真剣な眼差し。金をくれ、ではなく、貸してくれ、という申し出。ならば、と私は、みんなに内緒で、3000円程度の資金を貸すことにした。
その後、彼は二度とグラウンドに現れなかった。
騙された、裏切られた、という悔しい思いはもちろんあった。しかし、それよりも、みんなに内緒で一人にだけ便宜を図ってしまったという、公平であるべき指導者に背くことをしまった自己嫌悪のほうが強かった。そして、なにより自責の念にかられたのは、自分が金を出さなければ、彼はあの後も野球を続けたかもしれない、ということだ。
金を貸したばっかりに、彼から野球を奪ってしまった――。野球人としての痛恨の思いが、今も頭の中から離れない。
家族の主である責任。家族の一員である責任。大家族主義のアフリカでは、直接的な血のつながりを超えた「家族」の概念があり、貧しいなりに助け合って、共生している社会の中で、それぞれの果たすべき役割がある。子供は、時には学校にも行かずに、水汲みや物売り、農作業などの役割を果たすことが求められる。大人になれば、どうにかして金を稼ぎ、家族を養うことが求められる。
そんな中での、彼の立ち位置があったのだろう。
毎週、野球に来ていたのは、純粋に野球が楽しかったからであったに違いない。なぜなら、私がガーナチームのコーチになった時、彼はすでにいたのだから。
「友成さん、ジオンがやってきましたよ」
グラウンドの真ん中を、リュックを担いで歩いてくるジオンが見える。手にはバットを持っていた。近づいてきて「グッドアフタヌーン」というジオンに思わず声をかける。
「平日は練習ができたかい?」
「はい」と返事をしながらリュックを下ろし、おもむろに野球道具を出し始めた。
「グローブ10個とボール3つ、バット一本、持ってきました」
先週貸し出した道具をきっちり全部グラウンドに広げて、ちょっと得意気に見せるジオン。「そうか」と言いながら、思わず胸が熱くなった。
彼と心が通った瞬間だった。
はたで見ていたイマニが「こういう事の積み重ねが、大事ですよね」としみじみという。
イマニも私も、南スーダンに来る前から、アフリカとの関わりが長いだけに、仕事やプライベートで、様々な経験をしてきている。その多くは、どちらかというとネガティブなものだ。ものをなくされたり、盗られたり、騙されたり、というのは、日常生活の中ではよく起こること。原因は、治安やモラルの問題として片づけるほど単純ではない。歴史や文化、習慣など、アフリカにはアフリカの多様な要因がある。
逆に言えば、思いがけず喜ばされたり、感動させられたり、という事もそれなりにある。それは、こうして直接現地の人と触れあい、言葉を交わし、時間をかけて関係性を構築していく中で、享受できるものだと思う。
私は「信頼の第一歩ですね」と言いながら、イマニがかつて「彼らの成長が楽しみだ」言っていたことを思い出していた。
彼らの成長は我々大人の成長でもあるかもしれないな……。
これから先、どこまで進歩できるかわからない南スーダン野球だが、とことんやってやりたい、と思わずにはいられなくなってきた。(続く)
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください