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昭和天皇の“肉声”文書と“大見識”の田島道治氏

「どうしても」の反復から浮かぶ戦争の「反省」への強いこだわり

田中秀征 元経企庁長官 福山大学客員教授

「反省といふ字をどうしても入れねば」

拡大田島道治氏の手帳の内側には「拝謁(はいえつ)記」の文字や記録した期間の日付も残されていた=2019年8月19日、東京都渋谷区のNHK放送センター
 日本は昭和26(1951)年にサンフランシスコ講和条約を締結、翌27(1952)年5月3日に独立回復(講和条約発効)を祝う式典が挙行された。昭和天皇はそこでの「お言葉」の内容に強くこだわった。

 「お言葉」の草案づくりをめぐり、1月11日に昭和天皇は「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思う」と述べている。「どうしても」が反復されているところに、天皇の思いの強さがうかがわれよう。

 しかし、「反省」の二文字は宮内庁の検討で削除されたという。しかし、天皇は2月にもこう述べた。

 「……皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返(くりかえ)したくないものだ」

 天皇はどうしても、戦争を悔恨して反省をする一節を入れようとした。だが、吉田茂首相から反対され、最終的にはその意見を受け入れた。

 吉田がここで天皇の意向を受け入れるべきだったとは言わない。しかし、草案を天皇に示す段階で、自ら「反省」を書き込むべきであった。

 なぜ、こうなったのか。それは、吉田茂の戦前史の総括が徹底性を欠いていたからだ。同じく戦後の“保守本流”の創始者であった石橋湛山の明快な思想に後れをとるゆえんである。吉田は華族制度の廃止にも賛成していなかった。

「深い反省」にこだわった細川護熙首相

 今年の8月15日、令和初となる戦没者追悼式に臨んだ新天皇は「深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願う」と、昭和、平成天皇の思いをはっきりと引き継いだ。

 しかし、三代の天皇の思いは一貫しているものの、政治を担う政権は必ずしもそうではない。現首相の式辞からは近年、アジア諸国への加害責任と「深い反省」の言葉は聞かれない。

 1993年の細川護熙政権で私は首相特別補佐をつとめていたが、「深い反省」という言葉に強くこだわる首相の姿勢に敬服したものだ。戦前における「国策の誤り」と、それに対する「深い反省」があれば、日韓関係はもちろん、対アジア外交ももっと円滑に展開するはずだ。前回の論考で私は韓国の文在寅政権を厳しく批判したが、こちらにもえりを正すことがあることを忘れてはならない。

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筆者

田中秀征

田中秀征(たなか・しゅうせい) 元経企庁長官 福山大学客員教授

1940年生まれ。東京大学文学部、北海道大学法学部卒。83年衆院選で自民党から当選。93年6月、自民党を離党し新党さきがけを結成、代表代行に。細川護熙政権で首相特別補佐、橋本龍太郎内閣で経企庁長官などを歴任。著書に『平成史への証言 政治はなぜ劣化したのか』(朝日選書)https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=20286、『自民党本流と保守本流――保守二党ふたたび』(講談社)、『保守再生の好機』(ロッキング・オン)ほか多数。

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