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日本の介護施設で外国人が管理職になる日

2025年、2035年の超介護人材不足。持続可能な社会保障制度を維持できるか?

来栖宏二 アゼリーグループ 社会福祉法人江寿会理事長、医学博士

職員の1割以上が10カ国以上からの外国出身者

 私が経営するアゼリーグループは江戸川区を中心に介護、保育、医療を一体で提供する地域密着型のグループで、その中核事業である特別養護老人ホームは介護保険制度が始まる1年前の1999年に江戸川区に開設された。江戸川区は東京の東側、千葉県との境にある昔ながらの下町と湾岸地域の新興住宅地が混在する23区の中では一番住民の平均年齢の低い自治体である。

 特に東京都の中では新宿区に次いで2番目に外国人の居住者が多く、近年は「リトルインディア」と呼ばれるほどインド系の外国人が多く、先の区議会選挙では初めてインド出身の区議会議員が誕生した。アジア系外国人が多く居住し、街を歩いていると普通に外国出身者とすれ違い、特に通勤時間帯の駅などでは日本語以外の言語が普通に飛び交い、そのような光景が日常となっている。

 アゼリーグループでは10カ国以上、全スタッフの1割を超える外国出身者が活躍している。日本人スタッフと外国出身スタッフが一緒に業務にあたっているのが日常であり、スタッフ間でも、出身国などは特別に意識していないようである。

介護クライシス①拡大クリスマスを楽しむスタッフと利用者=アゼリアグループ提供

最初の雇用は日本人の配偶者の在日フィリピン人から

 なぜ外国出身スタッフが増えたのか。

 それはやはり人手不足が始まりだった。2008年のリーマンショック以前においても介護業界では人手不足問題が徐々に進行していた。2000年に介護保険制度が導入され、多くの企業が新規参入し、また介護を産業として超高齢化社会を見据え、当初は産業として有望と考えられ人材が集まった。

 しかし、介護需要の急増による人材の需給バランスの崩壊と、2006年に最大手企業の不祥事が報道されことなどをきっかけにマスコミで喧伝され始めた3K(きつい、汚い、危険)職場というイメージで日本人の雇用が難しくなり始めた時期である。

 最初の外国人介護スタッフの採用は、配偶者が日本人の在日フィリピン人だった。日本人の採用が少しずつ難しくなり、今後さらに採用困難な状況になるのだろうと漠然とした不安があり、言葉に不自由のない外国人スタッフを非常勤パートとして採用を始めた。

 高齢の日本人利用者には抵抗があるかなと不安に思ってのスタートであったが、まったくの杞憂であった。逆にその陽気な国民性で利用者の間で人気となっていた。漢字を使う記録業務などで日本人スタッフとの間での業務の調整は必要だったが、徐々にチームのメンバーとして欠かせない存在となった。また在日フィリピン人のコミュニティーでも介護が新たな職場として認識され、口コミで就職希望者が増えていった。

 在日フィリピン人スタッフが非常勤スタッフとして増えていった時期ではあったが、現場での人手不足感は拭えなかった。また地域での介護需要の増加とそれに伴う行政からの要請もあり、介護付きケアハウスの施設開設認可を得て2007年春にオープニングを控えていた。

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筆者

来栖宏二

来栖宏二(くるす・こうじ) アゼリーグループ 社会福祉法人江寿会理事長、医学博士

1992年日本医科大学卒業。1999年特別養護老人ホームアゼリー江戸川開設。翌年新小岩平成クリニック開院。現在関東圏に多数の介護施設、保育施設等を運営している。また介護海外人材マネジメントについて講演・コンサルティングを行っている。 一般社団法人自立支援介護・パワーリハ学会理事 国立長寿医療センター客員研究員

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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