GSOMIA破棄で日米と離反し孤立・北寄りに
2019年08月23日
韓国が日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA=ジーソミア)の破棄を2019年8月22日に決めた。植民地時代の元徴用工に対する賠償判決から日本による輸出制限、そしてその報復としての協定破棄、と報復の次元を移した応酬は、ついに安全保障問題にも及んだ。
日韓のメディアや政界には「予想外」という反応が広がるが、見方を変えれば「一貫」した文在寅(ムンジェイン)韓国大統領の姿勢が表れたものだ。
それは、朴槿恵(パク・クネ)前大統領による敏感な対日政策を「がらがらぽん」あるいは「ちゃぶ台返し」でリセットしようとするものだからだ。
日本との泥沼の報復合戦の一部ではあるが、文政権としては、2015年12月の「慰安婦問題政府間合意」と並ぶGSOMIA(2016年11月)も否定することで、対日協力政策も朴槿恵政権以前に戻す意志を鮮明にしたといえる。
もちろん文在寅氏が最初からGSOMIAの破棄を目指していたかどうかは分からない。1週間前からの動きで、その葛藤が見てとれる。
8月15日、韓国の「光復節」で文大統領は「キャンドル革命」「国民主権」という革新勢力のキーワードを封印し、慰安婦問題にも徴用工裁判問題にも触れなかった(『日本批判キーワードを封印した文在寅』参照)。同時に、日本との対話再開を呼びかけ、これ以上の摩擦を望まないと内外に呼びかけた。
私は「日本にやわらかめのボールを投げ返した」と見立てた。
直後から韓国メディアでは「政権は今のところGSOMIAを継続するつもりだが、推移によってはどうなるか分からない」という趣旨の政権幹部のコメントが飛び交うようになり、日本の出方を待つかのような印象を与えた。
防衛上の秘密情報を円滑に行うためのGSOMIAは、有効期限1年で自動延長されるが、期限の90日前までに通告すれば破棄できる。破棄・終了しようとすれば、8月24日がその期限だった。
だが、事態は韓国側が思う方向にはいかなかった。21日に河野太郎、康京和(カン・ギョンファ)両外相の会談が北京で開かれたが、意見交換を継続していくことでは一致したものの、韓国が望む輸出規制撤廃へ前進は見られなかった。
徴用工問題という韓国側の問題に端を発したとはいえ、8月になって融和への方向転換を目指した文在寅氏がGSOMIAをテコにしようとして日本の次なるボールの投げ返しを待ったが、来なかった。逃げ道を自らふさいだ形になった文氏は、自動延長が当然視されたGSOMIAにも手をつけることになった。
GSOMIAは、日本は米国をはじめ英仏などと結んでいるし、韓国も米国と締結している。作戦・訓練情報や武器技術の秘密保全を政府や民間に義務づける一方で、艦船の修理に他の締結国が委託されることも可能になる、緩い形の同盟協力関係といえる。
一方で、実際に日韓で共有された情報は、2016年~2019年にかけて約30件しかなく(朝日新聞8月23日付、韓国側のデータ)、実利よりも信頼関係を象徴する枠組みともいえる。
元々は、その日韓協定を求めたのは韓国が先だった。北朝鮮の核・ミサイル開発で東アジア情勢の不透明さが増すなか、2010年に韓国軍高官が秘密保護協定の必要性に言及し、日本側も応じる形で李明博(イ・ミョンバク)政権時の2012年にいったんは結ばれかけた。
ところが2012年6月、日韓が署名する1時間前に韓国の求めで署名式が延期になるという曰く付きの経緯をたどった。
それは韓国内で締結に至る過程が猛烈に批判されたからだった。
韓国には、日本の自衛隊を旧日本軍と同一視する勢力があるうえ、日米韓の軍事情報の結びつき強化は北朝鮮だけでなく中国、ロシアとの関係を危うくするという見方がある。さらに締結を決めた閣議決定を公開しなかった政府に「秘密協定だ」と反発が強まった。
ほぼ同じ時期、半年後の大統領選に向けて野党有力候補として活発に運動していた文在寅氏は、討論会で「日本は過去を十分に反省せず、核武装まで試みている」と述べ、日韓防衛協力に否定的な見解を示した。この年の大統領選では、文氏は朴槿恵氏に敗れ、その朴大統領が2015年末に「慰安婦合意」、その約1年後にGSOMIAを復活させて締結することになる。
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