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韓国のGSOMIA破棄は東アジア秩序崩壊の序章

「北朝鮮はパートナー」「⽇本は敵性国家」の⽂在寅⼤統領

高橋 浩祐 国際ジャーナリスト

韓国政府の日韓GSOMIA破棄決定を1面トップで伝える韓国各紙=2019年9月23日

カエサルになった?文在寅大統領

 韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領はカエサルにでもなったつもりだろうか。アメリカという“元老院”の命に背いて、ルビコン川を渡ってしまった――。

 日本の輸出管理強化への対抗措置として、韓国政府が8月22日、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決定した。

 日本のネット上では、「GSOMIAが破棄されても大した影響はない。2016年11月の締結前の状況に戻るだけだ」といった冷めた言説もみられる。しかし、国際政治や安全保障を専門とする専門家の間では、今回の韓国政府の決定は、もっとはるかに重大なインプリケーション(含意)がある。

 それは、東アジア秩序を維持してきた日米韓の安全保障体制での協力関係に亀裂を入れ、構造的な地殻変動をもたらすということだ。東アジア秩序のメルトダウンの序章とも言える。

アメリカの意向を無下にした韓国

 日本もアメリカも韓国に対し、GSOMIAを破棄しないよう再々求めてきた。

 アメリカはポンペオ国務長官やエスパー国防長官、ボルトン大統領補佐官らが韓国要人と直接面会し、GSOMIAの延長を訴えてきた。トランプ大統領も8月9日にホワイトハウスで日韓の関係修復を呼びかけたばかりだった。朝鮮戦争を一緒に戦い、3万3600人以上の死者を出したアメリカの必死の意向が無下(むげ)にされた格好だ。韓国にとってアメリカは唯一の同盟国のはずなのに……。

 いったい何が起きているのか。

これまでの前提が通用しない文大統領

訪韓したエスパー米国防長官(左)と会談する文在寅大統領=2019年8月9日、ソウルの大統領府

 そもそも韓国が、日韓のGSOMIAを必要とする大前提には、韓国にとって「日本がパートナー、北朝鮮が敵対国家(enemy)」という暗黙の了解がある。

 それはそうだろう。日本と韓国はともにアメリカと軍事同盟を結んでおり、準同盟国の関係にある。文大統領がいくら、自らの政策の一丁目一番地である「南北融和」や「民族愛」を韓国国民に必死に訴えようとも、現実には朝鮮戦争(1950~53年)はいまだ休戦状態にある。テクニカル的に言えば、南北の戦争は継続しているのである。

 しかし、今回のGSOMIA破棄の決定で明らかになったことは、文大統領にとって、こうした暗黙の了解や大前提が通じないということだ。かつてないほどの親北の左派政権で、「革命政権」を自任する文大統領にとっては、むしろ「北朝鮮がパートナー、日本が敵性国家(opponent)」との認識がある。従来の前提とは真逆なのだ。

 北朝鮮に対する脅威認識がなければ、そもそもGSOMIAは必要ないし、意味がない。むしろそれは北朝鮮を敵対視し、南北分断を固定するものとして、邪魔ですらある。

家族の歴史と国家の歴史を重ねる?

 文大統領の「親北姿勢」と「抗日路線」は、それを裏付けるようにみえる。

 韓国に対する日本の輸出管理強化の閣議決定を受け、文大統領は8月2日、「私たちは二度と日本に負けない」と述べ、抗日姿勢を露(あら)わにした。5日にも「南北の経済協力で私たちは一気に日本に追いつくことができる」と述べ、北朝鮮と一緒になって日本と対峙(たいじ)するビジョンを示した。

 15日には、日本の植民地支配からの解放を記念する光復節の式典で演説し、遅くとも2045年までに朝鮮半島の南北統一を実現するとの構想を打ち出した。また、北朝鮮が7月25日、同31日、8月2日、同6日、同10日、同16日と新型短距離弾道ミサイルを含む飛翔(ひしょう)体を相次いで6回も発射したのにもかかわらず、文大統領は南北融和を呼び続けている。

 私は、こうした文大統領の行動には、文大統領の両親が朝鮮戦争中の1950年12月に、肉親のほとんどを北朝鮮に残したまま、アメリカの貨物船「メレディス・ヴィクトリー号」に乗って、咸鏡南道興南(現在の咸興市興南区域)から韓国に逃れた「離散家族」だったことが大きく影響しているとみている。

 文大統領は2004年7月、大統領府社会文化首席秘書官を務めていたとき、2泊3日で訪朝した。公務ではなく「離散家族」の一員として、北朝鮮にいる叔母に会うためだった。文大統領は、親戚が今も暮らす北朝鮮への同胞愛や民族愛が人一倍強いようにみえる。自らの家族の歴史を国家の歴史と重ねているようだ。

日韓GSOMIAが重要なわけ

 GSOMIAは、日米韓の安全保障体制を支えるものとして不可欠なものである。なぜか、簡単に説明しよう。

 現在、日韓のミサイル防衛は、米軍の早期警戒衛星が発見探知した情報をもとに、韓国軍と自衛隊がそれぞれのイージス艦や地上レーダーなどでミサイルを探知・追尾することになっている。北朝鮮からミサイルが発射された直後の初期段階は、韓国軍がミサイルの角度や軌道、速度などを確認。ミサイルが朝鮮半島から離れ、日本側に近づいてくれば、自衛隊も落下地点を確認できる。自国のレーダーでミサイルを捕捉しにくい場合、お互いに情報を共有し、精度を上げる。

 衛星、レーダー、偵察機、哨戒機のいずれについても、日本が韓国よりも体制を整えているため、ミサイル情報の共有という面から言えば、日本より韓国の方がGSOMIA維持で受けるメリットは大きい。

 日韓GSOMIAがなくなるとどうなるか。

 北朝鮮のミサイルが日本海に着弾するまでの時間は、わずか数分間である。日韓GSOMIAがなければ、一分一秒を争う有事の際に、わざわざアメリカという仲介者を通さないと重要情報の共有ができないとなれば、安全保障上、重大な危機をもたらしかねない。

 日米韓のトライアングルによる情報共有のなかで、アメリカという「通訳者」が入ることで、時間のロスだけでなく、ミスコミュニケーションや情報の伝達不足が生じる恐れもある。

 さらに、アメリカ軍は自衛隊の情報を韓国軍に渡すときや、韓国軍の情報を自衛隊に渡すとき、わざわざ機密部分を隠さなければならず、手間と面倒が確実に増える。実はこれが、アメリカが日韓GSOMIAの延長を望む大きな理由だ。

 もっと言えば、日本にとってGSOMIAには、韓国がスパイや脱北者など人的情報(ヒューミント)を通じて得た北朝鮮関連情報を共有できるメリットもあった。

 いずれにせよ、GSOMIA破棄決定で、日米両政府の文政権に対する信頼は失墜した。日米の外交当局者の間では以前から、文政権のもとで韓国が米韓同盟と日米韓安保体制を抜け出る「コレグジット」への懸念が囁(ささや)かれていたが、その懸念が現実化した形だ。今後、日米が韓国との緊密な安全保障関係を維持できなくなる恐れも少なくない。

破棄決定の背景にあるもの

韓国のGSOMIA破棄に関して記者の質問に答える安倍晋三首相=2019年8月23日午前、首相官邸

 GSOMIA破棄の背景には、米朝と南北の関係改善に伴い、韓国にとって日本の政治・安全保障上の重要性が低くなり、日韓の離反を加速しているという事情もある。日韓が国交正常化をはたした1965年当時、世界の最貧困国の一つだった韓国がその後、経済的に急成長する一方、日本が相対的に力を落とし、両国の国力が接近してきたため、韓国が日本を軽視してきていることも否めない。

 朝鮮戦争の休戦体制を終わらせて朝鮮半島に恒久平和をもたらしたい韓国に対し、日本の本音は、南北分断を前提に戦略的な均衡を保ってきた東アジアの安全保障を激変させたくないというものだ。「南北民族愛の精神」を韓国国民に訴える文大統領にしてみれば、東アジアの秩序維持を重視し、南北分断を固定化する日本は「妨害者」との認識がある。

 実際、北朝鮮との関係改善に向かう文政権に対し、安倍晋三政権は対北朝鮮では強硬姿勢を貫いてきた。こうした日韓の国益が背反する構造的な地殻変動を巡る問題も、日韓関係を根本から動揺させている。

 東アジア地殻変動のもう一つの要因として、一国主義者で孤立主義者のトランプ大統領率いるアメリカのグリップ(掌握力)の低下と、中国の著しい台頭も挙げられる。

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