石垣千秋(いしがき・ちあき) 山梨県立大学准教授
石川県生まれ。東京大学卒業後、三和総合研究所(現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング)勤務、バース大学大学院(英国)、東京大学大学院総合文化研究科を経て2014年博士(学術)取得。2017年4月より山梨県立大学人間福祉学部准教授。主著に『医療制度改革の比較政治 1990-2000年代の日・米・英における診療ガイドライン政策』(春風社)。専門は、比較政治、医療政策。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
労働党のブレア政権は保守党のサッチャー政権の改革を強力に推進していく後継者だった
アトリー(労働党)政権以降、保守党、労働党の二大政党の政権交代が繰り返されつつ、NHSの体制整備が進められた。しかし、1970年代まで戦後イギリスの経済成長は鈍かったうえ、2度にわたるオイルショックによって経済が停滞、失業率も高くなった。そして戦勝国でありながらIMF(国際通貨基金)の融資を受けることになった。このころの日本では、イギリスをはじめとするヨーロッパ福祉国家の停滞を「イギリス病」と呼び、日本の在り方を議論する際に言及することもあった。
1979年の総選挙で勝利したのはマーガレット・サッチャーを党首とする保守党だった。サッチャー首相は、のちにサッチャリズムと呼ばれるようになった新自由主義的な改革を進め、IMFから融資の条件にもなっていた国営企業の民営化を行った。
同時期の日本では、福祉元年(1973年)を迎えた直後にやはりオイルショックの影響を受け、高齢者の医療費の自己負担の復活をはじめ、保険料や自己負担の増加の検討などが進められていった。
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