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韓国に「上から目線」のワイドショー、酷くない?

日本の「嫌韓」に対し、韓国は「嫌日」になっていません!

藏重優姫 韓国舞踊講師、仁荷工業専門大学語学教養学科助教授

8月14日に参加した西大門刑務所での「光復節」のイベント。韓国伝統音楽の公演も行われた。この刑務所は植民地時代、韓国人(朝鮮人)が投獄され拷問され処刑された所で、今は見学ができるようになっている。
 日本に生まれ、今は韓国で暮らす「日韓境界人」である私の歩みは『日本人よ、韓国人よ、在日コリアンよ、私は私だ!』をご参照いただきたいが、そんな私からして最近気になるのは、日本のワイドショーである。

 ソウルの自宅で見た日本のワイドショー。韓国のGSOMIA破棄の件で、コメンテーターの一人が韓国側に立ってポジティブな意見を述べようと、ソウルの繁華街で「NO JAPAN」の垂れ幕が撤去されたことを持ち出し、日本人に配慮したんだと意見を述べました。そしたら、その意見をはね飛ばそうと、別のコメンテーターが「お金のためでしょ。日本人観光客が来なかったら儲からないもんね」と言ったのです。

 しばらく二人の応酬が繰り広げられた後、すこし中立な物言いをしようとする第三のコメンテーターが「韓国の人は本音と建前、裏と表みたいなのがあるんですよ。本当は日本の事好きなんですよね」と割り込みました。

 そこで司会者は切りが良いようにこの話題を終了。

 ええ~っ! そこで終わる!?

 「お金のため」と「日本が好きだから」で片付けられてしまったのです。

 日本のコメンテーターを始め、日本の番組作りは、韓国に対して、上から目線。北朝鮮に対しては、薄ら笑い。

 そう思うのは私だけでしょうか。「なんだかな~」と情けなくなるのです。

 私は数年前から、ほとんどワイドショーを見なくなりました。最近は、アナウンサーや司会者が「上」や「大人の事情」を気にして中途半端なコメントをするニュース番組も見ません。

客観的で冷静な「好き」にリスペクト

 私には、韓国語会話の授業をして二年にもなる韓国人の知り合いがいます。

 毎朝一時間、韓国語で会話をします。話題は、時事問題やサブカルチャー。毎日ですからほとんど何でも話題になります。時には、涙が出る個人的な話に及ぶことも。彼女とは、相性が良く互いに信頼しているから毎日お話が続くのです。

 彼女は、世界各地をよく旅行します。日本も年に数回は訪れ、私よりよく知っているくらいです。

 そんな彼女は言います。

「私、日本のこと好き、いや……文化は好き……分かるでしょ……」

 そら、好きだからこそ何度も日本を訪れるのですが、この「好き」は、そうしか表現方法が無いから「好き」という言葉を使うんだと私は捉えています。

 例えば、誰かから「私の事好き?」と聞かれたと考えてみてください。

 「そら、好きだけど、『好き』の定義は?」とか、100%じゃないけど……とりあえず「好き」と応える時ってありませんか。

 その「好き」に似ています。ちょっとヘンな例ですが、私、真面目なんで、子どもから「好き?」と聞かれても、一瞬考えてしまうんです。

 「そら好きだけど、大きな声で礼儀正しく挨拶できないところとか、整理整頓しないところとかはあんまり好きじゃないんだけどな」って。でも、とりあえず「好きだよ」って応えますよね。

 やや内輪話になりましたが、要は、彼女の「日本、好きです」の「好き」はそう単純じゃないってこと。過去、日本が韓国にしたことも、いま「上から目線」であることも、彼女はちゃんと知ってるんです。

 その上での「好き」なんだから、私、「客観的だな~、冷静だな~」って、いつも思っているんです。リスペクトすら覚えるんです。

ソウル光化門広場で、日本政府の対韓輸出規制強化などに反対する集会に参加した人たち。「ノー安倍」のプラカードが一斉に掲げられた=2019年8月15日

「NO JAPAN」から「NO ABE」に変わったのに…

 8月15日の日本の敗戦の日を前後して、韓国のシュプレヒコールは、「NO JAPAN」から「NO ABE」に変わりました。

 私の周りの韓国人の友だちもそれに安堵しているようです。なぜなら、「NO JAPAN」では、友達も私に対して申し訳ないという感情があるから。隣人に対する思いやりなんですよね。

 コメンテーターさん達には、少しは、こんなところも見てほしいなと思います。

 それにしても、「NO JAPAN」から「NO ABE」に変わったこと。事の本質が変わった大切な事なのに、日本の報道はそこを特に取り上げない。本質には触らない、タブー視、忖度……日本に住む人々を欺くことになるのに印象操作は続きます。

 日本的だなと私も薄笑い……。

 日本での学生時代、「パールハーバー」という映画の宣伝がテレビから流れてきて、それはもうびっくりしたのを思い出しました。しばし頭の中を整理するのに時間がかかりました。

 日本軍がパールハーバーを奇襲攻撃する内容ですが、それまでのアメリカ人のロマンスや平和な生活は一転し、最後はアメリカ軍が日本軍に勝利する。ハリウッド的ハッピーエンドの映画です。

 要は、日本が昔アメリカに悪い事をしたという映画だから、日本人はそれを鑑賞している間、肩身の狭い思いをするか、ずっと反省しているの?!と思いきや、日本の若者たちは普通のハリウッド映画として楽しんでいるではありませんか!

 「なんなの!?コレ?」

 韓国ではありえない! 先の戦争での痛みは、まだ韓国では現実の感覚ですから。

 広島や、長崎の痛みが、日本の人には伝わってない。南洋で餓死していった日本兵の痛みも、空襲で死んだ人の痛みも何も伝わっていない。

 アメリカでこの映画が娯楽になる意味は分かるけど、日本でも娯楽的感覚になるというのには、びっくりでした。

 日本人のアメリカ好き! ハワイ好き! の「好き」も、本当のところは「複雑な好き」であってほしいなと思いました。

「嫌韓」に対し「嫌日」になっていない韓国

 今年の終戦の日前後は、ソウルでいろんなイベントや集会に参加しましたが、日本をひとまとめにして「ダメ!」という演説の無かったことに救われました。

 ただ、与党と野党の攻防合戦、国民感情を政治家に有利なように誘導するような発言は見え見えでした。

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