民主派が抱える出口のないジレンマ
2019年09月01日
私の不安は、この(香港)社会の自治権は北京に奪われるのではなく、香港の一部の人々によって少しずつ除される可能性があるということだ。
My anxiety is this: not that this community's autonomy would be usurped by Peking, but that it could be given away bit by bit by some people in Hong Kong.
これは1996年の秋、香港で立法年度の期初にクリス・パッテン総督が行った施政方針表明の一節。1997年7月1日の香港返還を控え英国領香港で最後の香港総督による最後の施政方針で、1992年に着任し香港の政治民主化に着手し、それが中英合意に反すると中国政府から強烈な批判を浴びていたパッテン総督が〈香港〉に投げかけた警告である。
中国で改革開放政策を推進する鄧小平が一国二制度と50年不変という2つの大原則で英国の渋々ながらの合意を取り付けた香港返還。1984年の中英合意と1990年に制定された香港基本法が返還後の香港に与えられた「安定のための保険」だった。この二国間合意と基本法制定の間には1989年の天安門事件がある。香港では中国民主化に対する大規模な支援と中国政府批判、天安門で犠牲となった学生らの追悼があり、香港返還にも大きな影を落とした。一国二制度も50年不変も、やはり中国(以下、中央政府)によって覆されるのではないか?という不安。香港の立法局(返還後は立法会)選挙では中央政府に批判的な民主党が躍進していた。
そのような当時の香港で、返還を9カ月後に控えたカウントダウンの中、パッテン総督は「香港の自治権は北京に奪われるのでなく、香港の一部の人々が、それを壊す」と警告したのだ。
それから23年、香港は今、逃亡犯条例をきっかけに香港返還から22年で最大の政治的危機となっている。この条例改正に反対する大規模な市民デモ、抗議運動は過激化し、警察もその抑圧に暴力化。中央政府の香港出先機関での狼藉、国旗侮辱に中央政府は強い警告を与え、人民解放軍の出動すらまことしやかかに懸念される。
なぜ、このような最悪の状況になったのか。その批判の矛先を中央政府に向けることは難しくない。香港の一国二制度と50年不変を中央政府は、やはり毀すのだ、と。
だが、この22年の香港特別行政区での状況を見続けていると、このパッテンの警告が頭をよぎり、一概に「中央政府が悪い」と言い切ってしまっていいのだろうか、とも思う。植民地を去ろうとする宗主国の「見下ろすような目線」という見方もあるだろうが、現実にパッテンの憂慮した通りになっているのだ。もちろん、一党独裁で頑な中央政府に問題があるわけだが、それでもその現実の中での解決策を見いださなければならない。
社会主義国が資本主義の香港を統治するという世紀の実験は、鄧小平路線での中国の経済発展と(一党独裁の社会主義制度ながら)政治的改革で50年後には香港との統合を期待するものだった。行政と司法は返還前の制度を維持し、行政長官選出や立法機関の改革は一先ず先送りされたが(英国統治でも総督任命も立法局選挙も民主的ではなかった)、香港基本法には10年後をメドに普選実施等が盛られていた。
「たられば」だが1997年からの香港経営が上手くいけば、中央政府が描いた青写真とスケジュールが実現するはずだった。それを困難にしたのは中央政府なのか、香港自身なのか。そのスコアをつければ香港にクリス・パッテンが危惧した(表現は変えるが)「香港の力量不足」が散見されるのだ。
それを、①行政長官、②親中央政府派と③民主派というカテゴリーで見直してみよう。
CY梁の下で政務司だったキャリー・ラム(林鄭月娥)が2017年に次の行政長官になったのは、ドナルド・ツァンが董建華を襲った時と同じパターンで、優秀な官僚を特区政府トップに据える人選だった。今年に入り逃亡犯条例改正の立案で市民の強い反発を受け、抗議活動の激化と社会不安を生んだことは周知の通り。
こうして、この22年間の4人の行政長官が誰一人として、事実上の欽定で行政長官を選んできた中央政府が満足できる、また市民から安定した支持を得られる人材でなかったのは明らかだ。
だからこそ普選実施で優秀な人材を市民が選ぶシステムが必要、と民主派は主張する。だが中央政府が良しとしない人物が選出された場合、中央と香港の関係はどうなるのか、普選実施にはそうした大きな課題が横たわっている。
香港返還前にパッテンの政治改革があり、民主派が力をつけたのは上述の通り。これに対して中央政府の肝いりで親中央・香港政府の政治団体が組織された。従前から親中の左派政治団体や組織を束ね民建連(民主建港協進連盟)等の政党が市民の支持を得て、香港政治に効果的に関与していけば立法会選挙でも善戦を続け将来の行政長官普選も有利になる……これは中央政府の願うところ。それが現実では期待通りにいかない。
こうして見てみると、クリス・パッテンが憂慮した「香港をダメにする要素」が中央政府隷属の香港政府や建制派ばかりでなく民主派にもあることがわかる。パッテンにとってそこまで想定内だったかは定かでないが。政府も親中央政府の政党も反発する民主派にも、それぞれ解決困難な問題をかかえている。くりかえすが、一党独裁で頑な中央政府にまず問題がある。それでも現実がそうであるなら、その中で香港の立ち位置を香港自身がどうしていけるのか。
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