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8月13日(火) 日本と韓国の大学生たちの直接交流を取材するために羽田からの便で鳥取県の米子空港へ。台風が西日本を直撃するというので心配だったが飛んだ。米子は晴れていた。まだ1日は大丈夫だろう。Tディレクターらと米子空港で韓国からの大学生到着を待ち受け。この時期、日韓の学生直接交流はどんな意義をもつのか。個人的には興味津々。

 会場が島根県の研修施設で青少年の家サン・レイクというところ。空港からは1時間以上かかる。大学生たちの自主運営なので、段取りがスムーズではなくドタバタ気味なのがよくわかった。日本側の学生の空港の出迎え係が直前までいないのだった。バスの運転手さんが誰が来るのかわからないので到着ロビーで不安そうにしていて僕らの方に寄ってきた。そりゃそうだよなと思う。

 14時過ぎにエアソウルという直行便で彼らはやって来たが、団体的に動いているのではなくバラバラで、彼ら彼女らもお互い知らない者同士なのだった。結局15人くらいがどうやらその関係者らしいと何となく僕らのまわりに集まってきて、そこへ日本側学生の一人(女性)がやってきて何とかなった。僕らもバスに乗り込んで交流宿泊会場へ向かった。

 感じたのは韓国からの大学生たちの服装のセンスがなかなかいいことだった。お洒落だ。日本語を片言で話すレベルから、かなり流暢に話す学生もいた。今回の参加者はお互いの国の文化に理解を持っている人たち同士なので、一般の大学生レベルとはズレがあるかもしれない。だがお互いに理解し合おうという善意のような基盤があるように感じられた。そうじゃなければ、この時期、彼らも日本には来ないのかもしれない。いや、そう考えること自体が僕らのある種の思い込みなのかもしれない。

 16時からの開会式。何だか大昔の中学生の時代を思い出した。みんなお行儀がいい。私語もなく礼儀正しい。自分の大学生時代とは全然違う。韓国側からは16人、日本側からは14人の30人。それに日本側の実行委員が数人。それくらいの規模の交流だ。「日韓関係が悪化して不安もあると思うんですが、来てくださってありがとう」。実行委員長のMさんが歓迎の挨拶を述べると素直に拍手で応じていた。可笑しいのは、青少年の家という研修施設なので規則がめちゃくちゃ厳しく、布団のたたみ方の約束事や食品(アルコールを含む)の持ち込み禁止などなど、お寺で修行するようなルールを15分くらいレクチュアしていた。

 夕食の後、19時から「徴用工問題」「在日朝鮮・韓国人問題」「ジェンダー」「観光」の4グループに分かれてさっそく討論を始めていた。初日からけっこう中身に入り込んでいて傍で聞いていても面白かった。「徴用工」のグループの討論では、韓国側の学生たちの現代史についての知識の豊かさ、コミュニケーション能力の高さに感心した。というのも日本の学生との差がその点であまりにも歴然としていたからだ。軍艦島のユネスコ文化遺産登録の際の朝鮮人強制労働の事実隠蔽や、日韓併合の違法性についての理論だった主張を韓国の学生たちの口からこれほど自然に聞くとは思わなかった。学校での教育の差を感じた。現代史を教えない日本の学校教育。

議論する日韓の学生たち=出雲市小境町の県立青少年の家拡大議論する日韓の学生たち=島根県出雲市小境町

 夜遅く出雲市の宿へ戻る。出雲市は思ったよりも観光客などで賑わっていてよい町だと思った。

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筆者

金平茂紀

金平茂紀(かねひら・しげのり) TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

TBS報道局記者・キャスター・ディレクター。1953年、北海道生まれ。東京大学文学部卒。1977年、TBSに入社、報道局社会部記者を経て、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長、コロンビア大学客員研究員などを経て、2010年より「報道特集」キャスター。2004年、ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『沖縄ワジワジー通信』(七つ森書館)、『ロシアより愛を込めて――モスクワ特派員滞在日誌 1991-1994』(筑摩書房)、『二十三時的――NEWS23 diary 2000-2002』(スイッチ・パブリッシング)など。共著に『テレビはなぜおかしくなったのか<原発・慰安婦・生活保護・尖閣問題〉報道をめぐって>』(高文研)、『内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ』(角川書店)など多数。

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