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ポピュリズムやパリテに抱く「リベラル」派の幻想

井上達夫インタビュー(上)/「リベラル」な人々へ

石川智也 朝日新聞記者

 ブレグジットBrexitの混迷のトンネルからいまだ抜け出せない英国で、「第二のトランプ」が新首相に選出され、またぞろ右派ポピュリズムの隆盛がしきりに論じられている。

 ユーラシア逆端のこなたでは、先般の参院選期間中、「消費税廃止」に「奨学金チャラ」などと左派ポピュリズム的政策を訴えた「れいわ新選組」が熱狂的支持を集めたが、主要メディアは黙殺。「改憲勢力」の議席が焦点かのような報道が政治的言説空間を覆った。

 ブレグジットと改憲にまつわるメディアの報道には知的倒錯があり、その根っこには憲法9条問題がある、と論じるのが法哲学者の井上達夫・東大大学院教授だ。

 「正義」という概念をもとに、リベラリズムの立場から右も左も舌鋒鋭く批判してきたが、特にゆがんだレンズでものを見ているのは護憲派・リベラルの側だ――との批判は耳に痛い。

 先ごろ上梓した『立憲主義という企て』と共著『脱属国論』で9条問題にあらためて切り込み、法の支配と立憲主義の回復を訴える井上教授に、民主制や言論、そして憲法について聞いた。

井上達夫・東大大学院教授

〈いのうえ・たつお〉1954年、大阪市生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科教授。著書に『共生の作法――会話としての正義』(サントリー学芸賞)、『法という企て』(和辻哲郎文化賞)、『世界正義論』、『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでくだい』など。2009~13年、日本法哲学会理事長。

英首相ボリス・ジョンソンはポピュリストか

 ――英国の新首相に就いたボリス・ジョンソンはEU離脱派の中心人物でしたが、トランプ大統領同様のポピュリストだという見方があふれています。威勢のよい言葉で大衆の熱狂を煽り、強硬な離脱路線によって議会を紛糾させ、今日に至る国内外の混乱を招いたかのように見られています。

 ジョンソン個人に対する評価は別として、要するに、現在の混乱や政治的閉塞の原因が2016年の国民投票にあり、それは悪しきポピュリズムであるという見解ですね。日本のメディアや言論界で大きく取り上げられているこうした言説は、完全に間違っています。

 国民投票以降の政治的混乱が示しているものは、国民投票の機能不全ではなく、議会政治の機能不全です。

 EU離脱という明確な国民投票の結果を受け、メイ前首相は残留派だったにもかかわらず、それを尊重し、離脱協定案をまとめましたが、保守党内の強硬離脱派と残留に固執する労働党との挟撃で潰されました。しかし、その議会が何らの代替案をまとめられないまま時間を空費し、議院内閣制の政治的決定機能そのものが行き詰まった状況になっています。

 3年前に国民投票が実施されたのも、実は、現在みられる状況と同様の機能不全に議会が陥っていたからです。

 当時のキャメロン首相はメイさん同様に残留派でしたが、保守党内が離脱派と残留派に分裂し膠着状態になったため、国民投票で賛否を問うとマニュフェストで約束して2015年の総選挙に勝利し、問題の決定を国民投票に委ねたのです。国民から選ばれた議員が熟議する代表民主制による賢明な判断に任せるべきだ、という含意で「国民投票=悪しきポピュリズム」と主張するのは、まず、事実の理解そのものが逆立ちしています。

 国民投票をやったから議会政治が破綻したのではなく、議会が分裂し、自分たちで意思決定できなくなったから、議会の方が、国民投票による国民の審判に決定を授権したのです。それにもかかわらず、この国民投票の結果を具体化するための協定案作成について、またもや議会は、与野党の対立のみならず与党内の対立で分裂し、意思決定能力の欠損を露呈している。そのため再度の国民投票を求める声すら出ている状況です。

 ――ブレグジットを事例に国民投票を否定する人の本音は、国民投票という手段ではなく、離脱派が勝ったという結果に対しての不満のようにも思えます。

 そう。キャメロンがEU残留の可否を国民投票に付するとマニフェストで約束して2015年総選挙で勝ちましたが、離脱派のみならず残留派も含めて有権者の多数が国民投票そのものには賛成したのです。一部の残留派が国民投票を事後的に批判しているのは、自分たちが負けたからです。もし勝っていたら、その結果の尊重を求めていたでしょう。

 国民投票のやり直しを求めているのは、望まない結果を生む投票は否定するが、求める結果を出す投票は支持するという、あからさまなダブルスタンダードです。不公正きわまりない。こんなご都合主義のやり直しが通るなら、その結果もし逆転できても、反対勢力に同じようなやり直しを求める口実を与えてしまい、問題解決じたいを不可能にしてしまう。自壊的な主張です。

 残留派やそれを支持した親EUメディアは、残留という自分たちが考える「賢明で理性的な判断」とは反対の結果が出たことへの不満から、国民投票は反知性的で危険なポピュリズムだと主張している。でも、これは事実を歪曲した主張です。

 離脱という投票結果がジョンソンらのフェイクニュースによる愚民誘導によるものだという主張もありますが、それこそがフェイクニュースです。この国民投票は、有料テレビCMの禁止や運動資金の上限規制など厳正なルールにしたがって行われただけでなく、残留派・離脱派双方ともに徹底的な公開討論や宣伝活動で互いの主張の問題点を指摘し批判する機会が十分与えられていました。

英国のボリス・ジョンソン首相
米国のトランプ大統領

「高学歴層と労働者階級の対立」が根本にある

 ――リベラル側が英国の国民投票結果にショックを受け、「ポピュリズム」を大衆迎合主義と誤訳して批判的レッテル貼りをするとき、その社会の底流で起きているものを過小評価しているのではないでしょうか。フランスのジレ・ジョーヌ運動もそうですが、反EUとして噴出している民意はグローバル化への下からの抵抗であり、国家という防波堤機能の再興やネイションへの再帰を望む動きとも取れます。それは、二大政党の政治エリートがすくい取れなかった中間層の不安を刺激し「米国ファースト」を掲げて当選したトランプ現象とも通底しているように思えます。

 ブレグジットであらわれた根本的問題は、英国全体にとってのEU残留の利益とコストの比較が正確になされたのかどうかということではなく、残留の利益をより多く受ける高学歴・ホワイトカラー層と、移民労働者の増加によって雇用不安や低賃金圧力にさらされ残留のコストをより多く負担させられると感じた労働者階級との間の対立にあります。

 この新たな階級闘争的な要素を軽視し、ブレグジットを危険なポピュリズムと批判するメディアや知識人は、欧州統合の維持推進を「進歩的」とみなし、これに逆行する動きを「反動的」と捉えるドグマにとらわれている。

 自分たちが「正しい選択」と考える残留派勝利という結果になっていたら、この国民投票を英国民の英断と称賛していたでしょう。でも離脱派が勝ったから、「議会政治を混乱させる危険なポピュリズム」と非難されるべきものになった。こうしたダブルスタンダードが英国の残留派だけでなく日本のエリートたちにも跋扈するのは、彼らがEUという超国家的な地域的統合体の正負両面を冷静に検討しようとしていないからです。

 ――日本の新聞の社説なども、ブレグジットは過去の国家像に引きずられた単独行動主義だといった批判的見解が目立ちます。国際協調とグローバル化の問題を混同したうえに、自由貿易と保護主義を真っ二つに線引きできるかのような情緒的な報道も多い。

 日本では、ジョンソン首相の下で「合意なき離脱」が現実味を帯びていると報道されていますね。「合意なき離脱」という言葉は、まるで離脱後の英国とEUとの法的関係について合意がないまま離脱するかのような誤解を生み、それがまた、こんな破壊的帰結をもたらすのが国民投票の危険性なのだ、と誤解される理由にもなっています。

 「合意なき離脱」はNo-Deal Brexitの訳ですが、誤訳です。No-Dealとは、柔軟離脱の条件をめぐる協定について英国とEUが歩み寄れるDeal(取引)が成立しないことを意味するだけ。単に「取引なき離脱」と訳すべきです。「取引なき離脱」の法的帰結は明白です。

 離脱後から来年末までの移行期間がなくなり、英国とEU加盟諸国との法的関係は、離脱後直ちに、EU基本条約とそれに基づくEU法規制以外の、英国が締結している諸条約・諸協定と一般国際法によって規律されます。例えば、通商関係はWTOのルールによって規律されます。EU体制の一部である欧州司法裁判所の管轄から英国は外れますが、別枠のヨーロッパ人権規約に基づく欧州人権裁判所の管轄には服します。こういうことについては、英国とEUの間にも、自明の法論理的帰結として当然「合意」があります。

 「合意」がないと言えるのは経済的帰結についてです。ただこれは、独仏といったEU主要構成国と英国の間だけでなく、それぞれの内部でも反EU派が存在し激しい対立があるのだから、ある意味で当たり前です。

 日本のメディアは、英国に拠点を置いていたホンダなど外国企業の一部が撤退の方針を示していることを「英国経済の大惨事」であるかのように伝えていますが、これは当初から想定されていたことです。離脱によって短期的には経済的損失が生じ得ることは、強硬離脱派も否定していません。

 では中長期的にはどうなのか。急激な強硬離脱、段階的な離脱への移行、そして残留のいずれが英国の経済的競争力の再生強化にとって最善なのか。これについては深刻な対立があり、繰り返しているように、議会政治の意思決定プロセスでは解決できなかったからこそ、2016年に国民投票が行われたのです。

 離脱の短期的経済帰結も「想定内」以上に悪化することがあり得るとすれば、原因は、離脱の道筋を明確化する協定内容をいつまでも決められない議会の政治的無能性にあります。企業にとっては、予見可能性が低いということじたい、合理的経済活動にとってリスク。英国議会の優柔不断が、英国経済の政治的リスクを高めているのです。

 こうして見てくると、国民投票を、議会民主政を破壊する反知性的ポピュリズムと非難するのは、事実無根であるだけでなく、我々がいま目撃している明白な事実に反していることがわかります。議会民主政の破綻が国民投票を求めさせた事実を、国民投票が議会民主政を破綻させたと曲解する人々は、因果関係を逆立ちさせるイデオロギー的「逆さ眼鏡」で世界を見ている。

正しい選択を決定できなかったからこそ国民投票をした

 ――エリーティズムやリベラル系メディアが残留こそ「正しい選択」だという考えにこだわり、こうした逆立ち的解釈や二重基準を用いるのはなぜでしょう。

 ひとつには先ほど述べたEU信仰があるのと、政治的決定の「正当性rightness」と「正統性legitimacy」の区別ができていないことが原因です。

 離脱か残留かをめぐって国民投票がなされたのは、どちらが「正しい選択」かを決めるためではない。どちらが正しい選択か決定できないからこそ、国民投票がなされたのです。

 どちらが正当な選択かの先鋭的な対立を解消できないなかで、英国は国家としての集合的決定を行う必要があった。集合的決定とは、その決定の「正当性」を否認する反対者をも拘束する全体の意思決定です。その拘束力の根拠となる規範的権威こそが「正統性」です。

 2016年の国民投票は、EU帰属問題について「正当な選択」を行うためではなく、「正統性ある政治的決断」を行うためになされたのです。

 何度も言うように、英国議会は、この問題を国民投票に付託することについて有権者の支持を得た上で、議会民主政のルールに従って、政治決定を下す権限を有権者集団に授権したのです。

 この国民投票は英国の議会主権原理を否定するものではなく、それに従って行われたのです。残留派が、自分たちが「正当な選択」と見なす結果にならなかったからといって、それを尊重しないのは、国民投票による裁定に「正統性」を付与した議会民主政の意思決定ルールを蹂躙するもので、これこそ「危険なポピュリズム」です。

 それともうひとつ、日本でブレグジット国民投票バッシングをしている人たちの知的倒錯には、特殊日本的な要因があります。

 ――といいますと?

 「護憲派イデオロギー」です。

 憲法9条改正を何が何でも阻止したい護憲派は、憲法96条が定めた改憲手続きの発動そのものに抵抗し、国民投票法の制定にも反対しました。現行国民投票法の欠陥をあげつらいながら、それを是正する改正を本気で求めもせず、その欠陥を事実上放置し、これをまた国民投票を否定する口実にしています。

 「護憲」を言うなら、日本国憲法の国民主権原理を擁護し、憲法9条のような実定憲法規定の是非をめぐる争いを最終的に国民の審判に委ねる憲法96条を尊重しなければならないはずですが、彼らは国民投票が健全な民主主義を滅ぼすという反国民投票キャンペーンを展開してきた。その最悪の事例が、一部の護憲派団体が流している「国民投票がヒトラーの独裁体制を生んだ」というデマです。

 ヒトラーに独裁権限を与えたのは、国民投票ではなく、ドイツ国会が定めた全権委任法です。ヒトラーは独裁体制樹立後に、自分に対する忠誠証明を国民に強要するために、既定の政策決定の事後承認を求める国民投票を行いましたが、これは反対の自由どころか棄権の自由まで制約する圧迫干渉の下でなされました。世界で2500件以上なされてきた国民投票の中できわめて異例な濫用ケースです。

 これをまるで国民投票の典型であるかのように歪曲し、しかも、国会の法律で与えられた独裁権限を使ってヒトラーが自由なき国民投票を強行した事実まで歪曲し、国民投票はヒトラー的独裁を生むから危険だなどと主張するのは、きわめて悪辣なデマです。こういうデマを流す護憲派勢力は、自分たちがやっていることが実はナチスと同じだということを自覚しなければならない。ナチスが国政選挙で勝った原因の一つが、他党を攻撃するデマ戦略だったわけですから。

 さすがに、護憲派の中でも、このデマはひどすぎると思う人々もいるでしょう。というか、いると思いたい。しかし、そういう人たちも含めて護憲派がいま、国民投票バッシングの材料として「これは使えるぞ」と流布させているのが、「英国のEU残留の可否を問う国民投票で離脱派がデマで勝利したから、国民投票は危険だ」という言説です。この言説自体が事実を逆立ちさせるデマであることは既に述べました。

 デマにデマを重ねて国民投票バッシングに明け暮れる護憲派は、「民主勢力」を名乗っていますが、実態は、国民主権と立憲主義を結合させる憲法96条を侵犯して、自分たちの党派的イデオロギーを独善的・独断的に国民に押し付けようとしている点で、反民主勢力です。実は、彼らが固守すると標榜している憲法9条も、彼らは自分たちの政治的選好に合わせて改竄・骨抜きしている点で、「護憲派」の名にも値しないのですが。

リベラリズムは「正義主義」

 ――井上さんは「リベラリズム」の思想に立ちますが、これは日本語にあえて訳せば「自由主義」ではなく「正義主義」というべき立場だと定義していますね。

 リベラリズムの思想的ルーツには「啓蒙」と「寛容」という二つの考えがあります。込み入った説明は省きますが、「啓蒙」には理性の暴走や独善を呼んでしまう、「寛容」には非寛容に対する寛容をも許容してしまう、といったネガティヴな側面もある。両者のネガを除去し、ポジの面を統合させるための理念が「正義」だと考えています。

 もちろん、一口に正義といっても、正義の具体的な判定基準をめぐっては、功利主義やリバタリアニズムなど、様々な思想があり、競合しています。やや専門的になりますが、これらを「正義の諸構想 conceptions of justice」と呼びます。様々な立場が対立競合しているので複数形になっています。しかし、対立競合する正義の諸構想に貫通し、それらを共通に制約する原理があり、それが「正義概念 the concept of justice」です。

 私が考える「正義概念」の規範的実質は、「普遍化不可能な差別は禁止せよ」ということ。「普遍化不可能な差別」とは、自己と他者との「個体的同一性における差異」に訴えないと正当化できない差別です。わかりやすく言えば、「得するのが自分だからいい」とか、「損するのが自分でなく他者だからいい」とかというような差別です。ここでいう「自分」は「自分が属する自集団」を含み、他者は「自分が属さない他集団」も含みます。

 普遍化不可能な差別を禁じる正義概念は、さらに、「自分の行動や要求が、自分と他者の視点や立場を反転させても正当化できるかどうか、吟味しなさい」という反転可能性要請も含意します。

 この正義概念は、何が最善の正義構想かを一義的に特定はしませんが、およそ正義構想の名に値しないものを排除する消極的制約原理として強い規範的な統制力をもちます。それは「正義のレース」の優勝者を決める判定規準ではなく、このレースへの参加資格をテストするものです。

 正義概念のテストが課すハードルは決して低くはありません。例えば、自己の他者に対する要求を正当化するために、ある状況ではこの基準を用いる。ところが別の状況下でそれを適用すると不利な結論が生じるので、自分に有利な別の基準をもってくる――こうしたご都合主義的な基準の使い分けは、正義概念に反しています。自勢力が勝った、あるいは勝てる見込みの高い国民投票ならOKだが、敵勢力が勝った国民投票は排撃するというのは、この種の不正な二重基準、ダブルスタンダードの典型例です。

 自国利益が常に他国利益より優先されるべきだと考える右派やナショナリストは、一つの正義構想を提示しているのではなく、「普遍化不可能な差別を禁じる」という正義概念の要請自体に反しており、そもそも正義を語る資格がない。もちろん、彼らは自国益に反する正義など無用と開き直るかもしれない。でも、自分たちを「リベラル」だと思っている人たちは、自己と他者、自集団と他集団を公正に扱う正義概念を尊重すると標榜しているはずだから、こういうリベラル派、例えば朝日新聞が、国民投票などに関してダブルスタンダードを使うのは自壊的で、信用を失う行いです。

女性クォータに対するリベラルからの反論

 ――いわゆる「リベラル」側の昨今の論調で気になるのは、「女性が輝く社会」に関するものです。フェミニストが「男らしさ」「女らしさ」といった本質主義的ジェンダーを脱構築したことは正しいでしょう。でも、女性だというだけで自動的に地位や議席の枠を確保するクォータ、パリテといったアファーマティヴ・アクションに対して、あまりに無批判に賛同する論調が少なくない。男性優位社会のなか女性がこれまで大きくスタートラインを下げられていたにしても、これは「正義」という要請にかなうのか。

 女性クォータやパリテを求める主張は、本質主義への逆戻りという問題を確かにはらみます。一つには、女性ということでその政治的利害を一枚岩的にカテゴリー化してしまっている。さらに、男か女かという二元論的対置図式自体が、LGBTXといった性的少数者を差別排除してしまう危険もある。

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