2019年09月03日
4年半続くイエメン内戦はスンニ派の暫定政権を支援するサウジアラビアと、シーア派の武装組織フーシを支援するイランの代理戦争となっているが、8月に入ってアラブ首長国連邦(UAE)の支援を受けた南部の分離独立派が中心都市アデンを制圧し、内戦は三分裂の様相となっている。
8月10日、南部の分離独立を求める「南部暫定評議会(STC)」がアデンの暫定政府軍の軍事拠点や大統領府を占拠した。サウジに滞在するハディ暫定大統領は「クーデター」と呼んで非難した。南部暫定評議会の蜂起の後、サウジとUAEが仲介に乗り出したとされたが、28日には政権軍がアデン奪還作戦に出て、それに対して、UAE空軍が政権軍を空爆して、撃退した。
イエメンでは2011年に始まった「アラブの春」で軍出身の独裁サレハ大統領が辞任し、当時のハディ副大統領が暫定大統領として民主化と国民和解のプロセスを担った。しかし、両プロセスが進まないまま、14年に北部で武装蜂起したシーア派の武装組織フーシが首都サヌアを制圧し、15年2月に「政権掌握」を宣言した。ハディ暫定大統領は南部アデンに拠点を移し、同年3月から内戦に入った。
そして、サウジのムハンマド・ビン・サルマン国防相(当時副皇太子、現皇太子)が主導するアラブ有志連合が、ハディ暫定政権を支援してフーシ支配地区への空爆を始めた。UAEは同国の中心国アブダビ首長国のムハンマド・ビン・ザイド皇太子が主導して有志連合に参加し、南部に5000人規模の軍を駐留させ、フーシ支配地域への空爆でもサウジ軍に協力しつつ、南部勢力への訓練や武器の支援をしてきた。両ムハンマド皇太子は、共にトランプ大統領の対イラン強硬策を支えてきた。
一方のフーシはイランの支援を受け、2017年11月からサウジの首都リヤド郊外の空港などを狙って弾道ミサイル攻撃を始めた。今年の8月1日には、サウジ東部のペルシャ湾に面する都市ダンマンに対して新型の長距離射程の弾道ミサイル攻撃を行った。ミサイルはイランから提供されているとみられる。フーシは今回のアデンでの有志連合内の対立に乗じるかのように、17日にはサウジ東部のUAE国境の近くにあるシャイバ油田の施設に対して爆弾を積んだ10機の無人飛行機で攻撃した。
フーシ指導者のアブドルマリク・フーシ氏は同派のマシーラネットを通じて、1時間に及ぶ演説をし、その中で「サウジが率いる有志連合の5年目となる侵略が始まって以来、サウジ国内への最大の軍事作戦を実施した」と発表した。
作戦については「1100キロ離れたUAE国境に近いサウジの石油関連施設を10機の無人飛行機で攻撃した。イエメンを攻撃し、破壊をもたらした有志連合の侵略に対する最大の反撃であり、原油に依存している両国に対する重要な警告である」としている。サウジのエネルギー・産業・鉱物資源省は攻撃があったことを確認し、ガスプラントで限定的な火災があったことを認めた。
ハディ暫定政権、フーシ、南部分離独立派の三分裂の関係は、今回の内戦によって生まれたものではなく、イエメンの歴史に根差している。
フーシはイエメンで35~45%の人口を占めるシーア派の一派ザイド派の武装組織で、組織の指導者がフーシ家出身であるため、「フーシ派」とも俗称されるが、フーシ派という宗派があるわけではない。ザイド派はイエメンを9世紀ごろから支配してきた。1918年にオスマントルコ帝国が第1次世界大戦で敗北したのに乗じて北部で独立したイエメン王国はザイド派の王国だった。
そのイエメン王国は、62年に軍がクーデターを起こして打倒された。その後、70年に軍事政権が樹立されるまで北イエメンは内戦状態になった。この内戦で、サウジはシーア派の王政派を支援し、汎アラブ主義のナセル大統領が率いるエジプトは軍主導の共和派を支援した。当時、イランは親米のパーレビ王政で、中東は親英米の王政派と、親ソ連派で反王政の共和派が対立する構図だった。
一方、南イエメンは反英闘争を行っていた左派解放闘争勢力が1967年に南イエメン人民共和国(後にイエメン人民民主共和国)として独立し、マルクス・レーニン主義を掲げるイエメン社会党の単独支配体制となった。
ところが、ソ連崩壊によって、
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