メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

「基地引き取り論」とは何か

鹿野政直氏・新城郁夫氏の批判に応答する

高橋哲哉 哲学者

拡大住宅街に囲まれた米軍普天間基地

 沖縄への米軍基地集中を沖縄差別の現れと捉え、差別を解消するために沖縄の基地を本土に引き取ることを提唱する市民運動が広がりつつある。大阪、福岡、新潟、東京などで運動グループが作られ、2017年4月には全国連絡会が発足した。本サイトでも、すでに3度この運動が紹介されている。

 普天間基地を引き取ることにあなたは賛成ですか?
 続・沖縄との溝―本土日本人は植民地主義と決別を
 大阪や福岡の基地引き取り運動が問いかけるもの

 私は2015年に『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』(集英社新書)を上梓し、私自身の基地引き取りの考え方を提示した。賛否両論があり、沖縄の新聞等では論争となって現在に至っている(「琉球新報」紙上で始まった論争の経過は、雑誌『N27』第8号でたどることができる)。

 最近では、思想史家の鹿野政直氏と文学研究者の新城郁夫氏が、引き取り論(両氏は「移設論」と呼ぶ)に反対の立場で議論を展開している(『対談 沖縄を生きるということ』岩波現代全書)。沖縄研究で高名な鹿野氏と、その鹿野氏が現代沖縄の「ラディカルな思想家」と評した新城氏による引き取り論批判だが、私は説得されなかっただけでなく、引き取り論批判によく見られる論理的脆弱さを両氏の議論にも見いださざるをえなかった。与えられた紙数では詳細な検討はできないが、主な論点だけでも示しておきたい。

沖縄から、日本から、世界から「基地をなくす」

 まず、次のやり取りを読んでみよう。

鹿野 [略]私はどんなにつらくても、ともかく移設論というものには与すまいと思っていた。日米安保の問題性はそのままで、単に基地を移しても解決にはならないという思いもあり、おっしゃったようなレイプ、暴力がついて回るという問題もあるから。だけども、今は先の見通しがないわけです。そして、移設論は違うということ、それは本土エゴじゃないかと言われた時に、どう応答したらいいかという問題です。

新城 本当にこの問題は難しくて、確かにそれは本土エゴじゃないかという形で言われると苦しいかも知れません。しかし、それはエゴの問題ではないと思います。

鹿野 初めはこういう自分たちの苦しみをよそに渡したくない、というような議論を沖縄の人たちが立てておられて、本当に痛みを感じている人はそうなのだな、と思っていたけれども、やっぱりそれでは我慢がならなくなったわけですね。

新城 しかしですね。どうして一緒に基地をなくそうという闘いで共闘ができないのかと、私にはそういう疑問があります。それはやっぱりどちらにとっても譲ってはいけない点だと思います。エゴイズムかどうかという議論に短絡されるとき、在日米軍基地あるいは基地・軍そのものが、内面の問題にすりかえられてしまいます。基地・軍は、引き取るとかいう覚悟の問題ではないはずです。むしろ、そのような内面化こそ、日米安保という統治性の効果として現れているのではないでしょうか。

(『対談 沖縄を生きるということ』46~47ページ)

 新城氏は、「どうして一緒に基地をなくそうという闘いで共闘ができないのか」と言う。しかし、本土引き取り論に対して一貫してこれを激しく批判し、「基地をなくす」運動とは絶対に相容れないと論じてきたのは新城氏の方なのだ。

 ここでは「基地をなくす」という表現の意味を明確にする必要がある。これは少なくとも3つの意味でありうる。「沖縄から」基地をなくすのか、「日本から」基地をなくすのか、「世界から」基地をなくすのか。

 基地引き取り論は、日本から基地をなくすことに賛成であってもなくても、また世界から基地をなくすことに賛成であってもなくても、まずは沖縄から基地をなくすことを優先する。

 一方、鹿野氏が「日米安保の問題性はそのままで、単に基地を移しても解決にはならない」という理由で本土移設に反対するとき、氏が求める「解決」は「日米安保の問題性」の解決であり、日本から基地をなくすことであって、沖縄から基地をなくすことではなくなっている。

 新城氏のように「基地・軍そのもの」が問題だと考えるなら、沖縄や日本からだけでなく世界から基地をなくさなければ「解決」にはならないだろう。だから沖縄から本土に基地を移しても意味はないと言うのであれば、新城氏にとっても、問題は沖縄から基地をなくすことではなくなっている。

 私は「日米安保の問題性」や「基地・軍そのもの」の問題性への批判については、おそらく鹿野氏や新城氏と共有している。ただ、両氏と違い、それらの問題性が解決されない限り沖縄の基地を本土に引き取っても意味がないとは考えない。それらの問題は基地を沖縄に置いた状態でではなく、本土に引き取って本土の責任で解決されるべきだと考えるのだ。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

高橋哲哉

高橋哲哉(たかはし・てつや) 哲学者

1956年福島県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。東京大学大学院総合文化研究科教授。主な著書に『記憶のエチカ』(岩波書店)、『戦後責任論』(講談社)、『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社)などがある。