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高速実証炉断念。「原発大国」フランスは曲がり角

原発に思い入れのないマクロン政権。日本と共同研究中の「アストリッド計画」を放棄

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

「原発大国」の自負はないマクロン政権

 「ASTRIDは死んだ」(関係者)という放棄のニュースに対し、右派政党・共和党(LR)や極右政党・国民連合(RN)は「政治的支援の不在」を糾弾。「我々は研究や変革なしに、環境を保護することはできない」(ブルノ・ルテリュLR上院議員団長)と主張し、マクロン政権が本気で環境政策に取り組んでいないと非難した。目先の経済的理由で革新的技術の研究を放棄することは、クリーンなエネルギーを提供する新型原子炉を放棄することにつながり、環境そのものを悪化させるという論法だ。

 シラクが1995年に核実験を再開した時、「知識の伝達」という言葉が盛んに使用された。英国は核保有国だが、核爆弾は米国から買ったもので、自前で製造していない。フランスが「核の確実性、信頼性、安全性やシミュレーション実験移行への準備」として核実験にこだわったのは、核爆弾に関する物理的、数学的な知識はもとより、様々な技術、つまり核に関する重要な知識を若い世代に伝達するためという含意だ。

 こうした知識はいったん失われると、再度、獲得するのには膨大な時間と才能が必要になるというわけだ。屁理屈じみた理屈にも思えるが、兵器の製造という観点とはまったく異なる視点が、いかにもフランス的で興味深かった。

 その点、マクロン政権には「原発大国」との気負いや自負、熱気はない。「豪華晩餐会」を批判されて辞任したドルジ前国民議会議長は、国務相兼環境相時代に第3世代の原子炉ERPに関しても、疑問符をつけていた。「この手の原子炉が経済的観点から採算性があるのか、あらゆる教訓を検討すべきだ」と。

拡大Blablo101/shutterstock.com

怨念を残した?「スーパーフェニックス」の廃炉

 ERPは1991年、ドイツのシーメンスとフランスのアレバによる新型原子炉として計画がスタートした。2004年10月には建設用地としてフランス北部ノルマンディー地方のフラマンビルが選定され、06年6月に工事が開始した。完成は当初、12年8月の予定だったが、いまだに完成していない。

 福島の原発事故や米国での同時テロを踏まえ、安全性について、ASN(仏原子力安全院)やIRSNからクレームが付き、なかなかゴーサインが出ないからだ。製造会社のアレバは、テロ攻撃や航空機の墜落事故などにも十分に対応できるように、原発の建屋を堅牢な分厚いコンクリートで遮蔽する計画だが、コンクリートの質などにクレームがついている。当然ながら、総工費は高騰中だ。

 フランスは高速増殖炉「スーパーフェニックス」を泣く泣く廃炉にした過去もある。1976年12月、「夢の原子炉」との鳴り物入りで、フランス中部リヨンに近いイーゼル地方で工事が始められ、10年後の1986年12月に運転を開始した。EDFをはじめ、西独(当時)、英国、イタリア、ベルギー、オランダの各電力会社が出資した大計画だったが、運転された期間よりも、事故で運転停止している期間の方がはるかに長いという印象が徐々に強くなる。

 当時のフランスはまだ、「原発大国」を誇り、国民もスーパーフェニックスの稼働と事故中止に一喜一憂した。1997年6月、ジョスパン首相(当時)が「放棄する」と発表し、98年12月30日に停止した。当時は、右派のシラク大統領の下に社会党のジョスパン首相がいるという「保革共存政権」の時代。シラクは98年7月14日の「革命記念日」に、スーパーフェニックスの「放棄」を非難している。シラクがASTRID計画を開始したのは、スーパーフェニックス放棄に対する怨念があったのかもしれない。

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筆者

山口 昌子

山口 昌子(やまぐち しょうこ) 在仏ジャーナリスト

元新聞社パリ支局長。1994年度のボーン上田記念国際記者賞受賞。著書に『大統領府から読むフランス300年史』『パリの福澤諭吉』『ココ・シャネルの真実』『ドゴールのいるフランス』『フランス人の不思議な頭の中』『原発大国フランスからの警告』『フランス流テロとの戦い方』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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