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移民の国アメリカで体験する移民・難民の「現実」

日本人には分かりにくい異文化・異環境の人々との接し方を考える

酒井吉廣 中部大学経営情報学部教授

移民と難民では異なる入国直後の生活

 センサス統計によれば、アメリカにおける2017年の全移民の数(難民を含む)は4450万人、全人口の13.7%にあたる。統計開始以来最低だった1970年の4.7%以降、経済の伸長等により、アメリカへの移民が拡大を続けた結果だ(ちなみに過去最高は、1890年の14.8%)。

 一方、2018年に入国を許可された難民は2万2491人。アメリカは入国できる難民の数に上限を設けているが、現在の厳しい移民政策を受けて、2019年の上限数は前年の4万5千人から3万人に縮小している。

 移民とは、難民を含めてアメリカの外で生まれ、現在はアメリカで生活している人を指す。市民権を持たなくても、永住権保持者や就労ビザ、学生ビザで入国している人、及び違法に入国している人すべてを指す(ここでは、難民以外を移民として記載する)。仕事で駐在する日本人も定義上は移民に入るわけだが、本稿ではそれ以外の移民を対象とする。

 アメリカでは、1965年の移民法と1980年の難民法の二つの法律に基づいて移民を扱っているが、入国した後の生活についての法的立場は二つで実質的にほとんど差がない。とはいえ、実際の生活を見ると移民と難民では入国直後の生活は大きく異なる。

 難民の場合、政治上などの理由で迫害を受ける恐れから逃れるべく急いで出国しているため、アメリカで生きる準備をしてきていない例が多い。そのため、生活を安定させるまでに時間がかかる。一方、移民は不法移民を含めてある程度、アメリカでの生活を準備して入国しているため、入国してしまえば結構、普通に生活を始める例が少なくないようだ。

 ただし、移民した直後や不法移民の場合は最低賃金以下で雇われることがほとんどで、決して楽な生活ができるわけではない。彼らが最低賃金以下となるのは、銀行口座をつくれず現金での給与支給となるためだ。記録に残らないので、雇用者ができるだけ安く雇おうとするのだ。不法移民の場合は、就労自体が違法なので、闇就労として一段と安くされることが多いという。

拡大oneinchpunch/shutterstock.com

移民の“運命”を分けるコミュニティーの有無

 移民の“運命”を分けるのは、受け入れてくれるコミュニティーがあるどうかによる。具体的には、同じ国の出身の人たちが固まって住んでいる場所があるかないかである。

 ニューヨークやワシントンには出身国別の“地域”があり、そこに行けばその国の料理を出すレストランがあるだけでなく、街の雰囲気までその国に近い。典型は中華街であるが、中南米諸国やベトナムなどの街もある。

 こうした街に集う人は、民族としての同族意識を持ち団結力が強い。そこで、新しい移民もここに住めば生活を始めることが可能なのだ。実際、筆者が知る移民(現在は正式に米国人になっている)も、不法移民としてアメリカに来た頃に雇ってもらえたレストランがあり、そこでは今も(すべて合法移民ながら)入国間もない人が働いている。

 また、どの国の移民であっても、ある国の出身者を雇うと、同国出身の者を雇って欲しいと頼まれるケースもよくある。コミュニティー的な「互助会システム」が機能しているのを感じる。

 「互助会システム」といえば、インド人や中国人などアジア民族のつながりの強さを感じるが、なかでも韓国人の強さが一番ではないかと思う。韓国人は朝鮮戦争(1950年~52年)からしばらくの間に渡米した人が多いとのことで、東海岸だけでなく西海岸でも大都市の周辺に韓国人コミュニティーがある場合が多い。現在では、ハングルを掲げる韓国人教会もあり、場所によっては他のどの国のコミュニティーよりもアメリカでそこで力を持っている。

 ちなみにアメリカへの移民の出身国トップ10(2017年)は、メキシコ(25%)、インド、中国(ともに6%)、フィリピン(5%)、エルサルバドル、ベトナム、キューバ、ドミニカ(ともに3%)、韓国、グアテマラ(ともに2%)だ。これらの国の出身者を累計すると、全移民の57%を占める。

 難民といえばパレスチナ人を連想するかもしれないが、トップ10に入っていない。パレスチナ難民の国連の定義が、1946年から48年までにパレスチナ(現イスラエルの居留地)に居住し、イスラエル建国(48年)でそこから追われた人を指すため、今やその子や孫は難民にはならないからのようだ。アメリカに来る場合も、難民としてではなく、旧パレスチナからいったん逃れた国の国民として来るという対応をしているようだ。

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筆者

酒井吉廣

酒井吉廣(さかい・よしひろ) 中部大学経営情報学部教授

1985年日本銀行入行。金融市場調節、大手行の海外拠点考査を担当の後、信用機構室調査役。2000年より米国野村証券シニア・エグゼクティブ・アドバイザー、日本政策投資銀行シニアエコノミスト。この間、2000年より米国AEI研究員、2002年よりCSIS非常勤研究員、2012年より青山学院大学院経済研究科講師、中国清華大学高級研究員。日米中の企業の顧問等も務める。ニューヨーク大学MBA、ボストン大学犯罪学修士。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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