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移民の国アメリカで体験する移民・難民の「現実」

日本人には分かりにくい異文化・異環境の人々との接し方を考える

酒井吉廣 中部大学経営情報学部教授

永住権取得、市民権獲得をめぐる実態

 アメリカでの暮らしが長くなると、難民と移民の差は二つの点を除いて次第になくなる。

 差がある二点のうちひとつは、難民は米国民ではないため、アメリカの政府系機関では働けないということだ。ワシントンのシンクタンクで働く場合も、少なくとも以前は、米国民かどうかで仕事の内容に違いが出ることがあった。外国人はアメリカのためではなく、自分の国のために働くという考え方に基づいており、ある意味当然である。

 ふたつ目は、難民には出入国が自由ではないという点だ。アメリカでは出国がかなり自由なため、難民のなかにはカナダなどに出国する事例がある。しかし、その場合、再入国は(法的な問題というよりも)実務的に極めて大変になる。私がいた職場の人も、それで大変な思いをした人がいる。

 従って、彼らは出来るだけ早く市民権を取ることを目指す。移民の場合も、永住権や市民権を取得するために努力する。通常は、企業などの組織に勤め、そこにサポートしてもらって永住権や市民権を獲得するというやり方をとる。しかし、現実には、それ以外の方法も様々ある。

 先月、ミシガン州の中国系アメリカ人が来年の下院議員選に共和党から立候補すると宣言したが、彼女はテレビのインタビューで、10歳の時に旅行でアメリカに来たまま不法移民として居つき、米国人と結婚したことで米国民となったと語った。実際、彼女のようなプロセスで米国市民権を獲得する例は、結構あると聞く(筆者もその例を複数知っている)。

 また、アメリカに来て子供が生まれれば、その親は永住権を取得できる。このパターンは、特に中南米からの移民に多いようだ。ちなみに、永住権取得から市民権獲得までの期間は平均して8年かかると言われている。

 なお、日本人の駐在員でも、アメリカに勤務している時に子供が生まれ、その子に将来の国籍選択の権利(18歳で日本国籍が米国籍かを選ぶ)が生じるという事例も意外と耳にする。

拡大Evgenia Parajanian/shutterstock.com

言葉の壁に苦しむアジアからの難民

 とはいえ、難民の場合は、先に述べたように準備不足のままアメリカに来ることが多いこともあり、生活はなかなか大変なのが実情だ。

 筆者がアメリカで知り合った難民にも、夫が大学教授、妻が公認会計士という夫婦がいた。どちらも英語が話せないため、最初は資格に見合った職業にまったく就けず、車の免許も簡単には取れなかったらしい。難民とわかると、それだけで差別的な扱いをする企業もあったらしい。

 幸いこのご夫妻は母国語がスペイン語だったため、ヒスパニック・コミュニティーの中で自国の人たちがつくる街に住み、英語を猛勉強し、二人ともそれなりの給与を得られるポジションについた。

 これに対し、アジアから来た難民の家族の場合、言葉の壁は高く、家族全員の生活が安定するまでにより時間がかかるようだ。ある家族は子供が4人いたが、長男と長女は高校生のうちから、生活の足しになるようアルバイトをさせられた。親戚の経営するレストランのボーイとウェートレスが急に必要になったので、すぐに早退するようにと授業中に親から電話がきて、教師が驚いたというエピソードもある。また、筆者の見るところ、アジア人の難民はヒスパニックや黒人など他の人種からも差別されている印象があり、生きていくのはとても大変だと感じた。

 ところで、難民は何度生活する国を変えても、難民に変わりはない。他の国で難民だった人はアメリカに来ても難民だ。それは、難民として生活している限り、居留国で国籍を取れないからである。従って、アメリカであれどこの国であれ、まずはそこの国籍を取得することが、彼らにとって最適な選択となる。

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筆者

酒井吉廣

酒井吉廣(さかい・よしひろ) 中部大学経営情報学部教授

1985年日本銀行入行。金融市場調節、大手行の海外拠点考査を担当の後、信用機構室調査役。2000年より米国野村証券シニア・エグゼクティブ・アドバイザー、日本政策投資銀行シニアエコノミスト。この間、2000年より米国AEI研究員、2002年よりCSIS非常勤研究員、2012年より青山学院大学院経済研究科講師、中国清華大学高級研究員。日米中の企業の顧問等も務める。ニューヨーク大学MBA、ボストン大学犯罪学修士。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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