【21】ナショナリズム 日本とは何か/最終回
2019年09月12日
ナショナリズムとは何か。私はそれを、国家、国民としてのまとまりを追い求める近代以降の現象ととらえ、この連載で幕末以降の日本を点描してきた。
きっかけは「日本国と日本国民統合の象徴」とされる天皇の交代だった。
そもそも日本を天皇が象徴するとはどういうことか。考えあぐねた私は4月からの連載に先立ち、姜尚中・東大名誉教授(69)に助言をいただいた。在日コリアン2世として、日本のナショナリズムを内と外から見つめてきた先達の言葉は、茫漠(ぼうばく)たるテーマに戸惑う私の背中を押した。
「天皇と国民は合わせ鏡です。だから新元号で『世替わり』をする時も、天皇を奉って過剰な期待を持ったり、逆に過小評価したりするのはそぐわない。国民がどういう意思を持って象徴天皇にあるべき姿を与えていくかが一番大切なんじゃないかな」
明治以降、近代国家・日本をひとまとまりの存在としてあらしめ続けようとしてきた営みは、まず「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」という形で現れ、戦後は象徴天皇と「合わせ鏡」の国民に委ねられた。そのナショナリズムをたどる旅を続けるうち、時代は令和へとかわり、数カ月が経った。
この連載を終えるにあたり、姜さんに改めて時間をいただいた。
姜さんと東京都心の喫茶店で会ったのは、夏まっさかりの頃だった。令和になって天皇と国民が「合わせ鏡」である日本をどうご覧になっていますか、と問うと、「空虚ですね。上皇(となった平成の)天皇の問題提起がスルーされた感じです」と語った。
浮かない感じで、姜さんは続けた。
「ただ、戦後の日本国民統合の象徴としての天皇とは、存在するだけでは象徴たりえず、絶えず行動を国民に示しながら象徴を作り出さないといけない。それを身も心もぼろぼろになるまでやってきたけれど、主権者である国民はどう思いますかという問題提起が生前退位でした。しかし、それが受け止められたように思えません」
「生前退位が通過儀礼のようになってしまった。悪い言い方かもしれないが、国民の側では『はやり』のようにこの改元の機会を利用し何かをして、気がつけば何事もなかったかのようだ。平成が一挙に過去になってしまったような感覚で、上皇天皇から投げられたボールをどう受け止めるかがなかなか出てこない。歯がゆい気もしますね」
令和の天皇陛下(59)の「即位の礼」は10月22日におこなわれる。姜さんの言う「空虚」には、「世替わりへの幕間」ゆえの面もあるだろう。それでも、その言葉に共感するのは、今を「空虚」に思えてしまうほど、平成の天皇陛下が生前退位に込めたすさまじい執念があったからだ。
平成の天皇陛下の生前退位は、自らが築いた「全身全霊」を尽くす象徴天皇制を維持するためのものだという突き放した見方もできる。だが、「象徴の務め」ゆえに敬われた陛下は、高齢になって「象徴の務め」のペースを緩めたとしても、国民には理解されたはずだ。そこに甘んじず、なぜ生前退位だったのか。
平成の天皇陛下は、いまわの際まで天皇であり続ける道を選んだ場合に行き着くことになる象徴天皇像に思いを致したのではないか。それが、「全身全霊」でご自身が追求してきた象徴天皇像とあまりにも異なるが故に、何としても避けたかったのではないか。
しかし、天皇がなすべき儀礼的な国事行為が並ぶ戦後憲法だけでは、国民を象徴する具体像は結ばれない。それは、戦後憲法で天皇と「合わせ鏡」となった日本国民というまとまりが、欧米列強への対抗から生まれた近代国家・日本において国籍を持つ人々ではあるが、なおぼんやりとしていることと表裏の関係にある。
明治に近代国家・日本が生まれた時、この地の人々は統治者である「万世一系ノ天皇」の「臣民」とされた。総力戦としての日露戦争あたりからは、大陸へ拡大する国家との一体感を高めた「国民」が登場する。そうした「臣民」や「国民」の意識は敗戦で一気にしぼみ、戦後も「日本とは何か」が問われ続けている。そんなことを私は連載で書いてきた。
平成の天皇陛下も「象徴の務め」を通じ、「日本とは何か」を探る姿を国民に示し続けてきた。それをもしやめてしまったらどうなるか。存在するだけの天皇を「日本国と日本国民統合の象徴」と呼ぶならば、天皇に象徴される日本という国家とその国民について、存在するのが「当たり前」であり、考えるまでもないものとみなしてしまうことになる。
平成の天皇陛下は、生前退位の意向をにじませた2016年8月のビデオメッセージでこう語っている。
「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましいあり方を日々模索しつつ過ごして来ました。(中略)日本の皇室がいかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています」
戦後憲法で「合わせ鏡」の関係になった国民に、「象徴の務め」を通じて「日本とは何か」の模索を促し続ける。そうした国民との動的な関係の中にこそ近代国家・日本と戦後の天皇制の生きる道がある。天皇は存在するだけで日本を象徴するといった静的な関係に押し込められてはならない――。
もちろん平成の天皇陛下から、そんな直截な言葉は語られなかった。しかし、「全身全霊をもって象徴としての務めを果たし」続けたまま、近代国家・日本の天皇として初めて生前退位をするという姿を国民に示すという執念を遂げた陛下の残像は、今も私の脳裏から離れない。
だからこそ、令和のいま、その執念が宙に浮いてしまったような「空虚」さを感じるのだろう。
だが、国民の側はどうか。先ほど私は「世替わりへの幕間」という言葉を用いたが、国民は平成から令和への移ろいを舞台の観客のように眺めるだけでなく、自身の日々の営みが「象徴天皇にあるべき姿を与えていく」(姜さん)という「合わせ鏡」の関係に思いを致す機会にできているだろうか。
姜さんに言われてなるほどと思った、令和の始まりに「観客のような国民」を思わせる気がかりな出来事が二つある。
ひとつが7月の参院選だ。令和最初の国政選挙で日本の行方についてどのような民意が示されるのかと思いきや、投票率は戦後2番目の低さ(48・8%)となった。改選議席で自民党も公明党も減らしたが、与党全体では過半数を占めた。低投票率に助けられたかたちだ。
姜さんは言う。「政権政党も強い民意に押されているわけではないが、野党が割れている中で過半数を取る。国民に選挙で現実を変えられるという感覚が失われていき、やればやるほど投票率が下がる。『政治からの逃走』が起きているんじゃないか。政権政党がそれを危機ではなく好都合と考えているなら、大変なニヒリズムです」
その日本語版(日高六郎訳、1951年、東京創元社)から、以下を引用する。この連載でなるべく中立的にとらえてきたナショナリズムが、なおはらむ危険への警句として。また、その危険が日本において具現化した満州事変から敗戦までを、この連載では私の力不足で触れられなかった反省を込めて。
「近代人は伝統的権威から解放され『個人』となったが、同時に孤独な無力なものになり、自分自身や他人から引きはなされた、外在的な目的の道具となった。さらにこの状態は、かれの自我を根底から危うくし、かれを弱め、おびやかし、新しい束縛へすすんで服従するようにする」(「第七章 自由とデモクラシー」より)
もうひとつが、1965年の国交正常化以来、最悪に陥った日韓関係だ。姜さんが「ここまで悪くなるとは正直予想していませんでした」と述べた詳細は、すでにこの連載の番外編、「姜尚中氏に聞く。最悪の日韓関係をつくり出すもの」で紹介した。
そこで教えられたのは、過去に不幸な歴史を共有する国家の間で、それぞれが国家、国民としてのまとまりを追い求めるナショナリズムが交錯する時、時を超えていかに深刻な事態を生むかということだった。
姜さんの見るところ、韓国のナショナリズムは途上にあり、文在寅政権は朝鮮半島の分断を克服する統一ナショナリズムを追求している。日本の植民地支配から解放された朝鮮半島の南側で韓国が生まれた1948年は、分断ナショナリズムの起点であり、北朝鮮に対する反共主義を超えた統一ナショナリズムの起点はといえば1919年になる。
日本が1910年に朝鮮半島の大韓帝国を併合した植民地支配への抵抗運動は、1919年の3月1日にソウルから始まった。この3・1独立運動こそコリアの国民国家を築く起点だと文大統領は考える。つまり、今の韓国の統一ナショナリズムには、かつて日本から植民地支配を受けた歴史が組み込まれ、慰安婦や徴用工はその象徴であり続ける。
1995年の戦後50年村山首相談話で示した植民地支配への「反省とおわび」と、「独善的なナショナリズムを排し」という決意を、何度繰り返せばいいのか。そんないら立ちが日本のナショナリズムを刺激する。
令和の始まりに影を落とした日韓問題は、「日本とは何か」を考えるこの連載でとらえるには大きすぎた。しかし逃げずに、稿を改めたい。この問題が両国において、「観客のような国民」とそれを意識する政治家たちによって、解決よりも対決を志向する悪循環に陥っていると考えるからだ。
姜さんをはじめ、じかにお話をうかがった方々や、著作を通じて片鱗に触れた歴史上の人々に導かれ、この連載の締めくくりまできた。日本のナショナリズムについて私に結論めいたことが語れるはずもないが、事実を掘り起こし、様々な見方を提示するのが生業の新聞記者として、取材を通じて考えたことをいくつか記したい。
まず、近代国家においてまとまりを追求するナショナリズムは、少なくとも日本では人為的なものだということだ。
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