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ナショナリズムと向き合う 取材の旅を終えて

【21】ナショナリズム 日本とは何か/最終回

藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

「象徴」を務め続けること

 明治に近代国家・日本が生まれた時、この地の人々は統治者である「万世一系ノ天皇」の「臣民」とされた。総力戦としての日露戦争あたりからは、大陸へ拡大する国家との一体感を高めた「国民」が登場する。そうした「臣民」や「国民」の意識は敗戦で一気にしぼみ、戦後も「日本とは何か」が問われ続けている。そんなことを私は連載で書いてきた。

 平成の天皇陛下も「象徴の務め」を通じ、「日本とは何か」を探る姿を国民に示し続けてきた。それをもしやめてしまったらどうなるか。存在するだけの天皇を「日本国と日本国民統合の象徴」と呼ぶならば、天皇に象徴される日本という国家とその国民について、存在するのが「当たり前」であり、考えるまでもないものとみなしてしまうことになる。

拡大1872年、近代国家・日本のあり方を探って訪米した岩倉使節団。右端が大久保利通、隣が伊藤博文、左端が木戸孝允=朝日新聞社
 それは、幕末・維新で急ごしらえした近代国家の舵取りに努めて150年、なお続く「日本とは何か」の模索からの退行ではないのか。戦前は欧米列強に伍して生き抜くため、戦後は主権者たる国民の幸福追求のために、曲折を経ながらもひとまとまりの国家としてあり続けようとしてきた営みからの逃避ではないのか。

 平成の天皇陛下は、生前退位の意向をにじませた2016年8月のビデオメッセージでこう語っている。

 「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましいあり方を日々模索しつつ過ごして来ました。(中略)日本の皇室がいかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています」

 戦後憲法で「合わせ鏡」の関係になった国民に、「象徴の務め」を通じて「日本とは何か」の模索を促し続ける。そうした国民との動的な関係の中にこそ近代国家・日本と戦後の天皇制の生きる道がある。天皇は存在するだけで日本を象徴するといった静的な関係に押し込められてはならない――。

 もちろん平成の天皇陛下から、そんな直截な言葉は語られなかった。しかし、「全身全霊をもって象徴としての務めを果たし」続けたまま、近代国家・日本の天皇として初めて生前退位をするという姿を国民に示すという執念を遂げた陛下の残像は、今も私の脳裏から離れない。

「政治からの逃走」

 だからこそ、令和のいま、その執念が宙に浮いてしまったような「空虚」さを感じるのだろう。

拡大全国戦没者追悼式で「おことば」を述べる天皇陛下と、皇后さま=8月15日、東京・日本武道館。朝日新聞社
 平成の天皇陛下が30年以上かけて探った国民との「合わせ鏡」の像を、即位間もない令和の天皇陛下に現すよう求めるのは酷だろう。そして、戦没者の慰霊や被災地の慰問といった、平成の天皇陛下が心を砕いた「象徴としての務め」は受け継がれていくだろう。

 だが、国民の側はどうか。先ほど私は「世替わりへの幕間」という言葉を用いたが、国民は平成から令和への移ろいを舞台の観客のように眺めるだけでなく、自身の日々の営みが「象徴天皇にあるべき姿を与えていく」(姜さん)という「合わせ鏡」の関係に思いを致す機会にできているだろうか。

 姜さんに言われてなるほどと思った、令和の始まりに「観客のような国民」を思わせる気がかりな出来事が二つある。

 ひとつが7月の参院選だ。令和最初の国政選挙で日本の行方についてどのような民意が示されるのかと思いきや、投票率は戦後2番目の低さ(48・8%)となった。改選議席で自民党も公明党も減らしたが、与党全体では過半数を占めた。低投票率に助けられたかたちだ。

 姜さんは言う。「政権政党も強い民意に押されているわけではないが、野党が割れている中で過半数を取る。国民に選挙で現実を変えられるという感覚が失われていき、やればやるほど投票率が下がる。『政治からの逃走』が起きているんじゃないか。政権政党がそれを危機ではなく好都合と考えているなら、大変なニヒリズムです」

拡大7月21日、参院選で当選者の名に花をつける安倍首相=自民党本部。朝日新聞社
 「政治からの逃走」とは、選挙に象徴される「政治的自由からの逃走」と言え、ドイツ出身の社会心理学者エーリッヒ・フロムが唱えた「自由からの逃走」に通じる。近代国家において平等な国民として自由を得たはずの人々がなぜ、全体主義に屈したのか。フロムは第2次世界大戦のさなかに著した同名の書でナチズムを分析した。

 その日本語版(日高六郎訳、1951年、東京創元社)から、以下を引用する。この連載でなるべく中立的にとらえてきたナショナリズムが、なおはらむ危険への警句として。また、その危険が日本において具現化した満州事変から敗戦までを、この連載では私の力不足で触れられなかった反省を込めて。

 「近代人は伝統的権威から解放され『個人』となったが、同時に孤独な無力なものになり、自分自身や他人から引きはなされた、外在的な目的の道具となった。さらにこの状態は、かれの自我を根底から危うくし、かれを弱め、おびやかし、新しい束縛へすすんで服従するようにする」(「第七章 自由とデモクラシー」より)

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筆者

藤田直央

藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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