2019年09月10日
8月の終わりに光州に行った。ソウルから高速鉄道で約2時間半、この街は日本でも一部の人にはよく知られている。昨年、日本でも公開された韓国映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』の舞台、この街で韓国軍は民主化を求める市民に発砲し、多くの無垢の命を奪った。1980年5月、今から40年近く前のことだ。
軍に包囲されて孤立した光州市民は、わずかな期間ながらも自治コミューンを実現させた。多くの犠牲を出しながらも、それはこの街の人々の誇りになっている。「この国の民主主義の土台をつくったのは我々だ」――おそらく、他の地域の人々よりも、光州市民にはそのことに対する強い自負心がある。
それもあって、歴史的に革新勢力が強い。先の大統領選挙でも光州・全羅南道地域では、文在寅大統領の得票率が全国平均よりも20%も高かった。
光州に行った目的は、この1980年の記録が展示された「5・18民主化運動記録館」を見るためだった。様々な資料はユネスコ世界記録遺産にも指定されている。学生の日記、手書きのメモ、ガリ版刷りのビラ――市民の生き生きとした記録と、当局によって真っ赤に検閲された新聞のゲラ。解説の若い女性は、日本人である私の前でも、当時の韓国政府と軍への激しい批判を躊躇しなかった。この人たちにとって、政府と市民を区別するのは、ものすごく自然なことである。
「私たちは日本や日本人ではなく、安倍政権を批判しているんです」
昨今の「日本ボイコット運動」で、繰り返し語られるこの言葉。時の政府と戦って民主主義を勝ち取ってきた歴史を持つ人々にとって、それは「当たり前」なのだと思う。
この記録館で日本の大学生に会った。日韓関係の悪化で、双方の訪問客の減少が心配される中、ソウルや釜山でもない地方都市に、日本の若者が来ているとは! 嬉しくなって話しかけてみたら、大学で韓国語を習っているグループだという。女子が26名、男子が2名と、男女差はくっきり。ちょうど帰りがけのところで、記録館の代表が通訳を通して学生たちに最後の挨拶をしていた。
「今のこの時期に、韓国に来てくれてありがとう。本当に嬉しいです」
その笑顔に少し違和感を覚えた。
違和感の正体がわからないまま、他の5・18関連施設を見学し、旧道庁近くの食堂で遅めの昼食をとった。南原(ナムォン)の名物料理チュオタン(ドジョウ鍋)。全羅南道は韓国随一の食処でもあり、どんな用事で来ようとも、三度の食事が楽しみになる。
時間帯のせいか客は少なく、店主はしきりにこちらを気にしている。地方都市ではまだ女性の一人客は珍しいのだろう、やがて話しかけてきた。
「ひょっとして、日本人ではないですか?」
一呼吸おいて、そうだと答えると、店主は「アイゴー、カムサハムニダ」(おおー、ありがとうございます)という。その上で、料理のおかわりをすすめる。食には気前のいい全羅南道だからかなと思って、好意に甘えると、さらに他のおかずまで持ってくる。
「もうお腹がいっぱいだから」と辞退しながら、いくらなんでもこれは親切すぎると思った。さらに驚いたのは、
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