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日本政治を呪縛した「改革」の号砲

平成政治を問い直す【2】政治改革の「必然性」と陥穽

大井赤亥 東京大学非常勤講師(政治学)

政治改革に向けたエネルギー

 「改革の政治」とは、すなわち「守旧保守」から「改革保守」への保守政治の自己脱却であった。政治が大きな構造転換をなしとげる際は、強力なリーダーシップが必要とされる。したがって、「改革の政治」は、二大政党と政権交代をもたらす政治手法の改革、すなわち政治改革として始まった。

 政治改革の端緒は竹下政権に遡る。竹下登は、気配りと配慮で官僚の操縦術を身につけた「調整型政治の完成者」(佐道明広)であり、利益配分政治を代表する政治家であった。

拡大民間政治臨調主催の「政治改革を求める国民集会」。共産党を除く当時の与野党の国会議員188人が署名した衆議院中選挙区制度の「廃止宣言」が、自民党の赤城宗彦議員によって読み上げられた=1992年11月10日、東京・日比谷

 しかし、竹下政権末期の自民党は「守旧保守」の行き詰まりを示していく。その兆候が第一に消費税であり、十分な税収を得られぬまま利益配分を継続しようとすれば新たな財源を求めなければならず、1989年、竹下は政権の命運を賭けて3%の消費税を導入。これは有権者からの強い反発を招き、ここに「守旧保守」の支配は隘路に陥ることになった。

 「守旧保守」の行き詰まりは第二に金権腐敗であり、1988年に発覚したリクルート事件は政治改革の号砲となった。冷戦終焉によって自民党の汚職にはこれまで以上に厳しい目が向けられ、消費税導入に伴う納税者意識もそれを促進していった。

 1992年、内田健三や佐々木毅らを中心として「政治改革推進協議会(民間政治臨調)」が結成され、政治改革は政治エリートのあいだでにわかに高揚する。政治改革の機運は、中選挙区制が諸悪の根源であるという「中選挙区制元凶論」に結びつけられ、民間政治臨調は選挙制度改革をめぐり与野党の合意形成の場を提供する圧力機関として機能していった。

 1992年11月、民間政治臨調は日比谷公園に4000人の聴衆を集めて「政治改革を求める国民集会」を開催。この集会のクライマックスは「中選挙区廃止宣言」が拍手で採択されたシーンであった。若手議員の赤城徳彦によって朗読された「中選挙区廃止宣言」は、冷戦崩壊という「歴史的な激動」から筆を起こしつつ、日本の「議会制民主政治の崩壊」への危機感を表明し、政治家の「歴史に対する責任」を意気軒昂に謳いあげるものだが、現状閉塞の原因は何ゆえか「いまや制度疲労の極限に達した中選挙区制度」にのみ押しつけられ、「われわれは、ここに、歴史的な使命を終えた中選挙区制度との決別を決意」すると結ばれている。

 後知恵で見れば、この宣言は政治改革という「熱病」に罹患した当時の政治エリートの気負いを象徴的に示すものであり、自分たちが党派を超えて「改革」に挑まなければ日本が沈没するという焦燥感を漲らせながら、とはいえ各自の使命感は行き場もなく放出され、そのエネルギーが発散先を求めて渦巻いているのだった。

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筆者

大井赤亥

大井赤亥(おおい・あかい) 東京大学非常勤講師(政治学)

1980年、東京都生まれ、広島市育ち。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。現在、東京大学の他、法政大学、成城大学、昭和女子大学、東京理科大学で講師を務める。著書に『ハロルド・ラスキの政治学』(東京大学出版会)、共著書に『戦後思想の再審判』(法律文化社)など。

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