伊東順子(いとう・じゅんこ) フリーライター・翻訳業
愛知県豊橋市生まれ。1990年に渡韓。著書に『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)等。
前回書いたのは、光州市のメインストリートを埋め尽くす、日本批判の横断幕のことだ。
「反省も謝罪もない不良国家日本打倒!」「ボイコットジャパン 行きません 買いません 歴史的真実を否定する日本打倒!」のような文字列。
韓国で長く暮らした私は、韓国語を読むのも聞くのもほとんど苦労しないが、でも、急いでいる時は文字が目に入らない。母国語ではないため理解にワンクッションあり、自分に辛い言葉でも痛みが緩和される。母国語と外国語、ネイティブと第2言語の差は、方言などにも似ている。
理解のために別の例をあげると、西日本には女性器を表す「ボボ」という言葉があるそうだ。中部地方出身の私は今それを書くのになんら抵抗はないのだが、ネイティブの人々は違うらしい。大昔、ボボ・ブラジルというレスラーがいた頃の話を、九州出身の友人から聞いたことがある。「少年たちは、その名前だけで興奮した」という。
人によってグラデーションはあるにしろ、やはりネイティブと後から学習した人では言葉が持つ感情の伝わり方に差がある。そこで私は「もし、これが全て日本語だったらどうだろう? 日本語で『日本打倒』と書いてあったら? 私は平常心でここを歩けなかったかもしれない」と書いた。
そこで考えたのは、ここで生まれた在韓日本人の子どもたちのことと、日本で生まれ育った在日コリアンのことだ。彼らのほとんどが、現地語がネイティブのマイノリティである。
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