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野球がなかったタンザニアで“甲子園”が始まった

野球人、アフリカをゆく(12)アフリカでの野球伝道のための3ステップ(映像あり)

友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

拡大2014年2月に第一回タンザニア甲子園大会が開催され、ダルエスサラームから2校、地方から2校、全4校が参加した。(筆者提供)

<これまでのあらすじ>
危険地南スーダンに赴任した筆者は、ガーナ、タンザニアでの野球の普及活動の経験をいかし、3か国目の任地でも首都ジュバ市内に安全な場所を確保して野球教室を始めた。初めて野球を目にした子供たちとの信頼関係も徐々にできてゆく。ようやく試合ができるレベルになってくると、試合前に整列して礼をする日本の高校野球の形を導入していった。こうした野球哲学が形成されたのはタンザニアだった。

タンザニア野球連盟を訪問して

 人口430万人。東アフリカの大国、タンザニア連合共和国の経済首都、ダルエスサラームは巨大な街だ。2018年12月上旬、私は南スーダンの職場を4日ほど休み、タンザニアに向かった。

 首都ジュバ国際空港を夕方17時過ぎの便で出発し、エチオピアのアジスアベバ経由でダルエスサラームのジュリウス・ニエレレ国際空港に着いたのは午前3時。直線距離では2000キロ弱。札幌から博多くらいの距離なのだが、直行便がないのでトランジットを入れて10時間もかかる。到着後、いったん宿泊先のホテルにチェックインし、仮眠をとったあと、借り上げた運転手付きレンタカーで午前9時にホテルを出発した。

拡大経済成長著しいタンザニアの経済首都ダルエスサラームの近代化した街並み。(筆者提供)
 朝から大粒の汗が噴き出るほど暑い街は、車と行きかう人々の喧噪ですでに活気に満ちていた。オフィス街を見渡すと、スーツ姿、伝統的な民族衣装姿、Tシャツに短パンサンダル姿などバラエティにあふれている。見上げると首が痛くなる近代的な高層ビル群の間に古めかしいビルが並ぶ。南スーダンの首都とはいえ田舎町のジュバから来た者からすると、「お上りさん」状態でめまいがしそうだ。

 車は5分くらいで目的地についた。近代的に見える10階建てのオフィスビルの8階までエレベーターで昇り、エレベーターホールから廊下を進む。いくつかドアの前を素通りし、とある部屋のドアをノック、開けながら「ハバリ・ザ・アスブヒ」(スワヒリ語で「おはようございます」)と声をかけた。

 「オー!ミスター・トモナリ!!カリブサーナ!(ようこそ!)」

 快活な大きい声で反応したのは、タンザニア野球連盟のンチンビ事務局長だ。小柄で小太りだが、黒光りする丸顔は表情豊かで存在感がある。

 「今日はエレベーターが動いてくれて助かったよ!」という私に、「ガハハハハ」と豪快に笑いながら「昨日はビルの電気が止まっていたから、今日はラッキーデーだよ」と言い、6帖くらいのオフィスの奥にある執務机から立ち上がった。満面笑みの心底嬉しそうな表情で、何度も「カリブ、カリブ」(ようこそ、ようこそ)と言いながら近づき、握手の後、がっちりとハグしてきた。


筆者

友成晋也

友成晋也(ともなり・しんや) 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

中学、高校、大学と野球一筋。慶應義塾大学卒業後、リクルートコスモス社勤務を経てJICA(独立行政法人国際協力機構)に転職。1996年からのJICAガーナ事務所在勤時代に、仕事の傍らガーナ野球代表チーム監督に就任し、オリンピックを目指す。帰国後、2003年にNPO法人アフリカ野球友の会を立ち上げ、以来17年にわたり野球を通じた国際交流、協力をアフリカ8カ国で展開。2014年には、タンザニアで二度目の代表監督に就任。2018年からJICA南スーダン事務所に勤務の傍ら、青少年野球チームを立ち上げ、指導を行っている。著書に『アフリカと白球』(文芸社)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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