自己規制というプロフェッショナルリズムの限界。国民・行政も参加の共同規制の時代へ
2019年09月23日
「医療不信」という言葉が世間を席巻した1990年代後半から2000年代前半の日本とイギリス。ただ、そこから歩んだ改革の道のりは違いました。イギリスは、医師による二つの事件をきっかけに、プロフェッショナルリズムの根底にある「自己規制」で起きていた緩みを検証し、国民や患者、行政機関を含む「共同規制」として、医師免許の更新制の導入に至りました。そのプロセスを知ることを通じて、日本の医療改革を多様な人たちが考えるきっかけになればと思い、医療政策に詳しい政治学者、石垣千秋さんにリポートしてもらいます。(「論座」編集部)
筆者からおことわり
今回のシリーズの目的は、福祉国家と言われたイギリスの変遷を論じることにあり、政治や社会のどのような出来事が契機となって変動が起きたかを年代順に書いています。そのため、記事に出てくるその時々の制度と現在の制度は異なっている部分もあります。また、記事中の「GP」はイギリスで「Home doctor」として親しまれており、日本語で「家庭医」などと訳すことがありますが、今回のシリーズでは従来の訳に従い「一般医」としています。筆者として、なるべく中立的に制度を伝えるためです。
イギリスの医師の組織は、職能団体、医学会ともに社会保障の歴史よりもはるかに古く、そして国民保健サービス(NHS)の改革の過程で最も大きな変革を迫られた組織とも言える。
日本では、江戸時代まで中国に由来する漢方薬の処方を主として行う漢方医を中心とした医学が発展しており、西洋医学は江戸時代の鎖国中に出島があった長崎にオランダから流入し、徐々に広まっていた。杉田玄白らが日本語に翻訳した『解体新書』を小中学校の歴史の時間に学習したことを覚えているだろう。
明治時代に入り、開国とともに西洋諸国から西洋医学が流入し、伝統的な漢方医と西洋医学を学んだ医師たちの激しい対立の末、1874年の「医制」の発布(東京・京都・大阪の三府)により、日本でも西洋医学を基本とした医師免許制度が整備された。
西洋諸国では、科学が発展するにつれて、医学は「科学」として体系を整え、医師も科学者としての地位を獲得してきた。医学史におけるイギリスといえば、ロンドンの中心部でコレラの発生源の井戸をつきとめたジョン・スノーや看護学の基礎を築いたF.ナイチンゲールがよく知られている。
イギリスで現存する最も古い医師の団体は内科学会であり、1518年に王立憲章によって国家から承認された。外科の起源は床屋にあり、外科学会は床屋組合から分離して1745年に設立された。医師の代表的組織である医師会は、1832年に設立された団体が起源である。ジョン・スノーやナイチンゲールの活躍より20年ほど前のことだ。
医師会は、医学の振興という目的と同業者の利益を共有する団体であり、現在では主に一般医(GP)の利益を代表する団体と理解されている。これら三つの団体のうち、内科、外科の両学会は表立って政治的行動を行うのは好まないともいわれるが、医師会と共に政治的にも強い発言権を有しており、NHS設立期のベヴァン保健相やNHS改革時のサッチャー首相も3団体の利害が一致し、強力な団結力を発揮しないように巧妙な策を講じてきた。
シリーズ「あなたは『ゆりかごから墓場まで』を望みますか?」はここから
医師会は、主に診療所の利益を代表する団体という点では、日本医師会と共通する性質を持っているが、イギリスの医師会の上位には医師という専門職を規制する別の組織が存在する点で日本医師会とは異なる。それが、1858年の医療法の成立によって設立された中央医師評議会(General Medical Council:以下、GMC)だ。
GMCは、医学教育カリキュラムの認証、医師登録のほか、医師の診療継続の適切性について審査を行い、懲戒権を有する。つまり、医師の自己規制機関だ。懲戒の中で最も重い処分が医師免許のはく奪である。
イギリスには、このような医師の評議会のほか、建築家、エンジニア、看護師など9職種に同種の評議会があり、同業者の質と国民に対する安全を保障している。これらの団体は議会ではなく、枢密院に説明責任を有する。議会を通じて国民に対する説明責任が想定されている現代民主主義の中では異質の存在である。
同業者の自己規制よって身分が保障され、国家の介入をも認められていない職種は「プロフェッショナル」と呼ばれ、特に英語圏の社会科学では多くの研究成果がある。
イギリスで医師になるには、GMCの認証を受けた大学医学部の課程を修了することが求められ、少なくともGPになるためには日本のような医師国家試験は存在しない。ただし、主に病院で勤務する専門医になるためには、各学会が実施する試験の合格が必要な場合がある。
イギリスの国籍を持たない移民やEU出身者の場合でも、雇用先が決まっており、診療実施のための英語力、医学知識が十分であるとGMCに認められれば医師登録を行い、診療を行うことができる。実際、イギリスの医師の国籍は多様性に富み、旧植民地だったアジア諸国やEU域内出身の医師の割合が21%に達している。イギリスの国籍を持つ医師の場合と同様、診療に際してはGMCの、日本での(いわゆる)療養担当規則にあたる「Good Medical Practice」に従うことが求められる。
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