メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

モンスター・中国の世界的脅威と日本がすべきこと

かつて鄧小平の改革開放に期待した世界的経済学者コルナイ・ヤーノシュは今、何を思う

吉岡桂子 朝日新聞編集委員

世界を揺るがせた1989年のふたつの事件、中国が民主化を求めて街を出た市民を戦車で弾圧した天安門事件と東西ドイツを隔てていたベルリンの壁の崩壊から、30年が過ぎました。主著のひとつで80年に出版された『不足の経済学』で、国境を超えて社会主義圏で体制改革を目指す知識人らに大きな影響を与えたハンガリーの経済学者コルナイ・ヤーノシュ氏(91)は今、何を思うのか。ブタペストの自宅で話を聞きました。かつて鄧小平氏が進めた改革開放に期待を寄せていた社会主義研究と移行経済の泰斗は、建国70周年を迎えて膨張を続ける中国を「モンスター」と呼んでいました。(聞き手 吉岡桂子・朝日新聞編集委員)

インタビューにこたえるコルナイ・ヤーノシュ氏=ハンガリー・ブタペストの自宅で

コルナイ・ヤーノシュ 1928年ブタペスト生まれ。共産党機関紙記者、科学アカデミー経済研究所研究院などを経て、1980年代半ばから2002年までの教壇に立ち、現在も名誉教授。現在はハンガリー在住。主著に『反均衡の経済学』『不足の経済学』『社会主義システム』など。80年代以降、中国の市場改革派の官僚や経済学者に理論的な影響を与えてきた。

十把一からげにはできない民主主義の国々

――民主主義と市場経済の勝利にわいたはずの欧州を初めとする西側諸国は、債務危機や英国の欧州連合(EU)からの離脱「ブレグジット」などで混乱しています。アメリカにはトランプ政権が誕生し、その「一国主義」に世界が振り回されています。民主主義は、ほんとうに勝利したのでしょうか。

 民主主義の国々を十把一からげにした一般的な説明はできません。それぞれの国にそれぞれの歴史があり、成長のスタイルがあります。まず、1990年より前から民主国家だった国々と90年以降に民主化された国をわけて考えるべきです。前者の代表でもあるアメリカは、トランプ氏が大統領になっても、民主主義のすべての要素を備えています。野党と自由な言論機関が存在しています。議会の下院では野党が強く、言論機関も大統領を毎日批判しているでしょう。

 後者の、共産主義国家から民主化した国はアメリカと同じ民主主義ではありませんし、欧州のすべての国が民主化したわけではありません。ハンガリーやポーランドは中間にあります。リベラルな民主主義はないが、全体主義の独裁でもない。

 わがハンガリーについていえば、特殊な専制政治です。中央の権力ががっちりとしている。法的な野党は存在しますが、政権交代する機会は事実上、ありません。(旧ソ連だった)ロシアはむしろ、全体主義の独裁に向かっています。

民主的な原則を守る手段をもつEU

コルナイ・ヤーノシュ氏=ハンガリー・ブタペストの自宅で

――体制のせめぎ合いは今なお続いている、と。ハンガリーはチェコやスロバキアとともに2004年、欧州連合(EU)にも加盟しました。EUには欧州のさまざまな体制が同居しているわけですね。

 ハンガリーがEUに入ったのは正しい選択でした。EUは少なくない困難に直面していますが、私は今もそう考えています。EUは欧州の国々のあいだの対立や戦争に抗する力強い手段になっています。

 もちろん、すべての地域をひとつの政府が統治する欧州合衆国は、誰も望んでいない。そんな極端な中央集権をとらなくても、EUは民主的な原則を守り、協力の土台を築いていく手段をもちあわせています。「ブレグジット」は不幸な出来事です。英国はEUのメンバーでいるコストと離れるコストの計算を表面的にしかできなかったのでしょう。

古いタイプの経済システムに戻りつつある中国

――一党独裁を続ける中国は高成長をとげ、世界第二の経済大国となりました。コルナイ教授は1985年に中国政府系シンクタンクと世界銀行に招かれ、のちにノーベル賞を受賞したジェームス・トービン氏らと中国に1カ月滞在し、趙紫陽首相を筆頭とした当時の高官らに経済を講義しました。国営企業改革もテーマだったそうですね。

 中国について言えば、ポスト毛沢東の初期はすばらしい速度で成長しました。中国の長年にわたる高成長は、市場改革によってなしとげられたものです。しかしここ数年、その高成長は減速しています。同じ発展段階にある他の新興国の成長率と変わりません。

 中国というモンスターが野心を膨張させて世界に脅威を与えています。その(力の)前提にあるのは、市場化によって牽引されてきた高成長がもたらした経済力です。ところが現在、市場改革は後退し、中央がコントロールする古いタイプの共産体制のもとでの経済システムに逆戻りしつつある。

――中国の体制では、自由な発想が生まれずイノベーションは難しいとコルナイ教授は指摘してきました。ただ、今の中国を見ると、AIなどで世界に先んじる開発力をみせるようになっています。それは米国にも脅威を与えています。

 中国発のイノベーションは、どこまでオリジナルなものでしょうか。それほどないでしょう。一見「中国発」と見えるものも、実はそうではない。アメリカ、ドイツ、日本、スイスで創造されたものをうまくまとめあげて、すばやく追いついてきたといえます。

 中国の将来について答えることにはためらいがありますが、私は政治の深い変化がなければ成長が難しいということが、いずれ分かると思っています。当面は投資をもっと増やすことで成長を維持していく可能性も排除できませんが……

中国の華為技術(ファーウェイ)のスマホの広告。華為はハンガリーにも拠点を持ち、同社のスマホも人気がある。米国の同社への批判を気にする消費者は少ない=2019年7月19日、ブダペスト、吉岡桂子撮影

日本は対中国の規制を練り上げよ

――中国の体制がこのまま続くかどうか、結論は出ていないということですね。ですが、中国は経済力を駆使して、自らの体制を「輸出」しているようにもみえます。たとえば、権威主義的な政権が続くカンボジアに対して、EUが経済制裁をしても、その穴を埋めるように中国が資金援助します。ハンガリーのオルバン政権に対しても、中国は同様の動きをしています。

コルナイ・ヤーノシュ氏=ハンガリー・ブタペストの自宅で
 カンボジアについては私は知りませんが、中国がハンガリーと関係を深めている狙いは明らかです。中国が世界の覇権を獲得するように動くために、ハンガリーは使い勝手がいい。EUのメンバーであるハンガリーを動かすことを通じて、中国は間接的に欧州クラブの一員になれる。ハンガリーと中国の高官は偏狭で非民主的な政治体制をたたえあい、他の体制は両国において機能せず、入りこめやしないと強調しあっています。

 米国は、中国と他の国々、EUなどの共同体との関係を規定できるほどの力はありません。そもそもEUは国々の連合体ですから、それぞれの国ごとに対中政策を持っています。

 日本についていえば、中国の成長を邪魔しようとはしないほうがいい。しかし、その一方で対中国への規制を注意深く練り上げるべきでしょう。野心の膨張に資するような関係はブロックすべきです。たとえば、軍事目的に使われるモノを製造したりサービスを提供したりする中国企業に、日本は投資すべきではない。中国人留学生を受け入れるのはいいですが、サイバーをふくむ武器作りにつながるような講義には参加を許すべきでないと思います。

心配な中国の指導者の野心

――これからの30年をどうみますか。

 現在の中国の指導者たちの野心は、世界でヘゲモニーを握る地位を占めることです。私は「予言者」ではないので、そのゴールが実現されるかどうかは分かりません。

 ただ私は、彼らのもくろみが失敗し、世界に根を張っている民主主義が崩れてしまわないことを祈っています。

中国製品を売買する「商城」に設けられた中国風の門。貿易に携わる中国人は1990年からハンガリーに根を張る。近年は「一帯一路」戦略で中国国有企業が鉄道などインフラ建設にも関わるようになった=2018年12月4日、ブダペスト、吉岡桂子撮影