2019年09月20日
9月3日(火) 午前、「報道特集」の定例会議。テレビの嫌韓報道止まず。法務大臣候補のチョ・グク氏をめぐって。イケメンでテレビ映えがするとか。文在寅大統領の最側近と盛んに報じられている。娘の不正入学などのスキャンダルなどをめぐって、これでもかとばかり日本のテレビが、特にワイドショーが詳報している。今日の午前2時まで10時間以上の疑惑打ち消し記者会見を行ったらしい。日本のワイドショーのノリは韓流ドラマをみているような感じ。きのう発売の「週刊ポスト」の嫌韓特集が度を超えているとの批判を受けて発売当日に(つまり昨日)おわびしたらしい。「韓国人という病理」はアウトだろう。
13時、T。その後、宮内鎭雄さんから薦められていた草間彌生を描いたドキュメンタリー映画『草間彌生∞INFINITY』(アメリカ映画。ヘザー・レンズ監督)をみる。なかなか素敵な作品だった。特にアメリカ時代の草間さんの苦闘をここまで赤裸々に描いた作品はないのではないか。草間さんを一方的に持ち上げる作品ではない。個人的には、フジテレビギャラリーで彼女の作品を展示した日本人キュレーターの慧眼に敬意を表したいと思った。20年以上前に草間さんを取材して当時の『筑紫哲也NEWS23』の特集で放送したことがある。その時の記憶がよみがえってきた。自室をお訪ねしたら、とても沈んでいらした。そのことを強烈に覚えている。たしか「幸福論」という連作のなかの一つだったな。
そのまま映画をハシゴする。イランの少女更生施設に収容されている少女たちを描いたドキュメンタリー映画『少女は夜明けに夢をみる』(メヘルダード・オスコウイ監督)。このような映画の撮影対象は、国家(=イラン)がすすんでは見せたくないのではないか。ところがオスコウイ監督は深く彼女らに入り込んで、少なくともカメラの前で自在に語らせていた。撮影許可が下りるまで7年かかったという。施設内の少女たちはどこかカメラを意識して「演じている」ようにみえる箇所もあったが、それにもかかわらず、彼女らが深い悲しみを抱えていることが伝わってくるのだ。
「ゴゴスマ」というワイドショーで日韓対立に関して度を超えた発言があったらしい。武田某という大学教授のコメンテーターらしいが、その後も同番組で、東国原英夫氏がスタジオ内の金慶珠・東海大学教授に対しこんなふうに発言した。「黙ってろ、お前は。黙っとけ。この野郎、喋り過ぎなんだよ、お前。僕ね、あの人が来たらね、欠席しようと……事前に言ってよ。今度ね」。
9月4日(水) 朝、早起きしてプールへ。いつもの半分くらい泳ぐ。局で某プロジェクト打ち合わせ。今週の特集が両親による幼児虐待をやることになって、急遽あした鹿児島に行くことになった。
毎日新聞のコラム原稿。日韓の対立を煽って数字を上げようというメディアのさもしさについて書く。「クレスコ」の原稿。香港の若い世代の「蜂起」をめぐって。
夕方のニュースをみていたら、ジャニー喜多川氏を偲ぶ会と、韓国の「玉ねぎ男」ネタを延々と放送していた。夜の10時から、ESPAでKさん。
9月5日(木) 朝日新聞に日産の西川CEOの株価連動報酬の「不正」取得の件が出ているではないか。驚いた。「週刊現代」のコラム原稿を書く。
朝、7時40分の便で鹿児島へ。危うく乗り遅れそうになる。ターミナルビル内を走った。ちょっと眠い。機内で眠る。午前9時半に鹿児島着。そのまま、KディレクターとMカメラマンらと出水市へ車で移動。1時間半の道行き。若い母親の女児が同居人の男性に暴行され死亡した事件の現場へ。
事件の発生は8月27日。出水市のそのアパートは周りが穂をたわわに実らせた田んぼに囲まれている。のどかな場所だ。湧水があってタニシが大量発生していた。トンボが飛び交っている。お天気がいい。日差しがとても強い。逃げ場がない屋外なのでジリジリ日焼けしていくのがわかる。若い母親と4歳の女児は7月に薩摩川内市から引っ越してきてこのアパートに住んでいたとのこと。同居している男は21歳の建築作業員。近所の人々もほとんど付き合いさえない。
行政機関の出水市役所に赴く。担当者が取材に応じたが「ネグレクト案件を薩摩川内市から引き継いだ」とそっけない。薩摩川内で、すでに女児からはSOSの強い兆候が発せられていた。母親のネグレクトも把握されていた。その後、出水市には病院から女児のあざの報告も届いていたはずだ。引っ越しにともなう行政、児童相談所、警察などの連携の悪さ。
薩摩川内市に移動して、以前の住まいのアパートの近隣を取材して回る。すぐ近くの高齢者向けのケア施設の看護師さん(女性)から話を聞くことができた。死亡した4歳の女児は夕刻、自宅からひとり屋外に出て「ママ、ママ」と泣いていたことがたびたびあったという。不憫に思って施設に何度か保護した。ジュースを飲ませたりしたという。そこに母親が迎えに来て、それ以上は突っ込んで介入しなかったと悔やんでいた。若い母親はいわゆる「ラウンジ」で働いて生活費を稼いでいたようだ。薩摩川内には原発作業員が多くいて、それなりに水商売が栄えている。僕らが投宿したビジネスホテルも原発作業員らしき人たちが多く宿泊していた。
地元MBC(南日本放送)のOさんに連絡して遅い夕食にお付き合いしていただいた。さすがに非常に細かく取材をされていた。話が弾んで、気象庁の限界やら三島由紀夫のことまで2時間あまり、脈絡なく話を続けた。
9月6日(金) 取材の追加がもう必要ないとの判断で、虐待の取材はいったん終了。薩摩川内から18分で水俣に行けるので、僕は取材クルーと別れて、水俣のMさんに会いに行くことにする。Mさんには水俣病の取材でかつてお世話になった。さっそく連絡を入れてお会いすることにする。九州新幹線は便利だ。JR北海道の惨状を思えば、鉄道の大切さを思わずにいられない。
せっかくの時間を利用して水俣病歴史考証館(相思社)に行く。
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