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汚染水/処理水と原発事故裁判が示す不都合な現実

議論を呼ぶ海洋放出問題。問われない東電旧経営陣の責任。原発の現実を今一度直視せよ

米山隆一 衆議院議員・弁護士・医学博士

内堀雅雄福島県知事(左)と面会する小泉進次郎環境相=2019年9月12日、福島県庁

 9月11日の内閣改造で環境大臣に就任した小泉進次郎氏が、前任大臣の原田義昭氏が原発の汚染水・処理水について「海洋放出しか方法がない」とした発言について、福島で陳謝して事実上撤回するとともに、汚染水/処理水の問題は環境省の所管外と発言。これに対し、松井一郎・大阪市長が「科学が風評に負けてはだめだ」と述べ、科学的に安全性が証明されれば「大阪湾での放出を受け入れる」旨の考えを示すなど、トリチウムを含む福島第一原発の汚染水/処理水の問題が議論を呼んでいます。

 さらに9月19日には、東京電力旧経営陣に対して福島第一原発事故の責任を問う刑事裁判の第一審で東京地裁が無罪判決を出し、話題となりました。私は、この二つの出来事は原発事故に関する極めて不都合で、しかし重要な現実を私たちに突きつけていると思います。そこで、今回はこれを論じたいと思います。

汚染水/処理水で海洋放出を考えざるを得ない理由

 まず汚染水/処理水問題です。議論はあるでしょうが、率直に言って、この問題に対する我々の実質的な選択肢は二つしかありません。一つは「放射能が減衰するまで保管(その後、海洋放出)」、もう一つはまさに話題となっている「海洋放出」です。

 「海洋放出」と言うと抵抗がある人もいるかもしれませんが、私がこれを実質的選択肢の一つと考える最大の理由は、「汚染水/処理水が安全だから」ではありません。「今なお、汚染水の発生を止める事ができないから」です。

 最大時の三分の一になったとはいえ、汚染水は今なお1日170㌧(経産省資源エネルギー庁のHP)、年間で6万2千㌧も発生し続けており、止めるメドは立っていません。つまり、今なお原発事故を収束するメドは立っていないのです。

 永続的にこれだけの量の汚染水が発生し続け、無限に保管場所を増やし続けることができない以上、どこかの段階で何らかの形で放出に至らざるを得ないことは、よしあしに関わらない論理的に必然の結果であって、これを回避することは不可能です。

50年間保管にかかる費用は2千億円

福島第一原発に並ぶ汚染水の貯蔵タンク=2019年7月10日、福島県大熊町、本社機から

 幸いにしてトリチウムの半減期は12.3年と短く、50年間程保管すれば、放射能は6%にまで減衰します。東電の推計によれば、現在80万tの汚染水/処理水内のトリチウムは8.0x10^14Bq、その濃度はおよそ100万Bq/ℓであり、50年後には告示濃度の6万Bq/ℓ程度と、希釈することなく放出が可能な濃度になります(ちなみに自然に存在する水のトリチウム濃度 1Bq/ℓ程度まで放射能が減衰するには、250年程かかります。)。

 ただ、そのためには、現在たまっている汚染水とこれから発生する汚染水合わせて300万立方㍍の貯水能力、小規模なダムひとつ分の貯水能力を有する貯水設備が必要になります。汚染水/処理水を50年間保管する費用の正確な推定は困難ですが、経産省は汚染水/処理水を地下埋設(実質的に地下に貯水するということです)した場合の費用を1200億~2500億円としており(トリチウム水タスクフォース報告書)、おおむね2000億円程度と考えられます。

 要するに、我々が「放射能が減衰するまで保管」と言う選択肢を取るなら、ざっと2000億円程度の費用と50年程度の時間を費やすしかないのです。

海洋放出をすれば、風評被害は必然

日本維新の会代表の松井一郎・大阪市長=2019年9月19日、大阪市役所
 もう一つの選択肢、海洋放出について、少なくとも現時点での科学的知見によると、汚染水/処理水に含まれる放射性同位元素が基準値以下のトリチウムだけであるなら、明白な健康への害はないことを私は否定するつもりはありません。

 しかし、海洋放出推進派が喧伝(けんでん)するような、「大阪湾、東京湾でも放出する!」「飲んでも問題ない!」といった議論は、ナンセンスだと思います。海洋放出をすれば、ほぼ100%風評被害によって福島の海産物の売り上げが大きく下がることは不可避と思われるからです。

 ただしその理由は、海洋放出推進派が言うように、科学が風評に負けたからでも、日本の消費者が不合理だからでも、「安全と安心は違う」からでも、ましてや放射能デマに騙(だま)されているからでもなく、「人はそう言うものだから」だと私は思います。

 そもそも人は、商品を合理的に選んでいませんし、安全・安心の基準も一貫したものではありません。

 例えばマグロを買う場合、大間のマグロと佐渡のマグロと東京湾のマグロが同じ値段で並んでいたら、大半の人は大間のマグロを買うでしょう。回遊魚のマグロにとって、青森沖の大間で釣り上げられるか佐渡沖で釣り上げられるかに大差はないでしょうし、安全・安心面でもまったく異ならないでしょうが、それでも人はなんとなく美味いだろうと思って、大間のマグロを選びます。

 東京湾も、人が泳げるのですから、マグロが泳ぐにも支障なく、マグロがいくら糞便性大腸菌を飲み込んだところで菌は筋肉には侵入できず、科学的には人が食べるのになんの問題もないはずです。それでも人は、東京湾でとれた東京マグロを選びません。

 ところが、例えばそのマグロを思い切って「築地マグロ」とでも命名したら、もしかして大間のマグロをしのぐ高値がつくかもしれません。「豊洲マグロ」だとその可能性はぐっと低くなると思われますが……。

 何故、「大間」が良くて「佐渡」はだめなのか、「築地」はよくて「豊洲」はダメなのか。そ議論は極めて虚しく、しいてその問いに答えるなら、「モノが溢れている現代において、人は『気分』で消費を決めるから。」とでも言うしかないように思います。

 要するに、海洋放出によって福島の海産物の売り上げが減少するだろうことは、国民への啓蒙や説明でどうにかなるようなものでは恐らくなく、いかんともしがたい人間心理によるものなのであり、こちらもほぼ必然的に発生するものだと思われるのです。

原発事故から不可避的に生じたもの

 以上をまとめると、いま生じている状況は、
(1)我々は今なお原発事故をコントロールできておらず、汚染水は永続的に発生し続けている。
(2)そうである以上、選択肢としては実質的に①海洋放出②放射能が減衰するまで保管の二つしかない。
(3)①を選択すれば、風評被害が生じるのは人間心理上いかんともしがたく、②を選択すれば、50年以上の時間と2000億円程度の財政負担に加えて、用地選定をはじめとして様々な困難が生じるうえ、新たな風評被害は避けられないということだと言えます。

 すなわち、汚染水/処理水問題が私たちに突きつけているのは、

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