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バルカン同盟の歴史から日韓関係を考える

柴田哲雄 愛知学院大学准教授

ポートモレスビーで開かれたAPECビジネス諮問委員会(ABAC)に臨む安倍晋三首相(左)と韓国の文在寅大統領=2018年11月17日、代表撮影

 日韓関係は戦後かつてないほど悪化しています。この間、日本のメディアでは様々な意見が飛び交ってきましたが、日頃から韓国人留学生と接触しているはずの大学教員まで、韓国人女性への暴行を煽るような発言をするなど、かえって事態の混乱に拍車をかけているように見えます。またメディアの嫌韓の扇動に影響されたかのように、河野太郎前外相が韓国の駐日大使に面と向かって「極めて無礼だ」と口走るなど、日本政府までヒートアップし、対韓政策の合理性が失われつつあるように見えます。ここは冷静に議論するためにも、今日の日韓関係に類似した20世紀初頭のバルカン同盟を参照しながら、比較するとよいでしょう。そうすることで、日韓関係が置かれた状況を客観視することが可能となるからです。

バルカン同盟とバルカン戦争

 今日の日韓関係に類似した事例は、世界史上なかなかありませんが、しいて挙げるなら、20世紀初頭のバルカン同盟でしょうか。第一次世界大戦は、ご存知のように、セルビア人の青年がオーストリアの皇太子夫妻を暗殺するというサラエボ事件をきっかけに勃発しました。第一次世界大戦に先立って、バルカン半島では二度にわたってバルカン戦争が勃発しましたが、サラエボ事件もその延長線上に起こったのです。

 バルカン半島は俗に「民族のモザイク」と呼ばれ、数百年間にわたってオスマン・トルコ帝国(以下、トルコ)の支配下に置かれてきました。しかし19世紀に入ると、ナショナリズムに目覚めたバルカン半島の諸民族は、トルコの衰退に乗じる形で、次々に独立運動を起こすようになります。そして1832年のギリシャの独立が嚆矢(こうし)となって、1878年にセルビア、モンテネグロ、ルーマニアが、1908年にブルガリアが、1912年にアルバニアが、それぞれ独立を果たしました。

 バルカン半島の諸民族の多くはロシア人と同じく東方正教会に属しており、スラブ系です。そのためロシアが汎スラブ主義を掲げて、バルカン半島の諸民族の後見役を自任し、トルコからの独立を支援してきました。一方、欧州の名門中の名門・ハプスブルク家が支配するオーストリアも、汎ゲルマン主義を掲げて、バルカン半島に進出しようと目論んでいました。

 20世紀に入ると、バルカン半島におけるトルコの覇権はほぼ完全に一掃されました。そしてそれに伴って、バルカン半島の覇権をめぐって、ロシアと、ドイツに後援されたオーストリアが正面から角逐し合うようになります。ロシアは1912年に、オーストリアのバルカン半島進出を阻む防波堤としての役割を期待して、ロシアの弟分とも言うべきセルビア、ブルガリア、ギリシャ、モンテネグロ各国に働きかけ、バルカン同盟を結成させます。オーストリアが1908年にロシアやセルビアの強硬な抗議を顧みずに、ボスニア・ヘルツェゴビナの併合に踏み切ったからです。

 一方、バルカン同盟諸国は、ロシアの思惑とは裏腹に、オーストリアよりも、「瀕死の病人」トルコに刃を向けて、領土を奪おうと画策します。1912年、イタリア・トルコ戦争でトルコが苦境に陥った機をとらえて、バルカン同盟諸国はトルコに宣戦すると圧勝して、バルカン半島に残されたトルコ領を、首都のイスタンブール周辺を除いて、すっかり割譲させました(第一次バルカン戦争)。しかし翌年、バルカン同盟諸国は、旧トルコ領・マケドニアの分配をめぐる対立から内輪もめを起こし、ついにブルガリアとセルビア・ギリシャ・モンテネグロなどとの間で戦争が勃発し、ブルガリアが敗れる事態になります(第二次バルカン戦争)。

 二度のバルカン戦争に勝利したセルビアでは、政府によって制御できないほどナショナリズムが高揚するようになりました。セルビアは元々オーストリアによって併合されたボスニア・ヘルツェゴビナを未回収の自国領と見なしていました。そこでセルビア政府の一部から後援されていた軍の将校らの過激なナショナリスト・グループが、ボスニア・ヘルツェゴビナを奪還するために、青年らを指嗾(しそう)して、サラエボ事件を起こさせます。

 オーストリアがセルビアに宣戦すると、後見役のロシアが戦争に介入してきましたが、それに伴って、英仏露などの協商国と独墺などの同盟国との間で第一次世界大戦が勃発する事態にまでなりました。一方、第二次バルカン戦争に敗戦したブルガリアは、かつての後見役のロシアから離れて、同盟国側に立ち、復讐戦を遂行することになります。

バルカン同盟と日韓関係の共通点

 さて、バルカン同盟と日韓関係の共通点を挙げることにしましょう。第一に、あるベクトルとその逆ベクトルの和がゼロ・ベクトルとなるように、二大国の角逐によって地域覇権の真空化が生じたことです。バルカン半島では、トルコの覇権が一掃された後、ロシアとオーストリアがそれぞれ覇権を確立しようとしていましたが、両国の角逐の結果、覇権の真空化が生じました。東アジアでは、台頭著しい中国が米国の覇権に挑戦しようとしていますが、両国の角逐によって、覇権の真空化の兆候が生じています。

 第二に、地域覇権の真空化に伴って、大国の従属諸国において、大国の意向に反した独自外交の余地が拡大したことです。バルカン同盟諸国は後見役のロシアの意向に反して、オーストリアではなく、トルコに対して戦端を開きました。フランス外交官の言葉を借りると、「東方問題の歴史上初めて小さな国々が列強から独立した立場を獲得したので、小さな国々は列強なしで行動できるし、列強を自由にできるとさえ感じていた」のです(マーガレット・マクミラン)。

 一方、韓国の文在寅政権は今日、米国の意向に反して、北朝鮮の核放棄の保証がないまま、一方的に経済制裁を緩和して、南北経済協力を実行すべきだと主張しています。また韓国は、米中対立をしり目に、中国にも接近して、「一帯一路」やアジアインフラ投資銀行への参加に踏み切りました。我が安倍晋三政権も昨今、米露対立をしり目に、ロシアへの接近を図って、平和条約を締結しようと熱心に試みています。

 周知のように、1956年の日ソ共同宣言後、日ソ間の平和条約交渉が進展しなかったのも、また2001年の日朝平壌宣言後、日朝間の国交正常化交渉が進展しなかったのも、いずれも米国の強力な横槍が入ったからにほかなりません。今日、日韓両国が、米国の意向に反する独自外交を追求していても、米国はたいして横槍を入れてきませんが、そうしたこと自体が、覇権の真空化の兆候を示すものだと言ってよいでしょう。

 第三に、大国の従属諸国の間で、それぞれの歴史的記憶に根差すナショナリズムが高揚して、相互の対立が深刻化していたにもかかわらず、大国が調停する能力を失ってしまったことです。バルカン同盟諸国の間では、第一次バルカン戦争が終結した後、マケドニアをめぐって、ブルガリアとセルビアなどが激しく対立しました。当時、バルカン同盟諸国は、トルコ支配以前のそれぞれの王朝時代の記憶に根差したナショナリズムを高揚させ、それぞれの王朝時代の領域を回復することを熱望していたのですが、それらはいずれもマケドニアを含むものだったのです。これに対して、後見役のロシアは右往左往するばかりで、調停に当たることができず、ついに第二次バルカン戦争の勃発を許してしまいました(奥山倫子)。

 一方、日韓両国の場合には、主として20世紀前半の記憶に根差すナショナリズムが高揚して、相互の衝突をもたらしています。徴用工問題や従軍慰安婦問題をめぐって、文政権は1965年の日韓請求権協定や2015年の慰安婦合意を破棄して、日本政府に改めて賠償と謝罪を求める意向を示しました。これに対して、安倍政権は元来「自虐史観」に批判的でありながら、米政府のとりなしもあって、不承不承ながら朴槿恵前政権との間で慰安婦合意に踏み切った経緯があるだけに、猛反発しました。

 そして安倍政権は、奇しくもこのタイミングで、韓国を貿易管理上の優遇対象国(「ホワイト国」)から除外すると決定しました。すると今度は文政権が猛反発して、軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を通告してきました。このようにして目下、日韓の連携は風前の灯火となっています。その間、米政府高官は、安倍政権に対しては「ホワイト国」からの除外を延期するように要請する一方で、文政権に対してはGSOMIAを破棄せぬように忠告してきましたが、トランプ米大統領自らが積極的に動かなかったこともあって、両政府から聞き入れられませんでした。

国家の命運の鍵のありかを自覚する

 さて、私たちはバルカン同盟の教訓から何を引き出すべきでしょうか。大きく二つ挙げることができます。第一に、国家の命運の鍵が大国に握られていることを自覚することです。第二に、韓国の「ブルガリア化」と「セルビア化」を防ぐことです。

 第一についてですが、セルビアの命運の鍵を握っているのが、ブルガリアなどではないのと同様に、ブルガリアの命運の鍵を握っているのも、セルビアではありません。その後の歴史の展開を見れば明らかなように、バルカン諸国の命運は、協商国と同盟国(第二次世界大戦に際しては、英米ソの連合国と独伊の同盟国)という大国間の戦争の結果にかかっていたのです。それにもかかわらず、当時のバルカン諸国の指導者は、近視眼的になって、隣国を叩きのめせば、国家の隆盛の道を切り拓くことができると思い込み、互いにナショナリズムを煽って、戦争を始めるという有り様でした。

 一方、日本の命運の鍵を握っているのが、韓国でないのと同様に、韓国の命運の鍵を握っているのも、日本ではありません。日韓両国の命運の鍵を握っているのは、

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