東電旧経営陣無罪判決を見て感じた裁判が焦点を当てきれていない論点
2019年09月26日
2011年3月に発生した東京電力福島第一原発事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴されていた東電の旧経営陣3人に19日、東京地裁がいずれも無罪とする判決を言い渡した。法廷の傍聴人からは「え~」とか「うそ!」といったどよめきが起きたという。
この裁判で3人が同罪に問われるかどうかのポイントは、①巨大津波を具体的に予見できたか(予見可能性)②対策を講じて原発事故を避ける義務があったか(結果回避義務)――の2点だったという(朝日新聞9月20日付け朝刊)。私の関心もそこにあったし、他紙でもほぼ同じ論調だ。
ただ、同時に私は、事故が発生して以来、行政の責任についても強く指摘してきた。しかし、今回の報道を見る限り、そこに裁判の焦点があたった感じはしない。
実は、事故発生の直後、私は雑誌『世界』(2011年7月号)に関連する論考を発表している。本稿を書くに当たり、再読してみた。「問題の根源は“偽装民主主義”だ」というタイトルに、事故から1、2カ月しか経っていない頃に私が抱いていた激しい感情が表出している。
当時から私が見据えていたのは、“原子力行政”であった。多少長くなるが、その論考の一部を引用させていただく。
東電を上回る行政の罪
三月一一日の大地震が発生してほぼ一時間後、大津波が福島第一原発を襲って1~4号機の全電源が喪失した。(中略)
関係者がこの災害を本気で避けようとすれば容易に避けることができたのだから、紛れもなく“人災”である。
この事故を招いた東京電力の罪は非常に重いが、指導・監督してきたはずの行政の罪はそれをはるかに上回っている。
私はかねてから、日本の統治構造の致命的な欠陥は、多くの行政分野で、チェック機能が麻痺し、機能不全に陥っていることだと警告してきた。
その結果が最悪の形で露呈したのが今回の原発事故である。
政府や関係者が事故対応に追われる中、さまざまなメディアを通じて、佐藤栄佐久前福島県知事の的を射た発言が伝えられた。
「今回の事故は東電以上に国に責任がある」
「日本には本当の民主主義がない」
挙句は、原子力行政と東京電力の癒着関係を「警察と泥棒が一緒にいるようなもの」と激しく批判した。(中略)
彼は長年にわたって、“原子力村”と刀折れ矢尽きるまで闘ってきた人。第一級の体験者の認識であり発言であるから重みが違う。(中略)
昔の佐藤氏は、私と同じように、原発の推進派でも反対派でもなく、言わば容認派のように見受けられた。そのことも今回彼の発言に注目した一因である。大震災後私は彼と二度会って、その体験談を詳しく聞くことができた。やはり私と問題意識は全く同じであった。
まだ3月であったか、原発事故後、初めて福島県郡山市のホテルのラウンジで彼に会ったとき、通りすがりの年配の女性が床にひざをついて、「先生が心配していたことが起きてしまった」と涙を浮かべて話かけてきたのが、印象深く記憶に残っている。
そのときに私が感じたのは、原発のない地域の住民にとってはどこか縁遠い原発事故であっても、福島県民にとっては必ずしもそうではないという“事実”だった。
引用を続けよう。
非科学的な認定
今回の原発事故の人災は、単なる過失というより少なくとも刑法学で「認識ある過失」に相当する一段と悪質なものと言える。東電、関係官僚、原子力学者などと中心に構成する“原子力村”の組織的犯罪の色合いが強い。(中略)
私のような門外漢でも、原発の立地に際していの一番に調べなければならないのは、過去の地震、津波の大きさや被災規模、そして地震専門家の研究成果であると考えている。(中略)
三陸地方には百年くらいに一度はかなりの大津波が襲来している。古くは八六九年の貞観津波、近くは一八九六年の明治三陸津波。明治の津波は三〇㍍を超えたらしいが、平安の大津波はそれより規模が大きかったという。両地方には一九三三年にも昭和三陸津波が襲っている。(中略)
東北電力の女川原発は、今回の約一三㍍の津波に対して事故を免れた。想定津波は九・一㍍であったが、余裕を持たせて海抜一四・八㍍の高さに原発を建造したからだ。加えて建造に際しては、東電と違って貞観津波はもちろん、過去の大津波も独自に調査している。
東電は、第一原発が海抜一〇㍍だから、想定津波をそれ以下の五・七㍍にしたと言われて反論できるのか。移設や改造を避けるための想定数字であった疑いが消えない。これほど非科学的な想定はないだろう。
東京電力福島原子力発電所事故故調査委員会、いわゆる国会事故調が厳しく批判しているように、東電と行政のなれ合いが原発事故への対応の甘さを招いた主因であるのは疑いない。規制当局が厳しい態度でのぞめば、東電も事故の可能性についてより真剣に向き合っていたはずだ。結果は分からないものの、事故がここまで大きくはならなかっただろう。
なれ合いを生んだのは何だったのか? 『世界』の論考でも指摘したように、私は霞が関の長年の慣行である「天下り」がその背後にあると考えている。
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