福島原発事故、東電よりも罪が重い原子力行政
東電旧経営陣無罪判決を見て感じた裁判が焦点を当てきれていない論点
田中秀征 元経企庁長官 福山大学客員教授
「心配していたことが起きてしまった」
まだ3月であったか、原発事故後、初めて福島県郡山市のホテルのラウンジで彼に会ったとき、通りすがりの年配の女性が床にひざをついて、「先生が心配していたことが起きてしまった」と涙を浮かべて話かけてきたのが、印象深く記憶に残っている。
そのときに私が感じたのは、原発のない地域の住民にとってはどこか縁遠い原発事故であっても、福島県民にとっては必ずしもそうではないという“事実”だった。
引用を続けよう。
非科学的な認定
今回の原発事故の人災は、単なる過失というより少なくとも刑法学で「認識ある過失」に相当する一段と悪質なものと言える。東電、関係官僚、原子力学者などと中心に構成する“原子力村”の組織的犯罪の色合いが強い。(中略)
私のような門外漢でも、原発の立地に際していの一番に調べなければならないのは、過去の地震、津波の大きさや被災規模、そして地震専門家の研究成果であると考えている。(中略)
三陸地方には百年くらいに一度はかなりの大津波が襲来している。古くは八六九年の貞観津波、近くは一八九六年の明治三陸津波。明治の津波は三〇㍍を超えたらしいが、平安の大津波はそれより規模が大きかったという。両地方には一九三三年にも昭和三陸津波が襲っている。(中略)
東北電力の女川原発は、今回の約一三㍍の津波に対して事故を免れた。想定津波は九・一㍍であったが、余裕を持たせて海抜一四・八㍍の高さに原発を建造したからだ。加えて建造に際しては、東電と違って貞観津波はもちろん、過去の大津波も独自に調査している。
東電は、第一原発が海抜一〇㍍だから、想定津波をそれ以下の五・七㍍にしたと言われて反論できるのか。移設や改造を避けるための想定数字であった疑いが消えない。これほど非科学的な想定はないだろう。

「全員無罪 不当判決」の紙を掲げ、判決後の集会に参加した福島原発刑事訴訟支援団の人たち=2019年9月19日、東京地裁前