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世界で二番目にクールな街シモキタの再開発の物語

対立から対話、和解と協働へ。これは単なる再開発ではない/街の写真は矢郷桃さん撮影

保坂展人 東京都世田谷区長 ジャーナリスト

下北沢の小田急線「線路跡地」

 街には顔があります。そして、行き交う人びとも、街の空気にさらされて光と影が動きます。

 私も青春と呼べるかどうかの10代の理屈っぽい少年だった頃、この街を彷徨した記憶があります。

 東京都世田谷区にある下北沢。

 6年前、2013年3月23日午前1時過ぎ、地上を走る最終電車を見送る人びとが、踏切の左右にいました。

 「サヨナラ踏切」「ようこそシモチカ」という1文字ずつのボードを持った人たちが並んで、最終電車が走り去るのを見送ると、最後に開いた踏切の左右から、人々が交錯してハイタッチで盛り上がりました。(『I LOVE 下北沢』

拡大写真家・矢郷桃さん撮影

 あれから6年、下北沢では工事が続きました。一部には、あまり工事期間が長いので、「再開発は遅れ、永遠に完成しないのではないか」という声も出てきたほどでした。

 大量輸送機能を止めることなく小田急線の地下複々線化を進め、また京王井の頭線の高架橋の掛け替えを行う難工事で、予想より時間がかかったのは事実ですが、ようやく出口が見えてきました。

 2019年9月24日午後4時、下北沢の北沢タウンホールで、小田急電鉄星野晃司社長、京王電鉄紅村康社長と世田谷区長である私が並んで、記者会見が始まろうとしていました。時間までに次々と会場に入ってくる記者の数も、開始時間には50人を超えました。

 そして、「下北沢を中心としたこれからの街づくり」をテーマとした世田谷区・小田急電鉄・京王電鉄の3者による共同記者会見が始まりました。冒頭に立った私は、次のように切り出しました。

 「今こうして、小田急電鉄と京王電鉄の両社長と共同記者会見に臨んでいることは、感慨深く、新たなスタートラインを期する気持ちで迎えています」

 私の脳裏には、8年半前に区長に就任して以来、多くの時間をさいて、ワークショップや街づくり会議を重ねてきた記憶がよみがえっていました。

 「先週、こんなニュースが飛び込んできました。『タイムアウト』が世界の都市を大規模に調査した結果、下北沢が『最もクールな街』として世界2位の評価を得たということでした」(『下北沢が「世界で最もクールな街」の2位に選出、1位はリスボンのアロイオス』) 

 「流行に敏感な雰囲気や、アンダーグランウドの格好よさとカウンターカルチャーのレガシーで多くの若者たち信頼されている…としています。私たちが心を砕いてきた『シモキタらしさ』とも言うべき街の特性を残し、その良さを引き継ぎ、発展させながら、交通利便性の向上や新たな価値を創り出す都市再開発を、注意深くいかに両立させるかということでした」

拡大記者会見保坂終了後、記念撮影にのぞむ小田急電鉄の星野晃司社長、保坂展人世田谷区長、京王電鉄の紅村康社長


筆者

保坂展人

保坂展人(ほさか・のぶと) 東京都世田谷区長 ジャーナリスト

宮城県仙台市生まれ。教育問題などを中心にジャーナリストとして活躍し、1996年から2009年まで(2003年から2005年を除く)衆議院議員を3期11年務める。2009年10月から2010年3月まで総務省顧問。2011年4月より世田谷区長(現在3期目)。 著書:「相模原事件とヘイトクライム」(岩波ブックレット)、「脱原発区長はなぜ得票率67%で再選されたのか?」(ロッキング・オン)、「88万人のコミュニティデザイン 希望の地図の描き方」(ほんの木) 近著に「〈暮らしやすさ〉の都市戦略 ポートランドと世田谷をつなぐ」(岩波書店2018年8月)、「子どもの学び大革命」(ほんの木2018年9月)他

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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