対立から対話、和解と協働へ。これは単なる再開発ではない/街の写真は矢郷桃さん撮影
2019年09月29日
街には顔があります。そして、行き交う人びとも、街の空気にさらされて光と影が動きます。
私も青春と呼べるかどうかの10代の理屈っぽい少年だった頃、この街を彷徨した記憶があります。
東京都世田谷区にある下北沢。
6年前、2013年3月23日午前1時過ぎ、地上を走る最終電車を見送る人びとが、踏切の左右にいました。
「サヨナラ踏切」「ようこそシモチカ」という1文字ずつのボードを持った人たちが並んで、最終電車が走り去るのを見送ると、最後に開いた踏切の左右から、人々が交錯してハイタッチで盛り上がりました。(『I LOVE 下北沢』)
あれから6年、下北沢では工事が続きました。一部には、あまり工事期間が長いので、「再開発は遅れ、永遠に完成しないのではないか」という声も出てきたほどでした。
大量輸送機能を止めることなく小田急線の地下複々線化を進め、また京王井の頭線の高架橋の掛け替えを行う難工事で、予想より時間がかかったのは事実ですが、ようやく出口が見えてきました。
2019年9月24日午後4時、下北沢の北沢タウンホールで、小田急電鉄星野晃司社長、京王電鉄紅村康社長と世田谷区長である私が並んで、記者会見が始まろうとしていました。時間までに次々と会場に入ってくる記者の数も、開始時間には50人を超えました。
そして、「下北沢を中心としたこれからの街づくり」をテーマとした世田谷区・小田急電鉄・京王電鉄の3者による共同記者会見が始まりました。冒頭に立った私は、次のように切り出しました。
「今こうして、小田急電鉄と京王電鉄の両社長と共同記者会見に臨んでいることは、感慨深く、新たなスタートラインを期する気持ちで迎えています」
私の脳裏には、8年半前に区長に就任して以来、多くの時間をさいて、ワークショップや街づくり会議を重ねてきた記憶がよみがえっていました。
「先週、こんなニュースが飛び込んできました。『タイムアウト』が世界の都市を大規模に調査した結果、下北沢が『最もクールな街』として世界2位の評価を得たということでした」(『下北沢が「世界で最もクールな街」の2位に選出、1位はリスボンのアロイオス』)
「流行に敏感な雰囲気や、アンダーグランウドの格好よさとカウンターカルチャーのレガシーで多くの若者たち信頼されている…としています。私たちが心を砕いてきた『シモキタらしさ』とも言うべき街の特性を残し、その良さを引き継ぎ、発展させながら、交通利便性の向上や新たな価値を創り出す都市再開発を、注意深くいかに両立させるかということでした」
「下北沢」には、ザワザワした雑居性があり、演劇・お笑い等の小劇場では、味わい深い文化が宿っています。ずっと以前から、映画・演劇・音楽・文学と異なるジャンルのアーティストが交流しながら、互いにぶつかりあい、新たな才能が巣立っていった歴史があります。
この街に、鉄道と道路の連続立体交差事業の工事が入り、交通・防災など機能が向上すると同時に、この街の魅力をそこねずに、新たな価値付与をしていけるかどうか考え続けてきたのです。
小田急線の梅ヶ丘から代々木上原までの連続立体交差事業区間のうち1.7キロの「線路跡地」を、日常的には車を通さずにゆっくり散歩ができる道を区で整備します。
また、世田谷区は小田急電鉄と協議の上でゾーニングしながら、お互いに「ひとつながり」の価値創出を準備してきました。世田谷区では、2015年に何度ものワークショップを通して、「人と地域と心をつなぐ」をコンセプトにして、『北沢デザインガイド』をつくり「ひとつながり」の指針としてきたことなどを話しました。
小田急電鉄の星野社長の会見は、2018年3月に小田急線の複々線化が完成し、線路が地下化されたことによって1.7キロ、27500平方メートルの線路跡地が生まれたことを紹介した上で、「下北沢エリアを、私どもは自分らしく生きている人が多く、『多様性にあふれている街』ととらえています。この街をつくっているのは、人であり、お住まいの方、働く方、訪れる方が個性にあふれながら共存していることで、その魅力をさらに高めていると考えています」とした上で、斬新な言葉でこれからの街づくりを表現されました。
さらに、「下北沢エリアの街を『変える』のではなく、街を『支援』することをめざすサーバント・ディベロップメント『支援型開発』」を打ち出しました。コンセプトは「BE YOU シモキタらしく。ジブンらしく」とし、エリア名称を「下北線路街」としたことを発表しました。「シモキタらしさ」というフレームから、これまでの首都圏での都市再開発には見られないユニークな内容となったと感じました。
続いて、京王電鉄の紅村康社長は、2016年から実験的なイベントスペース「下北ケージ」を開設してきたことや、京王井の頭線の高架橋下にすでに駐輪場がオープンしていることを紹介されました。また、詳細は検討中としながらも、高架橋下や周辺に「切れ目なく魅力的なお店を並べ、回遊性を重視し、楽しく歩くことが出来る心地よい空間」を計画していることや、世田谷区からお願いしている「図書館カウンター」(参考・図書館カウンター三軒茶屋)を検討していることなどを報告されました。
実際の会見では、世田谷区と小田急がそれぞれ整備が終わった施設や整備が予定されている施設を発表しましたが、ここでは、双方の内容をつなげて西から東へ1.7キロをたどってみたいと思います。
小田急線の線路跡地には、梅ヶ丘駅から、しばらく新宿方向に進んだところで、線路が地下に入っていきます。
線路跡地の西端には、区で整備した公園「代田富士356(みごろ)広場」があります。ここからの富士山の眺望が素晴らしく、地名がたまたま「代田3・56」だったことから命名され、すでに開園しています。
そこから、小田急の賃貸住宅があり、東京農業大学のサテライトキャンパスやレストランがある複合施設、環状7号線の上は、かつての鉄橋のかわりに区が幅5メートルの「代田富士見橋」をかけました。ここまでは完成しています。
環状7号線と世田谷代田駅の空間には、区の工事により駅前広場が出来ます。世田谷代田の地名は、伝説の巨人「ダイダラボッチ」(代田自治会)に由来しているということから、 交通広場の中央部分にダイダラボッチの足跡を描きます。
さらに、東に進んでいくとびっくりすることに、木造2階建て(一部3階)の和風温泉旅館が出来てくる予定です。温泉の湯は、線路でつなぐ箱根から運んでくるそうです。そして、保育園や店舗付き住宅等をいずれも小田急が建設します。
続いて、区の整備する緑地・小広場があり、将来はここから上部に立体緑地の通路を伸ばします。通路の下には小田急の自転車駐輪場が建設され、すでに完成している下北沢の駅舎へと続きます。駅の南西口周辺にも小田急の商業施設が予定されていて、駅構内には「シモキタエキウエ」が2019年11月に開業、大衆居酒屋や立ち呑み屋も入ります。
駅舎の東側には、区で整備する下北沢駅前交通広場が広がり、交通機能が確保されるだけでなく、ワークショップ等で要望の多かった広場全体を利用したイベントや交流空間を実現することも視野に入れています。日常的にもオープンカフェや文化的発信が可能な広場となるように工夫していきます。
さらに、東北沢方向には、小田急の低層の商業施設やエンタメカフェ、そして約50室の都市型ホテル等が建設されます。区は、通路や駐輪場、小広場、そして東北沢駅前広場等を整備していきます。そして、梅ヶ丘から1.7キロをゆっくり歩くことの出来る通路は、区の施設や小田急の施設と分け隔てのない「ひとつながり」の歩行空間として楽しまれるものにしたいと思っています。災害・事故等の緊急時には緊急車両が通行できるようにします。
すべての施設が完成するのは、2年後の2021年以降となりますが、下北沢エリアの中軸に、これまでにない魅力発信が出来る街づくりをしたいと考えています。
小田急線の連続立体交差事業及び複々線化が計画されたのは半世紀前に遡ります。
当初は、高架で道路との立体交差が企画されましたが、騒音等の反対の声が大きく、2003年に地下化が決定されました。同年、小田急線と交差する都市計画道路を決定して、事業を始めていきますが、道路事業のあり方をめぐり再開発反対の声も広がり、2006年には「道路計画の撤回」を求めた住民訴訟も提訴されました。
私が区長に就任した2011年4月は、下北沢の再開発をめぐり、根深い対立構造が横たわったままの時期でした。
2011年4月と言えば、「東日本大震災と原発事故」から1カ月あまりしか経過していません。私たち人間の築いてきた街並みや科学技術がいかに脆弱であるかを思い知りました。
そもそも、私自身も落選中の国会議員から世田谷区長へと転身するに至った決断は、この事態によって生活感覚をうち壊し、魂を震わせるような衝撃によって「身近な自治体」に着目したからだったのです。
世田谷区長として、就任当初から「下北沢再開発」の問題に直面します。
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