法的根拠も合理性もなし。法の支配を歪め、行政運営の根本も揺るがす過った決定
2019年09月28日
「あいちトリエンナーレ2019」に対して、審査され採択が決まっていた約7800万円の補助金について、文化庁がこれを覆して全額を不交付にしたことが議論を呼んでいます。
そもそも「表現の自由を損なう」という点で大きな問題だと思いますが、私はそれと同等かそれ以上に、「法の支配を歪める」「行政の安定的運営を損なう」という点においても極めて問題が多いと思っています。日本の行政が危機に瀕しているといっても過言ではありません。
まず「表現の自由」についてですが、不交付決定に関して文化庁が示している“公式な理由”はさておいて、その実質的理由が、「あいちトリエンナーレ2019」の一部である「表現の不自由展・その後」で議論を呼ぶ展示がなされ、その展示に対して反対派から多数の抗議がなされると同時に、観客に危害を及ぼす旨の脅迫があり、安全上の理由から「表現の不自由展」が中止されるに至った事であるのは明白です。
すでに多くの方々が指摘している通り、いったん公的支援を決めた展示について、その表現の内容や、それに対する抗議を理由に、後付けで補助金を交付しないという極めて不利益な決定を行政が行うことは、行政が実質的に、表現内容を理由に表現者及び関係者に不当な不利益を与えることになり、「表現の自由」への行政の不当な介入だと考えられます。
このような行政の不当な介入が正当化されるなら、当然ながら表現は委縮します。文化庁は、事業採択の審査に当たって、必要な情報が事前に申告されなかった事を問題視していますが、表現に対する抗議などを事前に予想することはほとんど不可能です。そうした理屈が通るなら、議論を呼ぶような冒険的な展示については、事後の介入が怖くて公的補助は受けられなくなってしまいます。
今回の文化庁の決定は、行政から見て、問題なく当たり障りのない表現だけを保護することにつながり、日本の表現の自由を大きく損ね、極めて不適当だと私は思います。
ただ、それと同等、いやそれ以上に、私はこの不交付決定は冒頭で挙げた「法の支配を歪める」「行政の安定的運営を損なう」という点において、ゆゆしき問題をはらんでいると思います。以下、詳しく論じさせていただきます。
最初に今回の手続きを整理しましょう。
「あいちトリエンナーレ2019」は文化庁の「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創生事業 文化資源活用推進事業」という、いかにも安倍晋三内閣が好きそうな補助制度を活用しています。この事業の申請期間は平成31年3月1日~11日と極めて短く、おそら予算成立間際にドタバタと作られた補助制度で、応募する側も審査する側も慌てて対応せざるを得なかったことがうかがわれます(ただし、この点はあくまで推測です)。
愛知県は「あいちトリエンナーレ2019」でこの一次募集に応募し、遅くとも4月26日には無事採択されて通知の交付・発表がなされ(2019年度「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(文化資源活用推進事業)」採択一覧)、募集要項の定めに従って補助金交付申請書を提出し、交付決定を待っていました。ところが、標準的期間である30日どころか開催期間初日である8月1日を超えても交付の決定がなされず、問題が表面化した今になって、やっと(?)不交付決定がなされたという経緯だと思われます。
ここで、文化庁が不交付決定の根拠としている「補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律」通称「補助金適正化法」第6条は、次のように定めています。
◇補助金適正化法
第6条
(1)各省各庁の長は、補助金等の交付の申請があったときは、当該申請に係る書類等の審査及び必要に応じて行う現地調査等により、当該申請に係る補助金等の交付が法令及び予算で定めるところに違反しないかどうか、補助事業等の目的及び内容が適正であるかどうか、金額の算定に誤りがないかどうか等を調査し、補助金等を交付すべきものと認めたときは、すみやかに補助金等の交付の決定(契約の承諾の決定を含む。以下同じ。)をしなければならない。
一見すると、条文からは、文化庁は「内容が適正であるかどうか」等を判断して、任意に補助金の交付/不交付を決定できるように見えますし、一般に補助金は、これを交付する省庁が任意に交付/不交付を定めてよいかの様に思われています。
しかし、補助金は本来、法の支配に基づく公平・公正な行政、および法の下の平等という観点から、補助の趣旨にかなうものであれば平等に交付されるべきものです。とはいえ、現実には予算総額は限られ、一定の選別は必要です。そこで、運用として、まずは事前に「申請→審査」して、正式に補助金交付申請を出せる(受理してもらえる)適正な事業を採択したうえで、正式に補助金交付申請が出されたものについては、「法令及び予算に違反しないか」「補助事業等の目的及び内容が適正か」「金額の算定に誤りがないか」等を審査し、違反、不適正、誤りがなければ、「交付の決定(契約の承諾の決定を含む。以下同じ。)をしなければならない。」とされているものと私は理解しています。
つまり同条は、文化庁が恣意(しい)的に補助金の交付/不交付を決定することを認めるものではなく、むしろ条件を満たす適正な申請がなされたら、補助金の交付を決定しなければならないとしているものと解されるのです。
そこで前掲の「文化資源活用推進事業 募集案内」を見てみましょう。そこには、「審査の視点」として、
●実現可能な内容・事業規模になっているか。
●計画期間終了後も地方公共団体独自で取り組めるなど事業の継続が見込まれるか。
が挙げられています。
つまり、文化庁は「あいちトリエンナーレ2019」は、①実現不可能な内容・事業であった ②事業の継続が見込まれなかった、にもかかわらず、それについて申告せず、それゆえ適正な審査がなされなかったという手続き上の違反があったから、正式な補助金交付申請にも関わらず、補助金を不交付決定したとしているのです。
はたして、この文化庁の説明は、補助金適正化法第6条に基づき、不交付決定をするに値する合理的なものでしょうか?
まずもってなのですが、補助金適正化法第6条は、「手続き違反」による不交付決定を定めていません。
仮に、「あいちトリエンナーレ」の実現性、継続性に疑問があったにもかかわらず、申請・審査時にそれが申告されなかったというのであれば、文化庁は「当該申請に係る書類等の審査及び必要に応じて行う現地調査」を行い、「補助事業等の目的及び内容が適正であるかどうか」等を調査したえで、補助金を交付すべきか否かを決定しなければならないのです。
従って、「申請の手続き違反により(内容を見ることなく)不交付を決定した。」という文化庁の説明は、それ自体法的根拠を欠くものだと言えます。
そうではない、手続き違反ではなく、調査のうえで決定したということだとすると、次は「あいちトリエンナーレ」は本当に実現性、継続性を欠くといえるか否かが問題になります。
仮に、文化庁が「あいちトリエンナーレ」全体についてではなく、「表現の不自由展」という一部の①実現可能性②継続性について論じているとしても、それはあくまで展示そのものが評価対象です。「表現の不自由展」自体は現実に開かれ、継続の意思もあった以上、当然ですが「実現可能で継続性のある展示」だったとしか評価しようがありません。その「実現可能で継続性のある展示」が外部の妨害で中止となった場合、「展示そのものが最初から実現不可能で継続性が無かった」とするのは、明らかに評価すべき対象を誤っています。
仮に、外部の妨害も考慮した実現可能性、継続性を評価するというのであれば、そもそも申請事項に「予想される外部からの妨害」等の項目を入れておくべきですが、公表されている申請用紙にその様な項目はありません。
つまり文化庁は、
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