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フランス人に愛された政治の怪物・シラク元大統領

フランス魂を具現した右派本命の政治家。印象に残る左派的な政策

山口 昌子 パリ在住ジャーナリスト

印象に残る左派的政策

拡大シラク元大統領の訃報を伝えるフランスの新聞各紙(筆者撮影)
 ドゴール主義を継承する右派本命の政治家とされたシラクだが、奇妙なことに、いま振り返ると、強く思い出されるのは左派的政策だ。それは、ドゴール将軍が社会保障制度の確立や女性の参政権承認、アルジェリアの独立承認という左派的政治を施行したのと軌を一にする。そして、それこそが孫のような若者がシラクにある種の「カッコ良さ」を感じるゆえんかもしれない。「ハートは左、財布は右」という点でも、フランス人そのものだった。

 3度目の挑戦だった1995年の大統領選でシラクが掲げたスローガンは、左派のそれとみまがう「社会格差の解消」だった。当時はまだ無名(日本での昨今の流行作家ぶりが信じられないが)だった社会統計学者エマニュエル・トッドが、シンクタンク「サン・シモン協会」(99年に解散)の「白書」ならぬ「緑書」に発表した論文「社会的格差=フラクチュール・ソシャル」から借用したもので、10%前後の高失業率や治安悪化、社会モラルの失墜に覆われたフランスの再生を、このスローガンに集約して公約にした。

 この選挙で当選した直後、核実験再開を表明して、日本などから猛烈な批判を浴びたシラク大統領だったが、フランス国内では、「核抑止力」は社会党をはじめ、左派からも有効な国防の要として支持されていた。現在も「核抑止力」への反対はごく少数だ。

 大統領1期目(95~2002年)の内政面の「最大の功績」として、哲学者アンドレ・グリュックスマンが生前、繰り返し指摘したのは、核実験から約1カ月後の7月16日に「1942年7月16日の一斉検挙の日」を「国の記念日」に制定したこと。ナチ占領下で起きたユダヤ系住民の一斉検挙(約1万3千人がアウシュビッツなどの強制収容所に送られ、生還者は約400人)は、実はナチ・ゲシュポタではなくフランス当局によるものだったが、レジスタンス(対独抵抗運動)を主導したドゴール将軍は戦後、レジスタンスと対独協力者(コラボ)の対立で国が二分化されることを恐れ、占領下の4年間は「無効」と宣言。一斉検挙に関するフランス共和国の責任追及も退けた。

 歴代大統領もこの立場を保持。社会党出身のミッテラン大統領も、記念日制定を模索したものの、ドゴール派の反発を恐れて決断しなかった。シラクが決断できたのは、ドゴール派の正統後継者という立場であるがゆえに、ドゴール派からの反発を抑えられたうえ、戦後約半世紀を経たという時宜に恵まれたからだが、くわえて「サンパ(親しみ易い)」という言葉に代表される、大衆的で寛容な人間性にもよる。この「記念日制定」は極右を除き、党派を超えて国民全体に支持されている。

大衆的なサッカーに魅せられて……

 1998年のサッカーのW杯では、開催国にして優勝国という幸運にも恵まれた。フランスは前回のW杯では予選も通過できず、優勝など夢の夢だったが、ジダン選手らの大活躍で、決勝戦で強豪ブラジルを破って初の栄冠に輝いた。

 しかも、アルジェリア系移民2世のジダンをはじめ、代表選手の半数近くが移民2世だったことから、フランス共和国のスローガンである「自由、平等、博愛」の具現する例とされ、フランスの「同化政策」の成功例にも挙げられた。シラクは「フランスに生まれた者は全員、フランス人だ」と再三、指摘し、共和国フランスの真髄、生地主義の国籍法の利点を喧伝した。

 実を言うと、シラクはフランスの支配階級、エリート階級として、それまで「サッカーのサの字も知らない」、ラグビー・ファンだった。ところがこの大衆的スポーツ、ボールが一個あれば誰でも楽しめる、極めて大衆的なスポーツにたちまち魅せられた(これは裸一貫の相撲にも通じる大衆性だが)。

 優勝から2日後の7月14日の革命記念日に、監督をはじめ代表選手全員をエリゼ宮(仏大統領府)に招待し、全員にフランスの最高勲章レジオン・ドヌール勲章を贈った。このあたりが、「政治感覚抜群」「政治の怪物」と言われるゆえんでもある。

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筆者

山口 昌子

山口 昌子(やまぐち しょうこ) パリ在住ジャーナリスト

1990年よりパリ在住ジャーナリスト。主著書に『大統領府から読むフランス300年史』『パリの福澤諭吉』『ココ・シャネルの真実』『原発大国フランスからの警告』『フランス流テロとの戦い方』など。

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