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フランス人に愛された政治の怪物・シラク元大統領

フランス魂を具現した右派本命の政治家。印象に残る左派的な政策

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

「空前絶後に良好」だった日仏関係

拡大会談前に小泉首相と握手するシラク仏大統領(右)=2005年3月27日、東京都港区の飯倉公館

 日仏関係についていうと、シラク大統領の時代は「空前絶後の良好な関係」(松浦晃一郎元駐日大使)といわれる。

 パリ市長、首相、そして大統領(国家元首)としての訪日は50回に及ぶ知日派。日本の国連常任安保理入りを支持し、日本及びアジアの歴史や文化、美術に対する造詣も深い。パリ市長だった1986年には、パリと東京が姉妹都市であることから、大相撲の「パリ公演」を実現した。これがきっかけで、シラクは大相撲の大ファンになり、95年10月には、核実験で日仏関係が悪化する中、大統領権限で2度目の大相撲公演を実施し、日仏関係の改善をもたらした。

 シラク政権時代には優勝力士に贈られる「フランス共和国杯」も創設された。「勝敗だけでなく、相撲四十八手のどの手で勝利したかまで報告することが、駐日大使時代の重要な役目でした」と苦笑するのは、グールドモンターニュ元駐日仏大使(シラクの外交顧問、現外務省事務局長)だ。シラクの相撲好きが本物だった証左だ。

 核実験再開発表直後のハリファックス・サミットに出席した当時の村山富市首相、河野洋平外相、橋本龍太郎通産相は、サミット後、核実験抗議のためにパリに立ち寄ったが、この時、エリゼ宮の昼食会会場には、ギメ国立東洋美術館から貸し出された埴輪(はにわ)や江戸時代の屏風(びょうぶ)などが並べられた。

拡大日仏首脳会談で合意文書に署名、退席するシラク・フランス大統領と橋本龍太郎首相=1996年11月18日、東京・迎賓館
 シラクが滔々(とうとう)と日本文化への蘊蓄(うんちく)を傾けたため、日本人の3人は抗議をするどころか、下を向くばかりだったという。辛うじて、芭蕉の没後300年の話題で橋本が相づちを打てたので、シラクは以後、「橋本ファン」になったというエピソードもある。首相退任後の橋本を夫人共々、フランスに招待したり、橋本の死去に当たり、心のこもった談話を発表したりした。

 日本側がすっかり忘れていた日仏修好通所条約150周年の言い出しっぺもシラクだ。また、パリで東大寺・興福寺展が開催された時、案内役の日本学・仏教学の碩学(せきがく)でコレージュ・ド・フランスのジャン=ノエル・ロベール教授が年号を間違えた時、即刻訂正し、かの碩学を恐縮させたなど、日本文化に関する知識の深さを証明する逸話には事欠かない。

「男性誌の下に詩集や文学書を隠している」

 エリゼ宮で広報を担った次女クロードは、父親の実像について、ジャーナリストでシラク首相時代(1974~76年)に女性地位相、文化相を歴任した故フランソワーズ・ジルーの次の言葉を引用し、最も適切なシラク評だと評している。

 「詩集や文学書の下に男性娯楽誌『プレイボーイ』を隠している男がいるが、シラクはその反対に男性誌の下に詩集や文学書を隠している」

 シラクの隠された文化・教養の高さを言い得て妙だ。

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筆者

山口 昌子

山口 昌子(やまぐち しょうこ) 在仏ジャーナリスト

元新聞社パリ支局長。1994年度のボーン上田記念国際記者賞受賞。著書に『大統領府から読むフランス300年史』『パリの福澤諭吉』『ココ・シャネルの真実』『ドゴールのいるフランス』『フランス人の不思議な頭の中』『原発大国フランスからの警告』『フランス流テロとの戦い方』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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