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なんと首相も駆けつけた「タンザニア甲子園大会」

野球人、アフリカをゆく(13)1千万円をかけた本格的野球場が紆余曲折の末に完成

友成晋也 認定NPO法人アフリカ野球友の会 代表理事

拡大タンザニア甲子園大会。直前までグラウンド整備をする関係者。

<これまでのあらすじ>
アフリカの危険地・南スーダンに赴任した筆者は、ガーナ、タンザニアでの野球の普及活動の経験をいかし、3カ国目の任地でも首都ジュバ市内に安全な場所を確保して野球教室を始めた。初めて野球を目にした子供たちとの信頼関係も徐々にできてゆく。ようやく試合ができるレベルになってくると、試合前に整列して「礼」をする日本の高校野球の形を導入していった。こうした野球哲学が形成されたのはタンザニアだった。おりしも、毎年行われるタンザニア全国野球大会が開催されるため、現地入りをすると……。

 「長旅おつかれさん!」

 早朝、ダルエスサラームに到着し、タンザニア野球連盟事務局長との打ち合わせを皮切りに、終日市内あちこちを動きまわってからホテルに戻ると、ちょうど5階のフロントに、二人の日本人がチェックインをしていた。「アフリカ野球友の会」のメンバーである彼らは、日本から移動に17時間かけてやってきたところだ。

 「あ、友成さん、お疲れ様です」とやや疲れた表情で答えたのは近藤玄隆。足元には大きな黒いカバンが置いてあり、折り畳まれた三脚らしきものが覗いて見える。もう一人の若い青年は、元気よく「お疲れ様です!」とハリのある声で答える。

 「機材、無事だった?」とすぐに気になっていたことを尋ねると「はい、何事もなく普通に入国できました」と答える近藤。

 「それはよかった!じゃあ、チェックインが終わって落ち着いたらレストランに集合して打ち合わせをやろう」

年々規模が大きくなるタンザニア甲子園大会

 今回、第6回を迎える「タンザニア甲子園大会」。年々規模が大きくなるに従い、かかる予算も大きくなってくる。ここで過去の経緯を振り返ってみる。

 2014年2月に開催した第一回大会は、できたばかりのタンザニア野球連盟が主催者だが、開催資金は在留邦人にお声がけをし、募金を集めて開催した。同年12月の第2回大会は、アフリカ野球友の会が大会開催の事業支援団体として、助成金を獲得して開催。私がタンザニアを離任した後の2015年12月第3回大会、2016年12月の第4回大会は、当初と比較し、参加チーム数、人数規模共に倍増し、その分宿泊代や食費も倍増。100万円以上の資金を集めなければならなくなった。

 タンザニア野球連盟は、国内で民間企業から寄付を募る努力をするが、サッカー以外のマイナースポーツへの支援は微々たるものしか集まらない。だが、それは想定内。急速に発展するタンザニア野球のニーズに対応するためには、日本国内で資金調達するしか選択肢がない。アフリカ野球友の会の名前で寄付を募り、多くの方の支援を受けた結果、何とか開催するだけの資金を得ることができた。

 2017年の第5回大会からは、前大会も支援してくださった大阪北ロータリークラブが、タンザニア甲子園大会を3か年計画で支援することを約束してくださった。第6回大会は、支援の2年目にあたる。

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筆者

友成晋也

友成晋也(ともなり・しんや) 認定NPO法人アフリカ野球友の会 代表理事

中学、高校、大学と野球一筋。慶應義塾大学卒業後、リクルートコスモス社勤務を経てJICA(独立行政法人国際協力機構)に転職。1996年からのJICAガーナ事務所在勤時代に、仕事の傍らガーナ野球代表チーム監督に就任し、オリンピックを目指す。帰国後、2003年にNPO法人アフリカ野球友の会を立ち上げ、以来17年にわたり野球を通じた国際交流、協力をアフリカ8か国で展開。2014年には、タンザニアで二度目の代表監督に就任。2018年からJICA南スーダン事務所に勤務の傍ら、青少年野球チームを立ち上げ、指導を行っている。著書に『アフリカと白球』(文芸社)。

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