なんと首相も駆けつけた「タンザニア甲子園大会」
野球人、アフリカをゆく(13)1千万円をかけた本格的野球場が紆余曲折の末に完成
友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事
ついに完成したタンザニア初の本格的野球場
ほどなくして我々3人は、ホテル内のさほど広くなく窓もないレストランに集まった。そして飲み物をオーダーするや否や、近藤が訊いてきた。

ペットボトルを切って、石灰を入れ、それを使ってラインを引く選手たち。
「野球場の準備状況、どうでした?」
「午前中、ンチンビさんと打ち合わせした後、さっそく見てきたよ。バックネット、観客席、ベンチ、フェンス、グラウンド、そしてマウンド。アフリカでこれだけできれば十分じゃないかな」というと、近藤は「では、予定通り、明日は野球場の開会式ができそうなんですね」とほっとした様子で疲れた表情を和らげた。
年々発展していくタンザニア野球のために野球場を建設する計画が持ち上がったのは、2015年だった。在タンザニア日本大使館の尽力により、「草の根文化無償資金協力」の供与で約1000万円をかけ本格的な野球場を建設することが決まった。
場所は、ダルエスサラーム市内最大の校庭面積を有する「アザニアセカンダリースクール」。市内で2つ目の野球クラブが設立されたところだが、約1600人もの子供が通う市内最大の生徒数を誇る巨大な学校でもあり、今は野球が最も盛んな学校と言っていい。公立校だが、寮もあるため、生徒たちが自主的に朝6時から朝練を行うなど、多くの野球小僧を輩出していることもあり、関係者の合意を得るまではスムーズだったが、行政手続きは何事も時間がかかるのがアフリカだ。

野球場の名称は、ダルエスサーム甲子園球場。レフトのファウルグラウンドに出入り口をつくり、バナーを設置。記念碑も設置された。左はンチンビ事務局長。
紆余曲折あって構想から4年、ようやく2018年の夏に建設が始まり、第6回大会に間に合わせるべく工事を行ってきた。第6回大会はこの新球場で開催され、初日の大会前には、球場の開所式も行われる。
「開所式は大物が集まるらしいよ。タンザニア史上初の本格的野球場だから、資金を提供したタンザニア大使館からは日本大使が招かれるのは当然として、タンザニアスポーツ省からは大臣が来るらしい。まあ、ここまでは想定の範囲内だったけど、まさか首相まで来るとはね」
朝方のタンザニア野球連盟での打ち合わせ、ンチンビ事務局長がナーバスになっていた様子も報告すると、近藤はさもありなんとうなずきながら、「メディアもいっぱい来るんでしょうね。なんか感慨深いですね」と言って、手元にあったジュースをグイっと飲んだ。
野球好きの本格的「映像マン」近藤

プロの映像家、近藤⽞隆さん。かつて三⾓ベースをテーマにした映画を監督し、劇場公開させた経験をもつ。ここ数年は毎年タンザニアを訪問して撮影。いい映像を撮ろうと集中するあまり、熱中症で倒れたことも。
近藤は、現在はプロではないが、本格的な「映像マン」だ。大学時代から映画監督を目指し、映像のプロとなるべく、社会人となってテレビの仕事をAD から始め、24歳にして映像ディレクターの仕事を得る。その後、カナダにワーキングホリデーで1年間滞在しながら、映像を撮って過ごした。帰国後、2006年に設立3年目だった「アフリカ野球友の会」の存在を知り、メンバーとなる。以降、友の会の活動映像はすべて彼が撮影、編集している。42歳になる現在は、映像とは直接関係ない職場にいるが、今回は有給休暇を取ってやってきた。
「近藤さんは、タンザニア甲子園大会に毎年来ているからね。タンザニア野球の発展を記録に残してくれて、ほんとにありがたいよ」
「タンザニア野球はまさにゼロから始まりましたからね。なにもなかったところから、球場ができてしまうまで大きくなっていくものなんだ、と素直に驚いてます」
映像を撮るときは真剣過ぎて笑顔がなくなり、時に熱中症で倒れるまで集中する近藤も、普段は穏やかな性格が表情にでて、にこやかになる。
「それにしても、近藤さんも野球が好きだよね。今年もイチローの試合を観にアメリカまでいってたでしょ?」
野球に対しての情熱は、私に負けず劣らずの近藤は、少し照れ笑いをしながら返す。
「野球に目覚めすぎました。野球がないと、自分は生きていけないですね」