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「基地引き取り論」がめざすもの

さらに鹿野政直氏・新城郁夫氏の批判に応答する

高橋哲哉 哲学者

アメリカの覇権を絶対化すべきではない

 鹿野氏は、引き取り論がアメリカに対して「実に甘い見通し」に立っていると言うが、「『はいそうですか』とアメリカが聞く」などと安易に考えている引き取り論者は、一人もいないであろう。たしかに引き取りも簡単ではない。

拡大埋め立て工事が進む辺野古沖=2019年9月10日、沖縄県名護市

 しかし、鹿野氏自身、「私たちは日米安保条約というアメリカが仕組んで日本政府が呼応した鉄の環のなかにある」と述べている。米国は「すりよるこの国の指導層と利益共同体を形づくりつつ、がっちり『国民』を捉え込んでいる」とも言う。安保の問題性を「ほとんど決定的に他人事」と感じるほど、安保に「がっちり捉え込まれた」国民のなかで、「鉄の環」を壊すことが引き取りよりも容易であると考える根拠は、どこにあるのだろうか。

 「『はいそうですか』とアメリカが聞きますか」。これの別の言い方が、「そもそも米軍基地をハンドリングできると思っている時点でおかしいんです」との新城氏の発言だろう。

 鹿野氏も、「そうです。アメリカも、そして特に『本土』の人間が[基地引き取りを]言う時には、そういう問題を自分たちでハンドリングできると思っているんだけど、傲慢なことだと思いますね」と同調している。

 「傲慢さ」への非難は繰り返し出てくる。「私などは、基地引き取り論にもそのような傲慢さを感じるのです」。「そんな意識には、自分は自分の意志で他者の負荷をハンドリングできるという傲慢さしかありません」(いずれも新城氏)。

 しかし、本土引き取り論者で、米軍基地を「自分たち」だけで移設できるなどと考えている人も一人もいないだろう。引き取り論が目ざしているのは、引き取りの正当性を世論に訴え、議会の内外で可能な限り多くの意思を集めて、国内においても米国に対しても、それを政治課題として政治的に実現することである。

 それがヒュブリス(傲慢)の罪であるなら、引き取り論は何を侮辱したことになるのか。まるで在日米軍や米軍基地は私たちの手の届かない神のごとき存在であり、それを政治的に動かそうとすること自体、
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筆者

高橋哲哉

高橋哲哉(たかはし・てつや) 哲学者

1956年福島県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。東京大学大学院総合文化研究科教授。主な著書に『記憶のエチカ』(岩波書店)、『戦後責任論』(講談社)、『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社)などがある。