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人文学のススメ(3)7千万の幸せと百万の犠牲

歴史のなかでは1+1=2が実際に成立したことは一度もない

徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

1 + 1 = 2、他の答えはないだろうか

 日本のテレビ番組(テレビ朝日)、「劇的ビフォーアフター」(before and afterの意)をご存じだろうか。古い家を深いヒューマニズムの持ち主であるリモデリング専門の建築家たちがまったく新しい空間に再創造していくプロセスを放送する番組である。

 建築にかかわる番組であるから、所与のスペース、建物の駆体構造などの条件に従って厳密な計算が求められることはいうまでもない。しかしこのプログラムの白眉は、その家で幸せに暮らしてきた家族一人一人を深く配慮する建築家の心遣いを映し出すことにある。

 年老いた両親がいる場合には、その健康状態、長年の趣味、そしてもっとも重要なこととしてその人が守ってきた価値観や具体的な事物などを、新しい家の空間設計に際して勘案する。

 もし障害者が家族にいる場合には、その人に最大限の自由を保障できるように家のスペースと設備を計画する。そして子供たちは子供たちなりに、学生は学生なりに、主婦は主婦なりに、それぞれの役割と行動範囲、そしてなによりもそれぞれの幸せという条件が、スペース効率を圧倒しつつ建築計画に反映される。

 ここには「数学的計算」と「人文学的計算」のみごとな調和がある。

 そこではただ便利で、丈夫で、新らしいだけの家ではなく、家族をひとつにするための空間が再生されるのだ。そして再生されたスペースを目の前にして、多くの家族が涙を流し、感動的な幸せを経験する。そこにはあきらかに人文学的計算式が成り立っているといえよう。

完璧な直角三角形は実在しない

拡大「ピタゴラスの定理」= 筆者の講義資料より

 歴史学の方法論を駆使する筆者の宗教講義では、まず歴史自体に対する説明をおこなう。歴史をどのように理解するかという説明には、数学の話も登場する。「ピタゴラスの定理(Pythagorean theorem)」である。

 ここに完璧な直角三角形があるとしましょう。直角辺の二乗にもうひとつの直角辺の二乗を加えた値は斜辺の二乗の値と一致します。この 「ピタゴラスの定理」は、永遠の数学的真理であることが明らかですが、しかし歴史上の実際には一度も実現したことがありません。なぜなら私たちは完璧な直角三角形を描いたり作成したりすることができないからです…

 通常ここまで説明すると、クラスは沈黙のうちに「え、そう? 本当にそう? じょうずに作図すればできるんじゃない」と言いたげな雰囲気になる。そして学生のなかには、コンピュータを使って正確に描画しようとする学生が…だが彼は途中で気づいて停止する。

 その後筆者は、私たち頭の中では完璧な直角三角形をいくらでも書くことができると伝える。想像と仮定、理想的な概念としては可能であるという。それだけでなく、近似としてならば限りなく完璧な直角三角形を書くことができるだろうと補足する。

 しかし完璧な直角三角形、それ自体は実在しない。

再び1 + 1で1 は果たして何か

 再び1+1=2にもどる。

 果たして1とは何なのか。私たちが「ひとつ」というとき、それがどのような構成、単位、範囲、主体によって決定されているのかによって「ひとつ」は複数にもなるので、歴史のなかでは1+1=2が実際に成立したことは一度もない。ただ概念として「ひとつ」に「ひとつ」を加えると「ふたつ」になると考えているだけだ。

 筆者のクラスはだいたいそれを受け入れる。だから歴史は数学と最も遠いところで、そして歴史は私たちのすぐ近くに、そのようになにかが欠けたまま、不完全なままあると説明する。するとある学生は、ひとりごどのようにつぶやく。「だから僕は数学ができないんだ…」。なんともかわいらしい反応ではないか。

 歴史は私たちの存在自体であるか、そうでなくても私たちの非常に近くにあるが、その歴史的実在ともっとも遠いところにある別の真理が数学なのだと説明すると、すぐにそんなに遠くにあるものだから自分は数学を苦手なのだという。数学嫌いの彼は、そんな「メタファー」(metaphor)をよく応用して人文学の勉強を頑張るはずであろう。筆者もにんまり笑ってあげる。本当にそのとおりだと。

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筆者

徐正敏

徐正敏(そ・じょんみん) 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

1956年韓国生まれ。韓国延世大学と大学院で修学。日本同志社大学博士学位取得。韓国延世大学と同大学院教授、同神科大学副学長、明治学院大学招聘教授、同客員教授を経て現職。アジア宗教史、日韓キリスト教史、日韓関係史専門。留学時代を含めて10年以上日本で生活しながら東アジアの宗教、文化、社会、政治、特に日韓関係を研究している。主なる和文著書は、『日韓キリスト教関係史研究』(日本キリスト教団出版局、2009)、『韓国キリスト教史概論』(かんよう出版、2012)、『日韓キリスト教関係史論選』(かんよう出版、2013)、『韓国カトリック史概論』(かんよう出版、2015)、『東アジアの平和と和解』(共著、関西学院大学出版会、2017)など、以外日韓語での著書50巻以上。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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