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人文学のススメ(3)7千万の幸せと百万の犠牲

歴史のなかでは1+1=2が実際に成立したことは一度もない

徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

人文学と例外の存在

 筆者は、ときに障害者として特別扱いを受けるときがある。「例外」(exception)としてなにかをすることが認められるのであるが、実のところ例外的な取り扱いをされることはそんなに気持ちの良いことではない。

 しかしそんなときもこれは「例外」扱いではなくて、そのような「待遇」を受けているのだと考えるようにしている。例外と待遇の関係は紙一枚ほどの違いである。例外的な存在、少数者、「マイノリティ」(minority)がどのような取り扱いを受けているかによって、ひとつの国、社会、コミュニティのレベルが測られる。

 筆者は幼い時代から社会生活をはじめた後にも、つねに歯をくいしばって例外的存在ではないことを目指して生きてきた。気を集中して、努力を重ね、少なくとも全体の隊伍から離脱しないことを目標としてきた。そうではないと、特に韓国社会では、不利な条件下にある人間が自分の最低限の権利を守って生きることさえ不可能だったのだ。

 いまでは筆者もすこし変化したが、誰かにちょっとした助力を受けるときにも、それが憐れみではないかと疑うことがあり、できれば自分自身の力で克服しようとする意志がなによりも重要な価値であると思って生きてきた。

 障害を持つ人間が社会の中でそれなりの役割を果たしたり、目標を達成したりすると、「隊伍離脱不可原則」とでもいうべきものによって脚光を浴びることがある。筆者もやはり例外ではなくその原則に身を寄せて「人間劇場」を自己演出して生きてきたのかもしれない。

 もちろんそれには非常に良い面もある。不利な条件を背負っている人間がより堅剛に、よりたくましい独立心をもって、感動的な勇気をみせることもあろう。

 徴兵制の韓国で、筆者は軍隊にいかなかった。しかし筆者は誰よりも軍隊での話をよく知っている。若い時代に比較的長い軍隊生活を経験した筆者の友人たちは、いつも筆者に軍隊生活の話をしてくれた。友達だけでなく、後には筆者の教え子たちも軍隊経験がある場合には例外なくそうした。

 そこには「非常に良いわけ」とちょっと「けしからんわけ」のふたつがある。

 良いわけとは、軍隊を知らない筆者に配慮して詳細にその体験を伝えることで、筆者に間接的にでも知識を与えようという意図である。

 しかし一方ではつぎのような事情も考えられる。軍隊経験がある人たちはたいがい自分の経験を誇張して語りたがる。いわゆる「愛嬌ある詐欺」であるが、ただそれを軍隊経験者にいえば、すぐに誇張がばれる。その点、経験がない筆者にはある程度の「嘘」が通じる。

 これはおそらく、韓国の数多くの女性たちが男性の果てしなく続く軍隊話を聞くことを余儀なくされていることと一脈通じている。特に軍隊でのサッカーや足球(ジョック)の話を聞かされることは、女性たちにとってもっともつまらないことの定番である。

 ところでそんな話のなかで筆者がもっとも興味深いのは、通常どの部隊にでもいる「顧問官」(軍営での俗語として「のろま」「間抜け」の意味) すなわち「例外者」のことである。

 いま思えば、軍隊という統一された団体組織のなかでもっとも「人文学的存在」が彼ら「顧問官」と揶揄される「例外の存在」ではないかと思う。彼らの存在がなければ軍隊はどんなに索漠とした組織になることか。

 こんなことをいえば、筆者の友人たちは、やはり君は軍隊の経験がないのですごくロマンチックに考えてるねと指摘するかもしれない。平時の軍隊では「顧問官」の存在はときに面白おかしく語られ、知られるところであるが、戦時下や激しい訓練のなかでは、彼らのために全隊が絶体絶命の危機に直面することになるかもしれない。それはやはりたしかなことだ。

 いずれにせよ人文学は、統一的な思考や組織、条件、一律的な成果や正解からはほど遠い。ユニークでとんでもなくて、非常に例外的な「顧問官」といった「例外の存在」が人文学的価値とよく通じるという筆者の考えは堅固である。 (続く)

拡大DanieleGay/Shutterstock.com

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筆者

徐正敏

徐正敏(そ・じょんみん) 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

1956年韓国生まれ。韓国延世大学と大学院で修学。日本同志社大学博士学位取得。韓国延世大学と同大学院教授、同神科大学副学長、明治学院大学招聘教授、同客員教授を経て現職。アジア宗教史、日韓キリスト教史、日韓関係史専門。留学時代を含めて10年以上日本で生活しながら東アジアの宗教、文化、社会、政治、特に日韓関係を研究している。主なる和文著書は、『日韓キリスト教関係史研究』(日本キリスト教団出版局、2009)、『韓国キリスト教史概論』(かんよう出版、2012)、『日韓キリスト教関係史論選』(かんよう出版、2013)、『韓国カトリック史概論』(かんよう出版、2015)、『東アジアの平和と和解』(共著、関西学院大学出版会、2017)など、以外日韓語での著書50巻以上。

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