統一会派を結成した野党が次にするべきこと
根が深い有権者の野党不信を払拭するためには清新な人材が主導する必要がある
田中秀征 元経企庁長官 福山大学客員教授
野党不信の淵源は反省が「形」になっていないこと

国会内で開かれた衆院会派「立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム」の合同会議=2019年10月2日
しかし、問題の根はもっと深い。立憲民主党をはじめとする野党が国民から支持を得られない、もっといえば国民のなかにある不信を払拭(ふっしょく)できない淵源(えんげん)は、やはり2009年から3年余の民主党政権の歴史的な失敗であろう。
枝野代表は8月末、民主党政権成立から10周年を機に次のように語っている(8月30日付毎日新聞朝刊)。
「期待に応えられなかった反省と、同じ過ちを繰り返さないということでやってきたつもりだ」
「反省している」とか、「お詫びする」とかいった言葉は、誰でも何度でも言うことができる。問題は、反省が「形」になっていないこと、お詫びが「形」になっていないこと。そこにこそ、有権者の抜きがたい不信の核心がある。特に「ムダ使いをなくす」といいながら、公約にない消費税増税に走った民主党政権の背信的な行為は、口先のお詫びだけで到底許されるものではない。
枝野氏は一歩引き、玉木氏に任せてみては
私がいう「形」とは、明確な出処進退だ。今回の統一会派が公約違反の増税に走った民主党政権時代の幹部によって主導されるなら、成果はきわめて少ないものになろう。今はそれぞれ違うユニホームでも、かつては同じユニホームの選手であったことを国民はよく知っている。
統一会派の延長線上に生まれるものが、民主党や民進党の“亡霊”のようなものであってはならない。安倍首相はしきりに「悪夢のような民主党政権」と口にする。それに対して、有効な反論をするためにも、指導者の顔ぶれは変えるべきであろう。
本来なら、民主党政権を失敗させた当時の内閣や党の指導者は、国政選挙への立候補を辞退するのが筋だろう。もしそれができないのなら、少なくとも新しい態勢に加わることは遠慮するべきだろう。
仮に、新しい統一会派が清新な人材によって運営されるなら、国民からの支持が一気に集まる可能性がある。そうなれば、枝野代表が打開できずに苦しんだ手詰まり感を解消することも、そんなに難しいことではない。
たとえば枝野代表は、自分が一歩引いて、国民民主党の玉木代表に新しい集団を任せることを考えてもよいのではないか。「柱」をかえると、当事者でさえ驚くほど大きな展開が始まるものだ。

立憲民主党定期大会で、手を取り撮影に応じる(右から)社民党の又市征治党首、立憲民主党の枝野幸男代表、国民民主党の玉木雄一郎代表、衆院会派「社会保障を立て直す国民会議」代表の野田佳彦前首相=2019年9月30日、東京・永田町の参院議員会館