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南洋戦という壮絶な戦争と沖縄人の報われない人生

肉親を失った被害者が国に補償と謝罪を求めた「南洋戦訴訟」の最高裁判決を前に考える

山本章子 琉球大学講師

「ソテツ地獄」で南洋移民に

 第1次世界大戦(1914~18年)に日英同盟を名目に参戦した日本は、ドイツ領の南洋諸島を軍事占領。大戦後、国連委任統治領という名の植民地にした南洋諸島に、南洋庁を設置する。南洋庁と日本海軍は、国策会社である「南洋興発株式会社」の砂糖プランテーション経営を全面的に支援した。

 大戦終結とともに特需が終わり、不況になった日本国内に、南洋諸島や、やはり日本の植民地だった台湾から安価な砂糖が流れ込んだため、1920年代半ばに砂糖の価格が暴落する。沖縄のさとうきび農民は経済的に追いつめられ、「ソテツ地獄」に陥った。猛毒を含むソテツの幹しか食べる物がないという状況だ。

 沖縄の農民は生きのびるため、職を求めて南洋諸島やフィリピン、ラテンアメリカへと移住した。とりわけ、南洋諸島では、1930年代に朝鮮半島など外地の出身者をのぞいた日本人の移民の過半数が沖縄出身者となる。1943年時点で、南洋諸島の日本人移民約10万人のうち、約6万人が沖縄出身者だったという。

本土出身の移民から差別

拡大マリアナ諸島・テニアン島にあった南洋興発株式会社テニアン製糖工場の全景=1933年

 砂糖プランテーションの小作人となった移民の人々は、さとうきびと自給用作物以外の栽培をほぼ禁止され、食料以外の収穫物はすべて南洋興発に納入させられた。小作料は3割から3割5分に及んだ。

 小作契約は3年更新だったが、会社から反抗的だと思われた小作人は一方的にクビにされた。会社が経営する売店で日用品を買わねばならず、手元に現金がほとんど残らない小作人もいたという。

 沖縄出身の移民は「土人(原住民。原文ママ)と区別がつけがたい」として、本土出身の南洋興発の経営者や技術者、移民から差別を受けていた。「階級が低い」扱いをされ、「島民(原住民)以下の生活」をさせられていたという(柿崎武雄『南十字星を仰いで』より)。

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筆者

山本章子

山本章子(やまもと・あきこ) 琉球大学講師

1979年北海道生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。著書に『米国と日米安保条約改定ー沖縄・基地・同盟』(吉田書店、2017年)、『米国アウトサイダー大統領ー世界を揺さぶる「異端」の政治家たち』(朝日選書、2017年)、『日米地位協定ー在日米軍と「同盟」の70年』(中公新書、2019年)など。

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