高本眞一(たかもと・しんいち) 東京大学名誉教授、医師
1947年生まれ。松山市で育つ。1973年東京大学医学部卒業。三井記念病院、ハーバード大学医学部、国立循環器病センターなどを経て、東京大学医学部胸部外科教授、日本心臓血管外科手術データベース機構代表幹事、医療政策人材養成講座設立、その後三井記念病院院長。日本心臓血管外科学会名誉会長。著書「患者さんに伝えたい医師の本心」など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「患者のため」だけでは医療者が疲弊してしまいバーンアウトを招いてしまう。
医療不信の風が吹き荒れていた15年前、「医を動かす」というミッションのもと、公募で選ばれた医療者、患者支援者、政策立案者、ジャーナリストら60人が集まり、「東京大学医療政策人材養成講座」(HSP)がスタートしました。1年間フラットな関係で学び合い、医療の課題解決に関する共同研究などを通じて養成された人材は、5年間で245人になります。しかし、「医は動いた」と言えるのでしょうか。東京大学大学院医学系研究科教授でHSPのプログラムディレクターだった高本眞一・東京大学名誉教授に、これからの医療改革に必要な視点を寄稿してもらいました。2回にわけて掲載していきます。(「論座」編集部)
医の原点として最も大切なのは、ミッション(使命)をいかに理解して、行動するかということだと考えます。
福沢諭吉は144年前、現代にも通じるこのようなことを言っています。
福沢諭吉著「文明論之概略」
第一章 議論の本位を定る
議論の本位を定めざれば、その利害得失を談ずべからず。
(中略)
利害得失を論ずるは易しといえども、軽重是非を明らかにするはなはだ難し。一身の利害を以て天下の事を是非すべからず、一年の便不便を論じて百歳の謀を誤るべからず。
今の言葉に訳せばこういうことです。議論の本質をしっかりと理解してないで利害得失を談じてはいけない。身近な利害得失を論ずるのはやさしいが、天下の軽重、是非を明らかにするのはなかなか難しい。自分一人の身の利害で以て天下の事の是非を論じてはいけない。1年間の便不便を論じて、人生最後となる100歳の時の計画を誤ってはいけない。
人は大きな目的、将来のあるべき姿を求める本質的なことを考え、それをもとに行動しなければならないというのです。身近な自己中心主義ではなく、我々は人生において何をすべきかという大きな目標、ミッションを考え、それを中心に人間としての生き方を考慮し、また政治家も国の在り方について、ミッションを念頭に置いて判断をしなければならないという訳です。
アメリカのトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」は自分の国の利益追求を第一に考え、また自分の利益を中心に考える価値観を全世界に広く公開しました。その価値観は、種々の団体にも影響し、以前よりも自己利益主義が大きく広がってきた感じがします。福沢諭吉が言うように100年後の世界にまで通用するような本質的な議論、ミッションを皆で重要視しなければならないと私は考えています。
医療の原点をしっかりと理解したうえで、医療についてのミッションを考えていきたいと思います。
私は心臓血管外科医として心臓血管外科の発展とともに歩んできました。新しい手術方法(逆行性脳循環法)、新しい超音波検査法(カラードプラによる経食道検査、カラードプラによる術中検査)などの発展に尽くしてきました。しかし、医学全体にわたって、すべての病気のことを全面的に知り得ることは不可能です。だからこそ、いつまでも勉強し続けないといけないと理解していました。
多くの人たちは、病気は医師が治すものと思っているかもしれません。近代西洋医学においては、患者さんが医師のもとを訪れ、症状を訴えると、問診や各種検査の後に病因を明確にし、投薬や手術によって病因を除去ないし弱体化して治癒に至る、というように考えられています。病原菌の発見と特効薬の発見による伝染病の克服に代表される近代西洋医学の歴史では、患者が薬や医師の援助の中で自ら治癒するのではなく、医師により薬や医術によって治癒せしめるというものが治療モデルとなっていました。
ただし、私自身、ほぼ理想に近い手術を行っても患者を助けることができなかったこともあれば、手術のやり方に満足がいかない時でも患者が元気になったことがありました。