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1990年代「改革の政治」は日本をどう変えたか

平成政治を問い直す【3】橋本行革と「改革を競う野党」

大井赤亥 東京大学非常勤講師(政治学)

橋本政権における行政改革

 「改革の政治」とは「政治主導」によって行政機構に大ナタを入れる政治であった。そして自社さ連立政権の首班を村山から引き継いだ橋本自民党は、行政改革を時代の要請として受け入れ、再び「改革の政治」へと大きく舵を切っていった。

 橋本政権による行政改革の第一の柱は内閣機能の強化であり、橋本は首相のシンクタンクとして内閣府を設置し、内閣の法案作成能力を高めた。とりわけ、内閣府の下に経済財政諮問会議が設置され、小泉政権以降、それまで大蔵省が担っていた予算作成機能は経済財政諮問会議へ、すなわち首相官邸へと移行されることになる。

 内閣機能の強化は、政治家のリーダーシップの創出という点において政治改革の延長上にあるものであった。上山信一の言葉を借りれば、橋本行政改革は「政治(永田町)が省庁(霞が関)をリードする体制」の構築、すなわち「『霞が関から永田町』へのパワフルな政権交代」なのである。

 橋本による行政改革の第二の目玉は、1府22省庁から1府12省庁への中央省庁再編であった。かつて後藤田正晴は、中曽根行政改革の「中途半端」を指摘し、その理由として中央省庁の削減や統廃合に踏み込めなかった点をあげている。その意味で、橋本行政改革は中曽根行政改革の不徹底を補う「第二ラウンド」とも位置づけられるものであった。

拡大1998年7月12日投開票の参院選で自民党は改選議席61を大きく下回る45議席で惨敗。橋本首相は退陣する

橋本政権下での規制緩和

 細川政権において始動された規制緩和も、橋本政権期にそのピークを迎える。細川政権下での規制改革の主眼は「経済的規制の原則撤廃」におかれたが、1990年代後半になると医療や保育など社会的規制をも全面撤廃せよという主張、すなわち「例外なき規制緩和論」が唱えられるようになる。

 橋本政権期においても、アメリカ、財界、そして国内の「消費者」からの圧力によって規制緩和が促進される構図は繰り返された。日本政治に対するアメリカからの圧力はマルクス主義経済学者がつとに強調するところである。たとえば萩原伸次郎によれば、クリントン政権は

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筆者

大井赤亥

大井赤亥(おおい・あかい) 東京大学非常勤講師(政治学)

1980年、東京都生まれ、広島市育ち。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。現在、東京大学の他、法政大学、成城大学、昭和女子大学、東京理科大学で講師を務める。著書に『ハロルド・ラスキの政治学』(東京大学出版会)、共著書に『戦後思想の再審判』(法律文化社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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