日本にも迫る「ビッグブラザー」の影
2019年10月09日
香港政府に抗議するデモ・集会参加者の多くが、黒や白などのマスクをつけて「顔認証システム」をかいくぐろうとしている。この現状を阻止するために、行政長官が緊急時に公共の利益のために必要な規制を制定できる「緊急状況規則条例(緊急条例)」を適用し、デモ参加者がマスクなどで顔を覆うことを禁止する「覆面禁止法」を10月5日から導入した。
ここで2014年にソチ冬季五輪、2018年FIFAワールドカップを開催したロシアの事例を思い出してほしい。国際オリンピック委員会(IOC)は2007年7月に2014年の冬季五輪の開催地を公式にロシアのソチに決めたのだが、その後、ロシア政府は着々と準備を進めた。具体的には中国で2008年に開催された北京五輪での情報監視システムを参考にして、ロシア政府がソチ五輪開催に向けて用意周到に準備を進めたのである。
ソチ五輪の前年の2013年には、ソ連時代の国家保安委員会(KGB)の後継機関、連邦保安局(FSB)が「オメガ」というプログラムをインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)にダウンロードするように命令が出され、従わなかったインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)を罰していたことがわかっている。
これは、「作戦・捜査措置保障のための技術的手段システム」(SORM)という諜報システムの一部だ。米国務省は2013年8月、ロシアを旅行するときには電話や電子通信が監視の対象になるかもしれないから注意するよう警告を発した。2013年11月8日には、当時のメドヴェージェフ首相は五輪の組織運営者、全参加選手、審判、ソチにやってくる数千人のジャーナリストを含む、SORMの監視対象者のリストアップを命じる命令に署名した。このように、ソチ五輪の安全保障を名目にSORMなる諜報・監視システムが構築されたのだ。
興味深いのは、監視ビデオカメラに顔認証機能を搭載して、不審者を割り出す試みがワールドカップ前から行われるようになったことである。ロシアの場合、2017年と2018年に顔認証はテストモードであったことが知られている。2018年からモスクワの地下鉄で顔認証システムがテストされるようになったとの情報もある。おそらく東京五輪では、顔認証を使った不審者の割り出しが頻繁に行われる可能性が高い。
顔認証は犯罪捜査などに活用されるだけでなく、投票などの公的利用もできる。他方で、銀行などによる資金決済やさまざまのサービス提供でも利用可能だ。米国で問題化しているのは犯罪捜査への顔認証システム活用の是非である。
2019年5月14日、サンフランシスコ市の行政執務官理事会は公的機関がビデオクリップないし写真に基づいて何者かを見つけ出すAIソフトウェアの利用禁止を決定した。顔認証システムを警察などの公的機関が利用して捜査を行うことができなくなったことになる。ついでマサチューセッツ州のサマービル市は同年6月、市の行政機関が公的空間での顔認証ソフトウェアを利用することを禁止した。7月16日には、カリフォルニア州オークランド市も顔認証技術の利用を禁止した。いずれも顔認証の利用による個人認証の誤りが権力の誤った執行や間違った投獄、さらにマイノリティへの迫害につながりかねないリスクを考慮した措置だ。
一方、シカゴやデトロイトの当局がリアルタイムで利用できる顔認証システムをサウスカロライナにあるDataWorks Plus から購入したとの報道がある(両市では、顔認証チェックが可能なソフトウェアに接続可能なカメラによる監視はすでに行われていた)。他方で、政府によるこのリアルタイムの顔認証技術の利用については、英国の高等法院が2019年9月に警察によるリアルタイムでの顔認証技術の利用をプライバシーや人権を毀損するものではなく受けいれられると認定したことが注目される。英国の場合、南ウェールズ警察とロンドンのメトロポリタン警察がこれを利用している。
ここで強調したいのは、少なくとも顔認証システムの公的機関による利用が民主主義を守ったり、人権やプライバシーを保護したりする問題として大勢の人々の議論の対象となっている国や地域が存在する事実である。これに対して日本では、監視カメラや顔認証技術の利用がなし崩し的に進むばかりで、こうした動きに歯止めをかけて公権力を明確に規制する動きが広がっているようには思えない。
日本には、「防犯カメラ」という名前の監視カメラが至るところに広がりつつある。このカメラは監視行為をしているにもかかわらず、「防犯」という不正確な文言によってその本質が覆い隠されている。防犯カメラはいわゆる閉鎖回路テレビ(CCTV)であり、監視がその役割の本質なのだ。
このCCTVへの規制をめぐっては、日本では2003年7月に国会に提出された「行政機関等による監視カメラの設置等の適正化に関する法案」が審議未了で廃案となって以降、監視カメラをめぐる問題は一部の自治体で条例がつくられたほかはほとんど議論されていない。つまり、公的権力によるCCTV利用が場当たり的に推進されており、東京五輪がこのための最大の推進力となっているのである。
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